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トム・ハンクス Photo: Daniel Dorsa / The New York Times

トム・ハンクス Photo: Daniel Dorsa / The New York Times

ニューヨーク・タイムズ(米国)

ニューヨーク・タイムズ(米国)

Text by Taffy Brodesser-Akner

トム・ハンクスといえば「いい人」の代名詞のような俳優だ。役柄でもプライベートでも、彼のいい人っぷりを明かす話は枚挙にいとまがない。

だがその生い立ちは、恵まれたとはとても言えないものだった。そんな状況のなかで、彼は楽観的に生きる術を身につけたのか──。米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者が取材した。

2019年9月、トム・ハンクスが子供番組の司会者ミスター・ロジャースを演じた新作映画『ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド』が、トロント国際映画祭で初上映された。その翌日、ハンクスは、私との約束の時間よりも早く来て、廊下のベンチに座って広報担当者らと冗談を交わしていた。

取材相手が2時間遅刻してきたことはあっても、こんなふうに俳優が約束の時間より前に来ていることは、これまでなかった。ハンクスはこう言う。

「ずいぶん昔に、約束には少し前に到着することの大切さを知った。つまり準備をしておく。仕事のあらゆる過程をリスペクトするのは、ほかの人がそうしていないときもできることだと思うんだ」

というわけで、トム・ハンクスはまさに期待通りの“いい人”だった。ただし、彼について何か面白い記事を書こうとしている私のような記者にとっては、素晴らしいこととは言えなかった。「聖人のようなミスター・ロジャースを演じた聖人のような俳優は、まさしく聖人のようであった」──そんな記事は面白くない。

だが、どうすればいいというのか。目の前に座るハンクスは朗らかで、こちらにしっかり注意を向け、前向きなエネルギーに溢れていた。

“煽る”記者を見分けられる


トロントでの最初のインタビューで、ハンクスは透明フレームの眼鏡をかけ、次の映画撮影に向けてヒゲをたくわえていた。

彼はインタビュー中、「なんてことだ」「それはすごい」「たまげたね」と言った。彼は歴史にも情報にも情熱を抱き、そして情熱そのものにも情熱を抱く。そしてなぜだか思い出せないが、話の途中で米国憲法の前文を暗唱した。

俳優へのインタビュー記事のおかげで映画の興行成績が伸びるような時代は、とうに過ぎた。それでもハンクスはインタビューを受けることを厭わない。もっとも、彼は「扇情的な見出しをつけることが目的の記者を嗅ぎ分けられる」のだという。たとえば「離婚について聞かせてください」と言ってくるような記者たちだ。 

公の場にもたびたび姿を見せるハンクス家。妻リタとの息子であるチェスター(左から2人目)とトルーマン(右端)とともに
Photo: Axelle / Bauer-Griffin / FilmMagic / Getty Images


1985年、ハンクスと彼の最初の妻で、長男コリンと長女エリザベスの母親であるサマンサ・ルイスは離婚した。その3年後、ハンクスは映画『ピース・フォース』で共演したリタ・ウィルソンと再婚。以来、ハンクスとウィルソンはずっと夫婦で、2人のあいだにはチェスターとトルーマンという2人の息子がいる。

ハンクスの婚姻歴にはこれといったドラマはない。このため彼は先のような質問には「え、何? 僕たち離婚したの!?」と答えるのだという。

私は、こうした記者とさして変わらないぶしつけな質問をした。彼に「ダークな面はあるか」と訊いたのだ。すると彼はこう答えた。

「あるとも。それをニューヨーク・タイムズに語れるときがついに、ついに、きたんだね」

ハンクスが質問を避けるようなことはなかったが、自分の話をとうとうとまくし立てることもなかった。彼には、人に自分のことを知ってもらいたいという欲求がない。とはいえ、ほかの映画スターにありがちな、記者を見下すような面もない。

もしかしたらそれは彼が記者に本当の意味で嫌なことをされたことがないからかもしれず、また彼が真実を信じているからかもしれない。彼は言う。

「これまで読んだなかで最高の記事は、僕が記者と過ごした時間を正確にみつめた記事だった」

記者のために予定を変更


ハンクスが初めてタイプライターを手に入れたのは、19歳のときだった。このことを彼は私との2度目のインタビューで語った。ニューメキシコ州サンタフェで、ハンクスは『ニュース・オブ・ザ・ワールド』の撮影中だった。取材をした日は日曜日で、彼は息子のトルーマンとブラッド・ピット主演の映画『アド・アストラ』を観てきた後だった。

ハンクスはその日、私のためにプライベートの予定を変更してくれた。サンタフェは標高2100mの高地にあり、私は朝目覚めると息苦しく、病院の救急に行って酸素を吸入してもらった。このため、ハンクスは予定より早い時間の上映に行き、ホテルの会議室に予定より早くきて、私が早くサンタフェを発てるようにしてくれたのだ。

歯の磨き方を知らない幼少時代


ハンクスはカリフォルニア北部で育った。5歳のときに両親が離婚すると、兄と姉、そして彼は父親と暮らすことになり、弟だけが母親と暮らすことになった。父親にも母親にも余裕はなく、生活をやりくりするだけで精一杯だった。父親はいくつもの小さなレストランで働き、再婚を繰り返し、家族は数ヵ月ごとに引っ越した。

父親が長時間働くあいだ、家は子供たちだけで切り盛りした。父親が持ち帰る冷凍野菜を食べることはなく、1日の時刻は、テレビでやっている番組から推測することが多かった。ハンクスはこう振り返る。

「歯の磨き方を教わったことがなくてね。デンタルフロスも高校を卒業するまで使ったことがなかった。歯の衛生に関する知識は、小学2年生のときに見たスライドに基づいていた。そのスライドは、歯がきれいになるからといってりんごを食べることを勧めた。というわけで、『うん、りんごは1週間前に食べたから僕の歯はまずまずきれいなはずだ』といった調子だった」

だがハンクスは、両親に対して怒りを覚えたことはなく、それはいまも変わらないと言う。彼は両親が苦労する姿を見てきた。父親や母親が、彼に何かを説明したことは一度もない。その理由をハンクスはこう考える。

「彼らはどう言えばいいか、わからなかった。言葉を持っていなかったんだ。彼らは自己嫌悪や罪悪感やなんだかんだで疲れ切っていて、しかも子供は4人もいて、いっぱいいっぱいだったんだよ。自分にもいま4人の子供がいるけど、子供ができて腑に落ちた。こういうことかってね」

ハンクスはオプラ・ウィンフリーのトーク番組で「機能不全の家庭」に育ったことについて訊かれて「えっ、何のこと? ああ、うちのことか」と思ったと言う。自分の家族のことを、一度もそんなふうに考えたことがなかったのだ。

大切なものを手放した反動


だが心の底のどこかで、何かがおかしいとは感じていたはずだ。なぜなら彼は、尋常じゃない数のタイプライターを家に溜め込むようになったからだ。それこそ何百台も……。

それは、引越しのたびに自分の大切なものを手放さざるを得なかったことへの反動のようだった。63歳になったいま、ハンクスはそのことについてよく考えるという。彼は子供の頃、引っ越すことを突然告げられ、また自分で荷造りすることがなかったため、大切にしていたものをよく失くしたという。

「子供の頃から持っているものが1つもないんだ。3歳のときから持っているものもなければ、5歳のときか持っているものもない」

19歳のときに手に入れた最初のタイプライターは、友達にもらったものだという。粗大ゴミで、おもちゃのタイプライターだった、とハンクスは言う。彼がそれを修理に出すと、修理工に「これはおもちゃだ。なぜこんなものを使っている」と言われ、スイス製のタイプライター「エルメス 2000」を勧められて購入した。それはいつしかなくなってしまい、もう1台買ったが、「それを所有できること、自分でどこにでも持っていけることが嬉しかった」という。

ハンクスがタイプライター好きなのはなぜか。彼はこう話す。

「芸術と工学が見事に融合したものだからだ。いや、芸術と工学と目的だね。タイプライターは1台1台、まるで誰かの手の指紋のように違う。だからタイプライターで文章を打つたびに、それはこの世に1つだけの芸術作品になるってわけだ」

ハンクスはタイプライターで打ったような文書をスマホ上で作成できる「Hanx Writer」というアプリまで開発した。【つづく】