【教養】思考・不安・正義などの名言6選。パスカル『パンセ』より

メンタル

17世紀のフランスの科学者・社交家・神学者としての顔を持つパスカルの名著『パンセ』。
「考える葦」や「クレオパトラの鼻がもし低かったら…」のような名言で知られています。

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パスカルとパンセ

 ブレーズ・パスカルは1623年にフランスで生まれた科学者。例えば、パスカルの定理、あとは気圧を示すヘクトパスカルなどが業績だ。

毎日の天気予報にその生きた証を残してるわけか。

 日常生活での登場頻度ではソクラテスやデカルトより多いね笑

 さて、アラサーのパスカルは世俗時代と呼ばれる時を過ごす。パリの社交界で遊んだ時期だ。

 その後、キリスト教に深く帰依する。そして、自分の教派のための神学書『キリスト教弁証論』の執筆メモ群がこの『パンセ』だ。それは現代にも伝わっている。

「人間は考える葦である」

「クレオパトラの鼻。それがもっと低かったなら、大地の全表面は変わっていただろう」

は今でも語り継がれる名文句だ。

ここからはパスカルの残した名言をいくつかピックアップしてみよう

名言:人間とは考える葦である

人間とはひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。しかしそれは考える葦である。(中略)われわれの尊厳のすべては考えることのなかにある。(中略)考えることによって、私が宇宙をつつむ。

考えることの大切さを言った有名な名句だね

 あしというのは水辺に生えているイネ科の植物。自然と常に隣り合わせで、川が氾濫すればなす術もない。そんな脆弱な存在。

 夜空を見上げたことがあるだろうか。数多あまたもの歌が歌うように、自然・宇宙と比べたら一人の人間とはいかに矮小な存在かがわかる。

 けれど、この小さき者にも誇るべきものがある。それは「考えること」だ。

 宇宙は偉大だ。だけれど、考えることはできない。

 何が偉大か、何が偉大でないかもわかることはできない。人間がいなかったら偉大だと評価するものもいない。どのような法則に従って自己展開しているのかも知られない。

 一方で、人間は考えることができる。考えることで自分よりはるかに大きな存在である宇宙を包み込むことができる。

 17世紀の科学者出身の神学者は、そこに人間の本質を見たのだった。

この名言のポイント
  • 人間は小さな存在である
  • その尊厳は「考えること」にある

※もちろん、「理性のあるか否かで、文明と野蛮を分ける」ギリシア以来の西洋の伝統的発想と、科学者兼宗教家としてのポジショントークもある。だから、「自分は頭が悪い」と落ち込まないで!

名言:漠然とした不安の原因とは?

今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむなしさに対する無知とが、定めなさの原因となる

定めなさって「今のままじゃダメな気がする」みたいな不安かな。

 そう。ふわふわとした漠然とした不安感。これが定めなさだ。

 現状の環境のもとに享受できている利益を否定して、今ない場所に思いをはせる。例えば大企業に勤めるサラリーマンが脱サラの闇を知らずに… みたいにね。

 パリの社交界を見てきたパスカルらしい名言だ。

この名言の要点
  • 「今」に目を向けろ
  • 他の可能性に囚われるのが漠然とした不安感の原因

 ちなみに、このテーマを扱った小説には京大が舞台となった『四畳半神話大系』がある。

名言:不安の解消法は?

あることについての真理が知られていない場合、人間の精神を固定させる共通の誤りがあることはよい事である。(中略)人間の主な病は知り得ないことについての落ち着かない好奇心。

 考えても仕方ないことは考えない。時には時代の流れを受け入れて、身も心も持ってかれないようにしないといけない。心だけは自分のものだ。

 「将来どうなるんだろう?」「このままでいいのかな」「この努力は実るのかな」そんなことはわからない。

 だったら、自分にとって得になる考えを信じてみよう。「嘘から出たマコト」のように成功するかもしれない。思考は現実化するともいう。

 一つ前の名言とも相性がよろしい。

 共通の「誤り」と言い切ってるところも、人間の限界に対するさっぱりとした諦めがあって痛快だね。

この名言の要点
  • 考えても仕方のないことは考えない
  • 間違っててもいいから信じることが大事

名言:よい説得の方法とは?

 人を有益にたしなめ、その人に間違っていることを示してやるには〜(その人が物事を眺めている方面では)真であることを認めてやり、そのかわり、そこからは誤っている他の方面を見せてやる。

 彼はそれで満足する。なぜなら彼は自分が間違っていたのではなく、ただ全ての方面を見るのを怠っていたのだということを悟るから。

論理的にあってても、反感を抱かれちゃ意味ないからな

 論理的な反論は、「あなたは頭が悪い。私の方が頭が良い」と言っていると捉えられがち。

 そこでパスカルが提案するのは、相手の視点から見た論理的な正しさを認めてあげた上で、新しい視点ではこのように見えると提示すること。

 その時には、相手は自分の意見自体は否定されないので、自尊心を傷つけないということだ。

 受験英語でいう譲歩・逆説構文(Although 〜However〜.)だ。

 視点を変える意見。これが俗にいう鋭い意見というもの。

私はこんなにうまくいかないと思う。

 (Although) 確かに、パスカルと付き合う人は理性的でしょうから、鋭い意見を見抜く力もあり、自尊心を傷つけられないでしょう。

 (However) しかし、我々庶民の周りの人は平民階級で必ずしも理性的でないため、鋭い意見を人身攻撃と勘違いして、自尊心を傷つけられる人も多いでしょう。

 (主張) だから、私たちがこの名言を鵜呑みにするのは良くないですよね?

 (補足) しかも、鋭い意見って出すの難しいですよね。

・・・その通りでございます。
頭のよい上司・センパイに使ってください。

この名言の要点
  • 反論するときは相手の主張を認めてやる
  • 新しい視点から見ると…と反論してやる
  • ※我々平民が使うときは注意せよ

名言:雄弁とは?

一、話しかける相手の人たちが苦労しないで 楽しく聞けるようにする

二、彼らがそれに関心を抱き、自愛心にかられて進んでそれについて反省するようにし向ける

 これはマーケティングの際は気をつけたいお話だ。

 パスカルによれば、人を動かすとは「聴き心地がいいこと」、「利害に訴えかけること」なのだな。まことに合理的だ。(∵自愛心とは利己心のこと)

ちなみに、利害というのは人によって使い分けないといけない。

 例えば、ビジネスマンとっては費用を回収して利益を得られることが重要だ。逆に、誇り高き者たちは、金では動かず権威に弱かったりする。着飾るのが好きな連中(一部の女子高生、男子高校生とか)には「かわいい」「かっこいい」「センスがいい」がよく効く。

この名言の要点
  • 説得に大事なものは2つ
  • 耳ざわりのいいことをいう
  • 利害に訴える

 けれど、金があろうが全てをぶち壊すもの。多くの大企業の本社が東京に集まっている理由。そう。権力が、もっとも強い。そして、権力を支えているのは正義だ。

名言:正義とは何か?

正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのため、人は正義に力を与えることができなかった。

いわゆる「勝つことが正義」っていう発想ね

 その通り、過去の歴史は常に次の時代の勝者が編纂する。価値観もそうだ。

 最大の説得力は、論理的な正しさではなく、その人の政治力によるという身も蓋もない正義論だ。

 けれども、これは実際問題こうなんだ。原因は3つある。

少し長いけれど、「正しい」とは何かを考えるときに絶対に知っておきたい発想だ。お付き合いください。

第一に論理的思考の遅さ。

 もっとも基本的な論理は三段論法だ。

A=B、かつ、B=C。よって、A=C。

という論法だけれど、これは正しいのか?

次の例を見てみよう。

A大学の学生は頭がいい。

頭がいい人は仕事ができる。

よって、A大学の学生は仕事のできる人だ。

(と、企業人事の人が考えて、A大学出身者を優遇する)

これには次のような論理的な飛躍がありそうだ。

<一つ目の要素について>

  • A大学に実力ではなくまぐれで入った可能性
  • そもそも、入学試験で測られる数値と、頭の良さは関係がない可能性

がある以上、必ずしも正しいとは言えない。

<二つ目の要素について>

  • 学力テスト的に頭がよくてもが仕事ができない可能性(例:哲学者や数学者)
  • 学力成績が悪くても、仕事のできる可能性

がある以上、必ずしも正しいとは言えない。

つまり、それぞれの主張要素に論理的な飛躍がある。それを一つずつ潰さないといけない。

けれどそんなことはできるのか?

1つの要素をいくつに分解できる。さらに、それも分解できる。そして…

こうなると、指数関数的に思考することが増大していく。

こんなの考える切るのは無理だ。時間が足りない。だから、論理的思考は使えない。

第二に共通前提がないと成り立たない

 人間は処理能力が低く、過去の議論を全てインプットすることはできない。

 そんな人類にとっての論理とは、共通前提に即して論理的な形式で主張を組み立てることだ。

 しかし、共通前提は崩れうる。例えば、戦後長らく支配的だったこちらの主張は崩れかかっている。

A大学の学生は頭がいい。

頭がいい人は仕事ができる。

よって、A大学の学生は仕事のできる人だ。

(と、企業人事の人が考えて、A大学出身者を優遇する)

 これでわかったろう。

 さっき言った通り、論理的な正しさとは、共通前提がないと成り立たない。そして、共通前提に即して議論をする限り、そこに時代を超える力はないんだ。けれど、これは人間の脳の処理能力の限界によるものだからしょうがない。

 ここに論理の限界を見ることができる。

分散型ネットワークみたいに、アップデートを通じて過去の全ての情報が共有されるのならそんなことにはならないんだけどね。まあ、そうなったら、人間は個体じゃなくて、端末か。

 こうして、論理的思考の「どの時代でも通じる結論を出すという真の意味」での実用性は否定されたわけだ。

 でも、あれ待てよと。なら、なんで共通前提ってやつが作られてるんだ?

第三に、共通前提を作るのは力のある者という話

 それは簡単な話。論理的に正しいかどうかは抜きに考える。それでもどの時代にも社会には「俺が正統という顔作って目立ってる奴」がいる。もちろん、ただの狂信者には誰も従わない。実績を元に築かれた自信と虚構。この目に見えてわかるもの、これが力だ。

 その雰囲気が共通前提を作る。そして、その共通前提が引用されれば、論文と同じようにそれは正義となり力となるというわけだ。

 力を持つ人が利用するもの。大昔なら、「神」かもしれない。ちょっと前は、「お上」かもしれない。今は「論理や科学」かな。力に従うという点で、人間の本質は変わっていないのである。

この名言の要点
  • 正義を決めるのは論理ではない
  • 正義は力によって決められる
  • ※論理もこの時代に特有の「力」に過ぎない

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あとがき

編集後記(No.22)

本ブログでも多く引用する『パンセ』。少しドライですが、知性とはなんたるかを教えれくれます。(2019/12/26)

参考資料

・パスカル『パンセ』、前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年

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