Developer
川田十夢
「ぼくが考えている拡張現実」のほうが、
現実より500万倍くらいおもしろい。
「AR三兄弟」という開発者ユニットの“長男”である川田十夢は、いまから10年以上も前から拡張現実(AR)の可能性について真剣に考え、ときに笑いに昇華させながら実装を試みてきた。ジャンルを越境しながら道なき道を切り拓き、エンターテインメントやアートなどのあらゆる領域において“発明”を続けてきた川田に、その原点を訊いた。
PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU
TEXT BY RIE NOGUCHI
2019.11.20 Wed
Profile
川田十夢
TOM KAWADA
1976年、熊本県生まれ。公私ともに長男。通りすがりの天才。開発者。1999年、大手ミシンメーカーに就職。面接時に書いた「未来の履歴書」の通り、同社Web周辺の全デザインとサーバ設計、全世界で機能する部品発注システム、ミシンとネットをつなぐ特許技術の発案など、ひと通り実現。雑誌『WIRED』にコラム「WAY PASSED FUTURE」を連載中。毎週金曜20時からJ-WAVE(81.3)『INNOVATION WORLD』が放送中。企画・構成・出演・編集をつとめた冠テレビ番組『AR三兄弟の素晴らしきこの世界』がレギュラー化決定。毎年恒例のAR忘年会2019 を12月14日(土)に開催。自身のTVBros.連載をまとめた書籍が2020年春に発売される。
AR三兄弟の長男、通りすがりの天才、開発者──。川田十夢は、さまざまな肩書きをもっている。彼が10年以上も前から実装に挑んできた拡張現実(AR)は、技術の進化に伴ってようやく世の中から注目されるようになり、スマートフォンでも気軽に体験できるようになりつつある。やっと時代が追いついた──と言いたいところだが、川田に言わせると必ずしもそうではないらしい。
白衣にヘルメットといった出で立ちで、パリコレクションのライヴ配信からコントまで、ジャンルを越境して“発明”を披露し続けてきた川田。その頭のなかは、いったいどうなっているのだろうか。
──川田さんはARの最前線でその実装に挑み、さまざまな“発明”を生み出してきました。いわば未来を先取りするようなアイデアを次々にかたちにしてきたわけです。そんな川田さんの原点をお聞きしたいのですが、いったいどんな少年時代を過ごしてこられたのですか。
夢見がちな少年でした。それでいて、いろんなものを習わなくてもわかってしまうようなところがありました。「サヴァン症候群」と医師に診断されて、「普通の小学校には行けない」と言われた。病院からの帰り道、悲しそうな母親の表情を覚えています。
当時のぼくは人と話すのが面倒で、言葉という伝達手段をレヴェルが低いものだと思っていた。だから、わざとしゃべらなかった。そしたらうっかりサヴァン症候群と診断されて、明るい印象の母はずっと悲しそうな顔をしてるし…。それをきっかけに、ダサいけど言葉を発しようかなって。
優れた発想力と革新によって「新しい未来」をもたらすイノヴェイターたちを支えるべく、『WIRED』日本版とAudiが2016年にスタートしたプロジェクトの第3回。世界3カ国で展開されるグローバルプロジェクトにおいて、日本では世界に向けて世に問うべき"真のイノヴェイター"たちと、Audiがもたらすイノヴェイションを発信していきます。
──そのころはどんなことに興味をもっていましたか。
メカニズムが好きでした。何をやってもそれをつくった人が気になる。任天堂のファミリーコンピュータのゲーム「アイスクライマー」に出てくる滑る氷はどういう数式になるだろう。プログラムという概念をそのときは知らなくて、勝手な方程式みたいなものを書き残してました。
──実際に何かつくったりしていましたか?
いろいろありますが、「空飛ぶ傘」とかをつくっていましたね。強度計算なんてできていないのに、「空を飛びたい!」と傘を拡張して。自分なりの数式では、傘1本を広げて階段を3段ぶん降りるとフワっとなる。だから、これをどんどん足し算、掛け算していったら、そのころ住んでいたマンションの11階のベランダからも降りられると思ったんです。飛び降りようとした瞬間、母親に呼び止められて九死に一生を得ました。
──それは危なかったですね…。やはり当時から“つくること”がお好きだったんでしょうか。
そうですね。ただ、サヴァン症候群の特徴だと思うのですが、定期的にしゃべるのが面倒になる。中学のときも人間関係が面倒なのと、人が多すぎて嫌で嫌で、ずっと机に突っ伏してました。生徒数が多いマンモス校でしたから、そういうやつに生徒も教師もいちいち構ってくれない。学校へ行っても誰も話しかけてこない。いじめられてもいない。完全な透明人間になってしまって、クラスでは声が大きいだけのやつがおもしろいとか言われてて、それもまた嫌だなと思って。ある日、自分のなかで「人気者になろう」という企画を立てて打って出た。
いち早くAR技術の社会実装に取り組んできた川田十夢。子どものころからつくることに興味をもち、独創的な“発明”を繰り返していたという。
──うまくいきましたか。
はい。すべてイメージ通り。当時、宮沢りえの写真集が出た時期で。中学生にしてみれば、裸だし、エロいしで、興味はあるけれど、どう対応していいかわからずに触れられない。そこで、ぼくは写真集の新聞広告をバーンと黒板に貼り出して、「この写真集を予約しました。読みたい人、貸してあげるから、川田十夢まで」と黒板に書いた。
中学生からすれば大胆な行動で、ちょっとエロいことを言ったりするだけで「あいつむっつりスケベだ」と言われるなか、こんな大胆な行動に出る中学生はいなかった。そこから価値変換が起こって「川田=大胆でおもしろいことやる」に変化してゆきました。
──人気者になろうと決めて、企画を立てて、きちんと成果を出しているのはすごいですね。
IQが異常に高いんです。小学校の帰り道に白衣を着た人たちからいろいろと聞かれたりしていて、怖くなって保健室に駆け込んだ。そしたら保険室に常駐してる先生が教えてくれた。「こないだ学力テスト受けたでしょ? あの数値が異常に高くて、みんな驚いたのよ。トムくんはほかの生徒と脳のつくりが違うの。だから自分で考えていることが周囲に伝わらないとか、悔しい思いをこれからたくさんすると思う。でも、伝えようとすることを諦めてはいけません」って。あの言葉がずっと残ってもやもやしてた。
だから高校では、この伝わらないギャップみたいなものが楽しく伝わるような企画性をもとうと思いました。ぼくもいずれは社会と接続するだろうから、何かユーモアの力学で数字を残したい。だから高校では「なるべく遅刻をして、毎回違う遅刻の理由を言う」ということに挑戦しました。いまでいう大喜利感覚ですね。可能な限りお題に答えたかったので、300回くらい遅刻しました。これも全国トップクラスでした。
毎回みんなの前で遅刻の理由を言って、ひと笑いとるという使命感に駆られていました。当時の連続テレビ小説の顛末を報告したり、続きを予想したり。だからNHK「あさイチ」の“朝ドラ受け”は、ぼくのほうがだいぶ早いです。あとは天候。「風が強すぎて向かい風で来られませんでした」とか、逆に「追い風で隣の高校まで行っちゃいました」とか。そういう禅問答みたいなことをひとりでやってました。いわば、遅刻というマイナスのイメージを笑いで価値変換してました。
──“笑い”はいまにも通じるところがありますよね。でも、何が使命感を感じるほどのモチヴェイションになっていたと思いますか。
学校の勉強は下らなくて、いちいち習わなくてもすぐ分かってしまう。人に倣った頭のよさをいくら競っても楽しくなかった。それよりも、重いものを軽くしたり、軽いものを重くしたり、という質量変換の特徴点、支点・力点・作用点みたいなものを自ら見つけだして何か行動するのがおもしろい。点数のつけようがないものですが、当時からいろいろなアイデアを実装してました。
──大学は商学部なんですよね。これまでのお話を伺っていると、美術系の大学も選択肢にあったのかなと思うのですが。
美大に行ってアートをやるのは“当たり前”、ベタですよね。そもそも表現なんて、学ぶものじゃなくて自ら探求するもの。だからあえて商学部で“表現”をしたほうがユニークだと思った。ぼくはゲーテと同じ誕生日で、心の友だと思ってる。バランスシート(貸借対照表)のことを『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796年)という短編で書いてます。バランスシートは創造的かつ体系的で、それを見渡せば世界のことが見えてくる。
確かに、帳簿やレシートは、お金の動きという無機質なもののなかに、人間の行動という有機的なものが含まれていて、これは拡張現実的でおもしろい。安部公房的でもある。数字のなかに人の動きがあり、人の動きのなかに感情があり、それがピシッと帳簿に収まるのが気持ちいい。無機質な数字のなかに人間模様が表れる。
川田は学生のころから、点数の付けようがない「質量転換」に価値を見出していたのだという。それが美術系の大学ではなく、あえて商学部に進学する選択につながった。
──そういうモチヴェイションで商学部に来ている学生は、ほかにはいないですよね。
全然いませんでした。みんな当たり前のように会計士を目指していて。「きみたち全然おもしろくない。どうせ将来は、会計士になるしかないだろ?」とか、エリート学生たちに上から目線で言ってました。「みんな才能がないから会社に面接に行く。ぼくのレヴェルに達すると、社長のほうからやって来る。いまに見てろよ!」なんて強めに言ってたら、ぼくだけうっかり履修科目の計算ミスで留年(笑)。でも、1年遅れで本当にわりと大きな会社(シェア1位の工業用ミシンメーカー)の取締役の方から会社に来てほしいと誘われた。留年はしたけど、まあ有言実行です。
──会社のほうから新卒をヘッドハンティングするのもすごいですね。大学時代に何を発表したのですか。
当時ホームページをつくるとなると、みんな「ホームページ・ビルダー」のようなソフトを使っていた。いまでいう「阿部寛のホームページ」みたいな感じのページができるわけです。でもぼくは、趣向を凝らしてコーディングでつくってました。プログラムならではの表現、たとえばCGIを利用して、ページの訪問者を示すカウンターの数字によって物語が変わる小説を書きました。
──それが、のちに入社することになるミシンメーカーの目に留まったわけですね。いきなり部長職で入社したとか。
はい、そのときの入社は鳴り物入りでしたね。ありがちな話ですけど、ふたを開けてみたら自分で売り上げを稼がなくてはならないし、外から仕事をとるにしても何のコネクションもない。そういう状態からスタートして、月200万円とか300万円を稼ぐようになった。わりと大がかりなデータベースのシステムを設計するのも得意で、それを外販するようなこともしていました。実は、とある大手通信会社のデータベースはぼくがつくったもので、いまだに使われています。
“お金になる技術”で仕事しながら、クリエイティヴ領域の映像をつくった。自動車メーカーの販売店で流す映像だとか、銀行のサイトで配るスクリーンセーヴァーだとか。といっても、広告会社の企画の末端でぼくがつくるというものでしたが、こういった外での仕事のおかげで、クリエイティヴ分野で雑誌にぼくの名前が載り始めた。
こういった外部的な活躍によって、ようやく「こいつは口だけじゃなくて、本当に凄いんじゃないか」と社内で評価されて、特許の発案など開発者として大きな仕事を任せてもらえるようになりました。
あと、CDN(コンテンツ・デリヴァリー・ネットワーク)がなかった時代に、自前でそれをつくっていましたね。当時の勤務先は世界200カ国くらいに事業展開していたのですが、そこの部品の在庫管理を一括でできるような仕組みをつくったり。そういうものを、外注に出すことなく自分たちの手で開発していました。プログラミングの世界でも、うっかり才覚があったんだと思います。
インタヴューと撮影は、川田がラジオ番組をもつJ-WAVEの本社で行われた。川田はARという道なき道を、まさにほふく前進するように切り拓いてきたのだ。
──最終的に10年間在籍したわけですね。
はい。10年いて、その最後のほうに社内のスタッフのなかでクリエイティヴ寄りの才能がある人に声をかけて、「AR三兄弟」を始めました。
始めたきっかけは、AR三兄弟の結成前夜に、ライゾマティクスが手がけた展示をビームスの「B GALLERY」で見たことでした。工業用刺繍ミシンを使った『Pa++ern』(パターン、2009年)という、ミシンをハッキングした展示です。
ライゾマティクスの人たちは、技術を外部からハッキングして、表現として世に出している。ぼくは特許をとっても、目からビームを出しても、ビームスで展示されない。社内でもずっと生意気だと言われ続けているし、社報にも載らないしで、なんて冷遇されてるんだ…と思いました。
ビームスでのライゾマの展示は、とても盛り上がっていました。ミシンメーカーに勤めていたぼくからしたら、「彼女をとられた」みたいな気持ち。作品をつくった真鍋大度くんに、なかばクレーム入れようと思って初めて直接会話したら、「大変なんだよ、ミシンは」と言うんですね。
ミシンは三進法で物事を考えるプログラムだから、一般的なプログラムが通用しない。そこでOS以前の“機械語”と呼ばれる領域から把握していないと制御できない。そのニュアンスを誰もわかっていなくて。でも、ぼくはその辺をぜんぶわかっているから、むしろ少し仲良くなった。
仲良くなると今度は羨ましくなって、「どうしてこんな楽しそうなことをやって仕事になってるんだろう」と考えた。かといって、彼らみたいにかっこよくできない。当時すでにチームラボもあったので、技術を使った同世代の第一人者たちと同じことをやっても、ぼくが存在する意味がない。
そこで「テクノロジーを使ったものでも、かっこいいだけでは終わらないものもあるな」と考えて、その周辺にあるアイデアを10個ぐらい形にしました。展示を見た3日後くらいには「AR三兄弟」のロゴとやホームページを、全部自分でつくって。翌日の朝礼で、「きみは今日から次男だから」とメンバーに名刺を渡していって、そこから始まったのがAR三兄弟です。
──AR三兄弟は今年で結成10周年ですね。ARはどんどん社会実装されてきて、まさに時代が川田さんに追いついてきたように感じます。
ぼくはいまのところ、世の中に出ているARは「まだまだ」だと思っています。ぼくの頭の中でイメージしている拡張現実のほうが、500万倍くらいおもしろい。もちろん、いまより高速な通信環境や光学的工夫、フリーハンドで操作できる五感と直結するインターフェイスなどが整わなければならないですけれど。
人間って「真新しいもの」で笑ったり感動したりできないんですよね。なんだかわからない「奇妙なもの=ちょっと怖い」になってしまう。だけどAR三兄弟が予告編的に、未来に起こることを先に実装して楽しそうに見せてしまえば、いざそれが実稼働するとき恐怖の方向には振れない。
──500万倍おもしろいアイデアを、ちらっと教えていただけますか。
専門家の目で見たらわかるけれど、一般の人が見てもわからないことがすぐにわかることが、ネクストレヴェルのARのよいところです。
例えば、ぼくはいろいろなコントの台本を書いてきたのですが、そのなかに「フォトショップ探偵」っていうのがある。フォトショップ探偵は何ができるかというと、画像編集ソフトの「Photoshop」がものすごく得意。だから、デジタル写真に使われている技法やフォントはもちろんのこと、写真データのヒストリーから素材の出所、元々の構図を誰が考案したのかといったことも、まるで当事者のようにするするわかる。こうして事件を解決していくというコントなのですが、このニュアンスを実際に現実世界に適用できたらおもしろい。何かに特化した誰かの能力によって解へと導かれるエンターテインメントになる。
こういった特異な誰かの知見は、ここ数年でディープラーニングによってコンピューターを介して実装できるようになりました。そのプロトタイプとして、「文豪カメラ」を開発しました。例えば、雨に濡れた東京の風景を写真に撮ると、その風景を夏目漱石や芥川龍之介、江戸川乱歩だったらどう表現するのかを人工知能(AI)が文章として表現してくれます。
文豪たちがかつて書いた全小説をAIに学習させてあるので、あとはカメラが認識した風景の構成要素を語彙データとして渡せば、その作風を“再現”してくれるわけです。東京タワーがあるとか、雨が降った時間とか場所といった断片があれば、文章として出力される。基礎的な仕組みはできているので、それを進化させて「文豪が雨の東京を見たらどう感じるのか」といったことを、スマートフォンのカメラを通すだけで文章として“書き下ろして”くれる。まだ拙いところもありますが、そこがかわいいです。
通信技術が5Gになって通信速度が速くなると、みんなどうしても「4K」「8K」っていう解像度の争いになりますよね。K(川田)の代表として言いたいですけど、もう「Kの争い」なんてどうでもいい。むしろ人間の視覚では捉えられない情報をデータとして乗せたほうがいい。AR三兄弟で、味覚情報をデータ化する「ふりかけカメラ」っていうのを開発したことがあります。食べ物の写真を撮ると、それが何でもふりかけになる。おいしそうなハンバーグの写真を撮ったら、“ハンバーグふりかけ”のレシピがつくられて、ふりかけとして出力される。データを渡したら写真をプリントする感覚でふりかけができる、要するに「味覚の出力、五感の拡張」です。
「明らかにぼくにしか見えてないことがたくさんある」と語る川田。その視線の先に見えている未来は、それが実現する未来においても斬新だと感じられるものに違いない。
──川田さんのテクノロジーとの付き合い方は、どのような感じなのでしょうか。大学で研究をしているわけではなく、いわゆる“在野の研究者”ですよね。
過去に何度か大学で教えてほしいといった依頼があって、講習を受けもったことはあるのですが、カリキュラムをシラバスにたくさん書くような事務的な作業がたくさんある。そういう事務作業が大の苦手。向いてないとは思います。
ぼくが手がけている専門領域が大学にはまだ学問として存在してない。「情報デザイン」といったものとも違う。ぼくが学長になって「拡張現実論」とか「拡張現実学科」をつくっていいなら、いつかやるかも。でも、ぼくは産業界から芸能界までいろいろなジャンルを渡り歩くのがたのしくて、なるべくインデペンデントな状態でいるようにしています。
──いま注目しているテクノロジーがあれば、教えていただけますか。
プラスティックの物理的な板を掲げると自分が消えてしまうという、光学迷彩を実現するような技術がカナダで発表されましたね。量子ステルス。いままで光学寄りの技術で解決しようとしていたことが、工学的に実現してる点がおもしろいと思います。
脳波をロボットスーツと連動させて体の動きを補助するような研究を応用すれば、「ジョギング」のデータをダウンロードしたら体がジョギングし続けるような世界も実現できるかもしれません。もちろん安全上の問題はありますから、あくまでアイデアとして、こうしたルーチンワークを体にダウンロードして済ませられる仕組みがあればいい。体は筋肉痛になるかもしれないけれど、クルマの自動運転みたいなものですから。ハードワークがいまの自分の骨に耐えられるかみたいな、構造計算は人工知能がやってくれそうだし。
もっと現代に近い、近未来の予告も話しておくと、来年はオリンピックイヤーですよね。特別な装置がなくても、映像から選手たちのモーションデータを取得できて、それをあらかじめスキャンしておいた自分の3Dモデルに流し込んで、拡張現実的に街中の歩道橋を棒高跳びの要領で飛び越えてゆくみたいなの。いまつくってて、AR忘年会っていう毎年恒例のイヴェントで初披露します。
──そうした20年後に実現するかもしれないアイデアが実現するような時代、川田さん自身は何をしていると思いますか?
ノーベル賞をとっていると思います。いまさら評価されてもなぁ、しょうがねえなって感じで。井上陽水の歌に「いつかノーベル賞でももらうつもりで頑張ってるんじゃないのか」という歌詞があるんですけど、その最果て。誰に話しても、まだわかってもらえないネタが膨大にある。明らかにぼくにしか見えてないこと、未来の断片。それを諦めずに実装していったら自ずとノーベル賞でしょうね。加山雄三のニュアンスで、「とっちゃうなあ、ぼくは」って。「幸せだなぁ」って。いまから前倒しで照れてます。
Audi Story 14
「アウディスペースフレーム」の先進性
軽量素材によるボディフレーム技術「アウディスペースフレーム(ASF)」は、Audiの先進性を象徴する技術のひとつである。車両重量の大幅な軽量化と低燃費、制動距離の短縮などを達成するために開発されたこの技術は、1994年に「Audi A8」のオールアルミニウムボディに初めて採用されて脚光を浴びた。このASFはその後も進化し続けており、いまや中核となる素材はアルミにとどまらない。新型Audi A8では、アルミ、スティール、マグネシウム、カーボン繊維強化樹脂(CFRP)の4つの素材が組み合わされている。クルマに単一素材のみを用いるという固定観念を捨て去り、さまざまな素材を合理的かつ柔軟に組み合わせる──。これもまた、Audiが考える「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」のあり方のひとつなのだ。(PHOTOGRAPH BY AUDI AG)
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