■論破14・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く14
□姫路仏眼寺で「アンチ日蓮正宗」管理人にウソ八百のデタラメ話しを語っていた吉野日神(智応)
松本修明氏が塔婆を切り刻んだとしても、それがどうして問題なのか。別に問題のある行動とは思えない。文字が下手だというのは、少しだけ同意できますかね。さらに松本修明氏がたまに大津蓮華寺に来た時に、大津蓮華寺住職、代表役員として、吉野日神(智応)にあれこれをやれと指示したらしいのだが、吉野日神(智応)は「そんなことは、自分でやってくれ」と拒否したというのである。これは大爆笑。さしずめ命令拒否、服従拒否。ストライキといったところか。大津蓮華寺の留守番として住み着いていた僧侶(自称・副住職)が、住職・代表役員の命令・指示を拒否したとなったら、これはトラブルになるでしょうね。聞いていて思わず笑ってしまったのである。
松本修明氏への罵詈雑言だけでは飽き足らないのか、吉野日神(智応)は、富士門流執着軍団の大木道惠、犀角独歩からインターネット上で交流があったと称する某ブチ切れ男、さらには仏眼寺に来たことがあるという桜千歳、佐藤某、不動心から、弟子にしたことがある某人に至るまで、ありとあらゆる罵詈雑言を並べたてる有様。
あまりにも誹謗中傷・罵詈雑言ばかりを並べたてるので、「ここには、参詣する人は来ないんですか」と吉野日神(智応)に質問してみた。すると、かつて松本修明氏の下にいた二人が、今度、仏眼寺に来ることになっていると自慢げに言う吉野日神(智応)。しかし、その二人というのは、つい今し方、罵詈雑言の限りを吉野日神(智応)自身が口にしていた人物である。まさに口で言っていることと、実際の行動が食い違っている、支離滅裂の吉野日神(智応)。自分では、自分で言っていることと、やっていることの矛盾に気づいていないのだろうか。
「松本上人の話しの他に話題はないんですか」と聞くと、大石寺の「戒壇の大本尊」のレプリカの話しをはじめた吉野日神(智応)。しかしよくよく聞いていると、吉野日神(智応)の話しの内容は、美濃周人氏の著書「虚構の大教団」に書いてある内容と全く同じ。そこで英昭彦が「その内容は、『虚構の大教団』に書いてありますよねー」と指摘。すると吉野日神(智応)はびっくりした表情で絶句し、またまたチューンとなって沈黙してしまった。
結局、この日は朝からズーッと仏眼寺で吉野日神(智応)の話を聞いていたが、自分の書写した曼荼羅本尊の自慢話と、松本修明氏の他、自分に縁がある人たちの罵詈雑言しか出てこない。吉野日神(智応)という人物が、いかに内容が無い人物であるかということがよくわかったので、帰ろうとしたのだが、これがなかなか帰してもらえない。「もう帰るんですか」「もう少し居て下さい」「明日も来て下さい」「明日は他に行くところがありますから、来れません」…こんな押し問答がつづき、「ホテルのチェックインの時間があるので」と言って、ようやくここで仏眼寺を退出。レンタカーに乗って仏眼寺を引き上げ、姫路駅前のホテルに向かった。
(姫路仏眼寺)
□吉野日神(智応)の大津蓮華寺退出・真宗木辺派入門の真相を語った画家A氏と大津蓮華寺住職・松本修明氏
英昭彦としては、姫路仏眼寺に行って吉野日神(智応)の不審点について問い質したかったのだが、結局は、曼荼羅本尊書写の自慢話と、松本修明氏の罵詈雑言の限りを聞かされて終わってしまった感じになった。吉野日神(智応)が出家した機縁は、在家時代から曼荼羅書写をやっていたところ、大日蓮宗の高山智正氏が「なんで曼荼羅書写をやっているのか。それだったら出家して僧侶になれ」と言われ、大日蓮宗の僧侶になったと独白したが、なぜ創価学会をやめたのか、なぜ法華講をやめたのかについては、全く言及はなし。
真宗木辺派の僧籍を取った機縁は、大津蓮華寺で松本修明氏とトラブルになり、母親がストレスで病気になった。それで大津蓮華寺を自ら離山したが、それで住む所がなくなった。それで大日蓮宗・高山智正氏に相談に行ったら、「それだったら、真宗木辺派に住職不在の寺があって、住職のなり手を捜しているから、そっちへ行け」と言われて、真宗木辺派に行ったという。それで真宗木辺派の僧籍を取り、仏眼寺に入寺。「オレは念仏に救われた」と言う吉野日神(智応)。しかし木辺派の僧籍は取ったが、まだ教師ではない。「教師になったら、住職にもなれるし、弟子だって取れる。教師になったら、オレはここの住職だ」…こんな話しであった。
しかしこれもまた、おかしな話しである。大日蓮宗の高山智正氏が、なんでまた真宗木辺派を紹介するのか。大津蓮華寺を離山はた後、高山智正氏が大日蓮宗の寺院を紹介したというのなら、まだわかるが、真宗木辺派を紹介するなど、どう考えても有り得ない話しである。
「おかしな話しだな」と思っていたところ、2012年4月に事件が起こった。それは吉野日神(智応)の友人の画家A氏が、金沢市兼六園のすぐそばの石川県立美術館広坂別館で個展を開くから「見に行ってやってくれ」というものであった。ちょうど2012年4月11-13日にかけて、仏教宗学研究会で兼六園花見会を行う予定であったので、この画家A氏の個展鑑賞に行ってみたのである。
個展そのものの鑑賞は、何の変哲もないロマン派の絵画の鑑賞だったのだが、鑑賞が終わった後、英昭彦とA氏の懇談になった。二人で絵のこと、金沢のことが話題になったが、そのうち、二人の共通項である吉野日神(智応)のことも話題になった。A氏が吉野日神(智応)と知人になったのは、創価学会をはじめカルト宗教のことを、吉野日神(智応)に質問して、吉野日神(智応)が答えたことがきっかけ。そのうち、A氏が吉野日神(智応)から教わった話しを次々と披瀝し始めた。
「仏眼寺に来る前は、滋賀県の大津市にある蓮華寺で留守番をしていたが、住職と意見衝突を繰り返し、副住職を詐称していたことがバレて、内容証明を送りつけられてクビになり、蓮華寺から追放された」「住む所がなくなって困っていた所、在家時代の石屋の紹介で真宗木辺派に入った」…
こんな話しを笑いながら英昭彦に喋りまくるA氏。後日、松本修明氏に確認したところ、松本修明氏は、松本修明氏に無断で副住職を詐称していたこと、蓮華寺の中にあった絵画を無断で持ち出したこと、さらにその他の不行跡でクビにして蓮華寺から追放した。その後、石屋の紹介で、最も簡単に僧籍が取れる真宗木辺派に入った、と言っていた。吉野日神(智応)は、自分では松本修明氏の詐欺師ぶりに憤慨して、自分で大津蓮華寺から離山したと言っていたが、事実は全く逆。松本修明氏からクビになって蓮華寺から追放され、高山智正氏の紹介ではなく、石屋の紹介で真宗木辺派に入ったというのが真相であった。はからずしも、この時、吉野日神(智応)のウソがことごとくバレたのである。さらに東京に帰った後、「アンチ日蓮正宗」に次々とメールが飛び込んで来た。
「吉野日神(智応)が英昭彦と付き合っているのは、『アンチ日蓮正宗』から勝手に退会したので、ブラックリストに載せられてしまうのを怖れているからだ」「大津蓮華寺副住職を無断で名乗っている」「吉野日神(智応)は松本修明氏を殺してやりたいと言っている」…。
これらのメールの内容も、ことごとく吉野日神(智応)のウソをひっくり返す内容のものばかりである。吉野日神(智応)の言っていることがウソ、ガセネタならば、吉野日神(智応)に嘗められているということであり、はっきり問い質さねばならない。吉野日神(智応)の言っていることがウソ八百ならば、こんな男と付き合っていく理由は何もない。しかしメールの内容を全て頭から信用するわけにはいかない。まずは吉野日神(智応)を問い質さなければならない。こういったことから、2012年9月に、再び仏眼寺を訪問することにしたのである。
(吉野日神(智応))
コメント