7回2死まで勝っていた。8回2死まで同点だった。惜しくも金星を逃したオーストラリアのデービッド・ニルソン監督は、周東の走塁をたたえた。「序盤はいいピッチングをしてくれたが、日本の脚がプレッシャーだった。特に周東のスピードはこの大会でも群を抜いている」
この名に聞き覚えがなくても、ディンゴと聞けば「ああ!」となる竜党は多いはずだ。通算105本塁打。ありきたりの表現を使えば「バリバリの現役大リーガー」として2000年に来日した。残念ながら中日では打率1割8分。評判倒れの大リーガーは珍しくはないのに、ファンの記憶に残っているのは、覚えやすい登録名だけでなく、彼が日本行きを選んだ理由が印象的だったからだろう。
「シドニー五輪へのオーストラリア代表としての出場を認めること」。ニルソンは一つだけ条件をつけて、日本球界に自らを売り込んだ。1999年は21本塁打で初の球宴出場も果たし、かなりの大型契約も見込めたが、彼は大リーグより母国での五輪を選び、中日だけがこの条件を飲んだ。
04年のアテネ五輪では予選リーグで4-9と打ち負かし、準決勝では0-1でオールプロで臨んだ日本の野望を打ち砕いた。4番・捕手がニルソン。人生を懸けた五輪で、ついに銀メダルを獲得した。母国に尽くした野球人生を考えれば、彼が今の立場にいるのは必然である。僕が彼の姿を見るのはアテネ以来だが、体形はすっかり変わっても、日本を苦しめるさまは変わっていなかった。
「日本のファンはいつも歓喜をもって迎えてくれる。私にとっても戻ってくるのは楽しみです」
打者としては日本野球に適応できなかった19年前に、日本野球の強みを消す知識を蓄えた。オーストラリアは今大会に東京五輪への出場権が懸かっている。苦境は続くが、彼の五輪への執念は筋金入りである。