■論破15・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く15

 

□仏教僧侶なのに足が不自由な為に正座ができず、ほとんど勤行をサボりまくっていた吉野日神(智応)

 

さて、再度、姫路仏眼寺に行って吉野日神(智応)を問い質そうと、まずは吉野日神(智応)に連絡をとったのだが、今度は、最寄り駅まで迎えに行くからレンタカーでは来ないでくれ、の一点張り。

「イヤ、結構です。レンタカーで行きます」と英昭彦が言っても、どーしても最寄り駅まで迎えに行くと言って聞かない吉野日神(智応)。まるで子供のだだっ子のようである。仕方がないので「じゃあわかりました。最寄り駅の余部までは電車で行きます」と返事した。すると今度は、「仏眼寺に泊まって行ってくれ」と言い出す吉野日神(智応)。英昭彦は、姫路駅前のビジネスホテルに予約しており、仏眼寺に宿泊するというのは、当然拒否。しかし、必要以上のしつこさを見せていたので、何かこの男、下心があることがありありと窺えた。

20129月、再度、姫路仏眼寺を訪問したのだったが、しかしこの時ほど、寺院へ行く足どりが重かったことは、近年、なかった。JR余部駅まで電車で行くと、吉野日神(智応)が車で迎えに来て、仏眼寺に行き、再び話しをすることに。今回は、仏眼寺本堂入り口玄関に「仏眼寺」の額が掲げられており、前回訪問時に、須弥壇の阿弥陀如来像の両隣に掲げられていた吉野日神(智応)書写の大曼荼羅は外されていた。

ところがその日の吉野日神(智応)、もう午前9時をおおきくまわっていたというのに、「まだ勤行していない」などと言っている。しかし、朝食はしっかり食べたとのこと。その日一日は、昼食をはさんで、ずーっと二人で話をして、夕方は姫路市内の居酒屋へ入る。吉野日神(智応)は仏眼寺へ帰り、英昭彦は予約していたホテルへ帰った。結局、この日は吉野日神(智応)は、朝も夕も勤行をしていない。勤行さぼりまくりの創価学会員か法華講員そのものという感じ。後日、松本修明氏に聞いてみたところ、吉野日神(智応)は足が悪いので、正座して勤行が出来ないのだという。しかし正座して勤行しなくてもむ、椅子に座って勤行すればいいではないか。勤行しないというのは、正座するしないは関係ない。当人の信仰心の問題で、僧侶の吉野日神(智応)が勤行をしないというのは、当人がいかに無道心の人間かということではないか。

本堂で、真宗木辺派本山・錦織寺の親鸞七百五十遠忌大法要の写真集を見せられる。その後、二人で話を始めたが、また例によって松本修明氏の罵詈雑言が機関銃のように吉野日神(智応)の口から出てきた。その話の内容は、前回の訪問時と同じ。「また、この話しか」。前回と同じ松本修明氏への罵詈雑言を聞かされたのでは、何のために姫路まで来たのか、わからなくなってしまう。余りにも話の内容がひどい内容なので、ここははっきり直言した。

「『アンチ日蓮正宗』の松本修明氏の取り上げ方としては、1970年の正本堂供養金返還訴訟、保田妙本寺との関わりであり、それと大津蓮華寺の問題は別のことですよ」

とクギを刺した。するとたったこれだけの直言で、吉野日神(智応)は黙り込んでしまった。

 

吉野寺院4
 

(姫路仏眼寺)

 

 

 

酒の勢いで「オレは人から『和尚』と呼ばれたいから僧侶になったんだ」と本音を吐露した吉野日神(智応)

 

20129月の訪問時は、英昭彦は意を決していたので、前回のようなわけにはいかない。今回は、次から次へと吉野日神(智応)のボロが出たのである。

松本修明氏の罵詈雑言話しにクギを刺された吉野日神(智応)が持ち出して来た話題は、大石寺の「戒壇の大本尊」偽作説の話し。吉野日神(智応)は、美濃周人氏のファンで、美濃周人説にずいぶん入れ込んでいた。吉野日神(智応)は、曼荼羅書写をやっていたので、あたかも「曼荼羅本尊評論家」のように振る舞っていたが、しかしこの男、「戒壇の大本尊」偽作説については、美濃周人説以上のものを持ち合わせておらず、しかも「曼荼羅本尊評論家」を自称するわりには、「戒壇の大本尊」の写真ひとつも持っていない。「写真、持っていないんですか」と聞くと、やたら写真がどーのこーのと言い訳する吉野日神(智応)。そこで英昭彦は、その時、資料として持っていた「戒壇の大本尊」の写真一枚を吉野日神(智応)に手渡したのである。びっくりした表情の吉野日神(智応)。すると、吉野日神(智応)は、ある人物の名前を出して、「この人が『戒壇の大本尊』の写真を持っているから、どうしてもこの人から入手したい。英さん、仲介してくれ」などと言い出す。仲介も何も、その人物は英昭彦が全く見ず知らずの人物である。「写真が欲しければ、ご当人に直接連絡なさって下さい」と言って断り、吉野日神(智応)もこれでチューンとなってしまった。

さて吉野日神(智応)は、仏眼寺に入ってから、葬式や法事が多く入ってきて、これで多額の布施が吉野日神(智応)の懐に転がり込んできて、大喜びしていた。なぜ葬式・法事がたくさん入ってくるのかというと、真宗門徒の中でも西本願寺門徒は葬式費用があまりにも高いため、費用を安く上げたい人が、仏眼寺に依頼してくるのだという。これは今、流行の「小さな葬式」など、葬式費用を格安で上げる企業と連合しているものと思われる。それにしても吉野日神(智応)は、葬式依頼がたくさん入ってくると言って、大喜び。「仏眼寺に来たら葬式依頼がたくさん入ってくる。蓮華寺の時はゼロだった。あそこは、どうしようもない。僧侶になっても食っていけなければどうしようもない。」などと言い、いかに仏眼寺に来て、葬式依頼で懐が潤ったかを自慢する吉野日神(智応)

そして給料がどーのこーのよりも、葬式がたくさん入ってくれば、生活は成り立つという話しから、大津蓮華寺の時は、松本修明氏から「自分で葬式を受けて、生計を立ててやっていってくれ」と言われていたと思わず吐露した吉野日神(智応)。あれれ、松本修明氏は給料支払いを約束したのに、支払わないから偽りの寺だと怒っていたのではないのか。最初から葬式を受けて生計を立てるように言われていたのなら、吉野日神(智応)のウソ話しが総崩れになる。

さらに吉野日神(智応)は、20127-8月にかけて、葬式・法事が毎日のようにつづき、多額の布施が入ってきたので、「今夜は呑みに行きましょう」などと言い出す。

あまり気が乗らなかったが、その日の夜は、姫路市内の吉野日神(智応)の行きつけの居酒屋に入る。ここでわかったのだが、吉野日神(智応)という人は、かなりの酒好きで大酒飲みである。ビールをガンガン呑みまくり、気持ちが大きくなったのか、酒の勢いで本音を喋り始めた。

「オレは人から『和尚』と呼ばれたいから、僧侶になったんだ」と、女性店員に喋る吉野日神(智応)。あれれ、在家時代から曼荼羅書写をやっていたから、高山智正氏から「それだったら僧侶になれ」と言われて出家したのではないのか。こうして次から次へと吉野日神(智応)のボロが出たのである。しかし僧侶を「和尚」と呼ぶのは曹洞宗、臨済宗である。日蓮宗系では僧侶を「和尚」とは呼ばない。吉野日神(智応)は、出家した宗派を間違えているのではないだろうか。()

 

吉野智応2
 

(吉野日神(智応))