■論破16・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く16

 

□法華宗本門流の袈裟衣を身にまとって真宗木辺派寺院本堂で真宗木辺派の勤行をはじめた吉野日神(智応)

 

さて姫路駅前のビジネスホテルに宿泊し、タクシーで仏眼寺へ行く。この日も午前9時をまわっていたが、本堂に現れた吉野日神(智応)は、この日もまだ勤行をしていないという。「今日は勤行を休もうかな」などと言っている吉野日神(智応)。しかし連日、勤行していないというのは、どう考えてもおかしい。この人、不断から勤行していないんじゃないかと思った英昭彦は、「それじゃあダメでしょう。勤行して下さいよ」と言うと、吉野日神(智応)はそそくさと住職室に入って着替え。それで袈裟衣を身にまとって出てきたのだが、何と身に付けていた袈裟衣は、真宗木辺派の袈裟衣ではなく、法華宗本門流の袈裟衣であった。そして法華宗本門流の袈裟衣を身にまとったまま、真宗木辺派の勤行をはじめたのである。どーなってんの、これ。

木辺派の勤行は、阿弥陀三部経も読経するが、メインは親鸞の正信偈である。真宗の勤行の所作・化儀は大谷派も本願寺派も仏光寺派も木辺派も大差がない。正信偈を読経するのも同じ。正信偈は子どもの頃から英昭彦も知っている。英昭彦の実家の祖母が、真宗大谷派の信仰に熱心で、毎月一回、月参りと呼ばれるお経を、真宗大谷派寺院住職にあげてもらっていた。そこで読むのは正信偈である。葬儀でも法事でも報恩講でも、住職は正信偈を読む。英昭彦は、子どもの頃から正信偈を聞いて育った。さすがに暗記はしていないが、経本を見ながらだったら、読むことは読める。正信偈を読むときは、一種独特のフシを付けて読む。これを和音という。この和音というフシを付けて読むというのは、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会といった「日蓮正宗系」にはない化儀である。どういうフシを付けて読むのかについては、経本に書いてある。しかしこの和音が実にむずかしい。一人で読むと、一本調子になってしまって、なかなか和音を付けて読むことができないのである。ところが実家に来ていた真宗大谷派住職は、この和音が実にうまい。住職の和音を聞いていると、綺麗な音楽調に聞こえる。これが真宗僧侶の正信偈の和音だなあと感心してしまう。和音とは、上古の日本の音楽である。

さて吉野日神(智応)も、勤行で正信偈を読むのだが、まるで一本調子に読んでいる。当人は、和音を付けて読んでいるつもりなのかもしれないが、まるで和音のフシになっていないのが、よくわかる。フシになっていないどころか、ほぼ一本調子に近い。創価学会員の読経の音調で、正信偈を読んでいるように聞こえる。五十代半ばを過ぎてから正信偈を憶えた吉野日神(智応)にとって、こんなものかも知れない。しかしこの人、真宗門徒の葬儀・法事で正信偈を読んでいるはずなのだが、これでこの人が、にわか真宗僧侶---というか、ニセ坊主---の正体がバレたりしないのだろうかと、他人事ながら心配になってしまった。

 

吉野寺院1
 

(姫路仏眼寺)

 

 

 

□吉野日神(智応)の幼稚で理不尽極まりない不当要求を全て拒否した「アンチ日蓮正宗」管理人

 

「吉野日神(智応)は本当に大津蓮華寺住職・代表役員の松本修明氏から副住職に任命されたのか」という問題について、吉野日神(智応)の答えは、「松本修明氏が大阪・吹田市の吉野日神(智応)の自宅に現れ、母親と夫人の前で『蓮華寺の後継者になってくれ』と頭を下げた」と言い張る吉野日神(智応)。「だからオレは蓮華寺副住職なのだ。それを詐称と言う松本修明氏のほうがおかしい」というのが吉野日神(智応)の言い分。あれれ、おかしいですね。前回の訪問の時は、松本修明氏が「蓮華寺副住職の名刺を作れと命じて名刺を作ったのに、副住職詐称と言われた」と憤慨していた吉野日神(智応)。ところが今回は、副住職の名刺の件は引っ込めてしまい、大阪府吹田市の自宅で松本修明氏が頭を下げたことばかりを言う吉野日神(智応)。いつのまにやら、副住職任命の根拠をすり替えているのである。ウソをついている者は、時間が経つと次々と矛盾やボロが出るというが、この人物の場合も例外ではないと言えよう。ちなみに、松本修明氏は、「大阪府吹田市の自宅で、頭は下げていない」「副住職の名刺を作れとは言っていない」と全面的に否定している。副住職の話しがもはや通じないと思ったのか、今度は大津蓮華寺本堂に祀られている西山本門寺50代森本日正貫首の曼荼羅本尊の話しを持ち出して来た。吉野日神(智応)の言い分はこうである。

1 森本日正貫首の曼荼羅本尊は、貫首直筆ではなく印刷の曼荼羅に脇書を加筆しただけなのではないか。こういう曼荼羅本尊が十数体以上あるという話しまである。

2 曼荼羅本尊の年号の部分に上書きした跡がある。誤字を訂正しようとして上書きしたのではないか。

3 迹化の菩薩に南無がない。大迦葉尊者の位置が目連尊者になっている

4 松本修明氏が阿弥陀経を読経するCDを出している

実に幼稚で他愛のない内容なのだが、しかもご丁寧に、わざわざこれはこう書いた方がいいなどというメモまで渡してきたのである。

 

日神メモ1
 

(吉野日神(智応)が手渡してきた日神メモ)

 

大津蓮華寺・西山50世日正曼荼羅1
 

(大津蓮華寺本堂に祀られていると称する西山本門寺50代森本日正貫首の曼荼羅本尊)

そして吉野日神(智応)云く「仏教宗学研究会は何を書いてもいいんだ。英さんはジャーナリストだから、これを是非書いてくれ」などと言い出す始末。これには、完全に呆れ果ててしまった。こんな幼稚で他愛のない内容で、しかも証拠もなく、英昭彦の見解でも何でもないものを、そうやすやすと「仏教宗学研究会」のブログに書くわけにはいかない。当たり前のことである。しかも英昭彦は、ジャーナリストでも評論家でもなく、吉野日神(智応)の用心棒でもない。吉野日神(智応)としては、何が何でも英昭彦に松本修明氏批判を書かせたい魂胆のようだが、当然、英昭彦は吉野日神(智応)の要求を全面拒否。「どうしてもというなら、自分の辻説法ブログで書けばいいじゃないか」と言下に断った。ところが吉野日神(智応)はしつこい。日神メモの他、フラッシュ撮影した森本日正貫首の曼荼羅本尊の写真やら、さまざまな写真を押しつけて、「どーしても書いてくれ」「いや断る」の押し問答がつづいた。あまりにしつこいので、「じゃあわかりました。全部、吉野日神(智応)氏の見解だと書きましょう」と言うと、「それはやめてくれ。英さんの見解として書いてくれ」と言う吉野日神(智応)。ここに至って、いい加減、頭にきたので、「こんなことばかり言うのなら、これで帰りますよ」と言うと、ここでようやく、わけのわからない要求を吉野日神(智応)が取り下げたのである。

 

吉野智応2
 

(吉野日神(智応))