mitanihideki

〜銀行からの利息収入で暮らしていけるようになる〜

プロフィール

基本情報

・三谷秀貴(ニックネーム ミッチー)
・1987年9月9日生まれ(32歳)

こんにちは、ミッチーこと三谷秀貴と申します。

現在は紆余曲折をして、独立系のプライベートバンクコーディネートアドバイザーの仕事をしております。

どのようなことをしているにかというと、海外の金融商品を使い長期で資産運用をすることによって資産を形成し、一般的な引退年齢である60〜65歳時には銀行からの利息だけで生活ができるようにお客様にアドバイスをしております。

なぜこのような仕事をしているのかについては下記にまとめているのでご確認ください。

要点をまとめると

・27歳の時に勤めていたメーカーで、工場長が職を失ったのを間近で見た経験

・28歳の時にリストラされ、会社がその後すぐに倒産した経験

・28歳から色々なビジネスを経験しますがことごとくうまくいかなかったという経験

このような経験をしたことにより、ちょっとお堅いかんじの仕事をしていますし一見クールそうに見られますが、穏やかでよく笑います。

笑いに走ってしまうこともあります、いいギャップとなっていればいいのですが笑

人と仲良くなるのは割と得意で、子供に好かれるみたいです。

20代後半には五年くらいイベント主催をしており、多い時で50人ほどの人を集めてワイワイやっていました。

そんな僕ですが、昔はどのような人間だったのかというと、

暗い、大人しい!笑

今とは結構印象が違うと思います。

学生時代は常にコミュ力の低さに悩まされました。

東京都世田谷区生まれ、千葉県八千代市育ち

父、母、二つ下の妹の四人家族

有名大学卒業後某メガバンクで40年働くしっかり者の父親、優しく穏やかな専業主婦の母親の元で育つ。

父のおかげで幼少期にお金で苦労したことはありませんでした。

父とはあまり話したりせずなんとなく苦手意識がありましたが、穏やかな母のおかげで家庭内は平和でした。

私は大人しくて人見知り、人との争い事を嫌うどちらかというと大人しくて地味な少年でした。

幼稚園を卒園し、小学校に入学する前に千葉県に転居します。

幼少期~中学時代まで
対人関係に苦しんだ暗黒期、勉強を頑張る

友達が全くいない状況で小学校生活をスタート。

自分から同級生に積極的に行けずに低学年の頃は友達がなかなかできませんでした。

大人しくて人見知りだったというのもありますが、何より流行に興味がなかったというのが原因だったと思います。

ミニ四駆やハイパーヨーヨー等当時流行っていたものはほぼやらなかったですし、音楽番組やドラマ等も見なかったので芸能関係も疎く同級生との会話の内容に困っていたように思います。

友達がいないのは寂しいと思い、高学年になると積極的になることを心がけ、少し友達ができました。

よく友達の家に遊びにいってましたし、たまに一緒に映画を見に行ったりもしました。

しかし、同時にある同級生からのいじめを受けていました。

悪く言われたりたまにドつかれたり。

やり返せない自分に対して情けない気持ちを抱いていました。

男は強くなければいけないと思うようになります。

中学校は私立に入ります。

公立から私立だったので今までの小学校の人間関係とはリセットできました。

これを機に自分を変えようと思い、積極的なキャラになるよう努めました。

男は強くならなければいけないし、いじめられてやり返せないのを格好悪いと思っていたので、思ったことをストレートに言うようになりました。

自分の言動によって相手がどう感じるかを考えていなかったので周りの同級生から嫌われてしまいますが、当時はなぜ嫌われるかが分かりませんでした。

とにかく自己肯定できずに苦しくて苦しくてしょうがなかったです。

嫌われているのが分かっているのなら嫌ってきている本人になんで自分を嫌っているのかを聞けば良かったのですがそれができませんでした。

自分と向き合う勇気が持てなかったのです。

中学時代というと友達とバカやって時には恋愛してまさに青春というようなイメージがありましたが、そんなかんじではなく結構孤独でした。

孤独を紛らわすように、勉強に熱中し始めます。

最初は思うような結果が出なかったですが、徐々に頭角を現しはじめ日本史で満点を取るなど学年でもトップクラスの成績を修めるようになりました。

相変わらず友達はできませんでしたが、この変化に周りからも一目置かれるようになります。

この経験でコツコツ努力することは大事なんだと思うようになり、結果が出た時の喜びを知りました。

高校時代
勉強でも落ちこぼれてひたすら自己否定に走る

中学では勉強ができ、体育や美術なども含め4や5ばかりの成績でしたが、高校では学校のレベルが上がったこともあり行き詰まってしまいました。

優等生であることでなんとか自分の存在価値を保てていたのにそれがなくなってしまいました。

人間関係はというと相変わらず周りの同級生とうまくいかず、孤独な日々を迎えます。

勉強ができたというステータスを失い、周りの人間から嫌がらせを受けるていたため、自分は価値がない人間なんだと思うようになります。

そんな風に思っていたので周りとの人間関係を断つようになりいよいよ暗黒の時代を迎えます。

そんな孤独な自分を救うには再び勉強をできるようになることが必要だと思い勉強し有名大学に入ることを目指していましたが、結局滑り止めにしか受からず自信を喪失してしまいます。

大学時代
コミュ力向上に命をかける!

大学受験の失敗が大きく、もう勉強なんてしたくないなんて思っていました。

何のために大学に行っているのか、親に申し訳ない笑

人間関係はというと相変わらずうまくいかなかったです。

サークルに入って友達ができるものの、なんだか距離を感じていました。

このまま重度の人見知りコミュ障だと将来生きていくのに支障が出ると思い、絶望を感じている時期です。

絶望を感じていたところで、何もしなければそのまま絶望的な未来しか待っていないと思い、コミュニケーション力向上や人生哲学をテーマにしたものを中心に自己啓発本を読み始めます。

本を読んでいく中で、相手の気持ちを考えたコミュニケーションを取ることを心がけようと思うようになりました。

また、今までは自分の分からない話題になると一切話が続かなかったですが、どのように深掘るかを学ぶことができます。

本でインプットするだけでは身にはならないので、実践を積もうと思い、知っている人が誰もいないインカレサークルにも色々と顔を出すようになり、積極的に色々な人と関わりを持つようになりました。

この頃から本を読み、それを実践し検証するという習慣がつきます。

大学時代このようなことをやっていたので、少しずつコミュニケーション能力が改善されていき、気付けば自分で10人規模のイベントをやるようになります。

たかだか10人規模ではありましたが、当時の僕からしたら大きな成功体験でした。

意外にも自分は10人規模を場をまとめるのが得意かもしれないと思うようになります。

この頃から少しずつ人生が楽しくなり始めて、積極的に色々と挑戦していきました。

海外留学、読者モデル、留学メンバーとの海外ボランティアサークルの立ち上げ、海外一人旅。

大学生活はとても楽しかったです!

24〜28歳
世間の常識に従い会社勤めをするも人生の迷子へ

社会人1年目、メーカーに営業として就職します。

なぜ営業をやろうと思ったかというと、営業は父親がずっとやっており、結果を出せばそれだけ収入に反映されると感じていたからです。

また、大学時代にコミュニケーション力を磨こうと頑張っていたので、社会人になっても厳しい環境の中もっと磨いていきたいと思ったからです。

その会社は業務用の冷蔵庫やエアコンを扱う会社でした。

雨の日も風の日も1日50件飲食店に飛び込み営業をしました。

元々コミュ障人見知りだったので最初の3日間はなかなか大変でしたが、慣れてくると50件こなせるようになりました。

また、愚直に回っていたので、問い合わせの電話が来ることがありましたし、すぐにやってきた暑い夏の時期だと機械が故障しやすくなったので買い替えをするというお客様もいらっしゃり、同期の中でも優秀な成績を収めることができました。

一件も契約が取れない同期は激詰めを受け半年も経たないうちにドンドン辞めていく中、いいスタートが切れました。

しかし、そんな僕も夏以降行き詰ります。

暑い厨房内にある冷蔵庫は夏に壊れやすいので春から夏にかけては売れるのですが、それ以降はなかなか売れません。

お店を回ることに専念しており、提案力を磨いていなかった結果行き詰ってしまいます。

さらに、契約が一件も取れない同期が詰められて次々と退職に追い込まれていたこともあり、残った僕への詰めが日に日に強くなっていきました。

そんな中、東京地区で最も多く年間の点検契約をとってくるなど奮闘しますが、2年で会社を去ることになります。

転職し、2社目は自動車の部品のメーカーでした。

営業職として入社します。

この会社では一生忘れることができないであろう、僕に大きな影響を与える出来事がありました。

2社目では営業をしていましたが、自社工場へ完成品を受け取ったり、作業の手伝いをよくしていたので、工場の人達とは仲良くさせてもらってました。

皆穏やかで優しく、職場の人間関係の煩わしさがないようなところでした。

入社して3か月ほどしたある時から41歳の工場長が休みがちになります。

工場長は元々トラックの運転手をやっていたのですが、その時ヘルニアになってしまったらしく、工場で肉体労働をしている際もヘルニアに悩まされることになったのです。

そして、さらに1か月後からは全く工場に出てこれなくなりました。

ずっと座っているのも辛い状況だということでした。

早く良くなって復帰できたらいいなと思っていたのですが、工場長は復帰することがないまま退職します。

「え?工場長はヘルニアで座るのも辛い状況だというけど、転職なんてできるの?
この先どうするつもりなのだろうか?
家族持ちだし、家や車のローンもあるだろうし工場長はこの先一体どうしたら?・・・」

自分に起こったことではないですが、とてもぞっとしたし、怖くなりました。

長い人生こんなことが普通に起きてしまうことなのか。

この時感じたのは、人生いつ何が起きるか分からない、自分の身は自分で守らなければいけないんだということです。

この時から副業に興味を持ち始め、自分でビジネスをやるという考えを持つきっかけとなりました。

僕はこの後旅行会社に転職しましたが、さらに衝撃の展開を迎えます。

突然起きたリストラ、倒産・・・

27歳の時、旅行会社に転職しました。

元々旅行が好きで、かつカンボジアでボランティア活動をしていたこともあり、アジアの旅行を扱う会社に入りました。

社員30名ほどの小さな会社です。

この会社でも営業職についたのですが、なかなか契約が取れません。

大手の旅行会社に諸々の手配込みでプランを売ると言う仕事をしていましたが、一番の得意先である某大手の旅行会社が自社でプランを組むようにし始めていたようで、大苦戦しました。

しかし、実は苦戦しているのは僕だけではなく他の人もでした。

全国4営業所でテレビ会議をする際に各営業所の数字を発表するのですが、どこも目標には達せず、福岡営業所に至っては達成率3%なんていう時もありました。

この会社まずいんじゃと思い始めます。

そんな時まさかの宣告を受けました。

リストラです。

僕は頭が真っ白になりました。

自分の身にも起きてしまったと。

28歳の夏、僕は職を失い、さあどうするかとなった時、転職をせずに自分で事業を立ち上げるべく色々と挑戦をするということを選びます。

ちょうどこの頃近い将来AIの普及により今の仕事の半分がなくなると言われていた頃でした。

また、職を失うかもしれない、であれば自分の力で稼げるようになりたい!とより強く思ったのです。

本当に長い茨の道となるのを知らずに(もちろん予感はしていましたが)

ちなみに僕を解雇した会社はその後すぐに倒産してしまいました。

リストラと倒産という現実を20代で経験することになりましたが、それが会社には頼らない生き方をするという僕の決意をさらに強めることになりました。

28歳〜31歳
色々と挑戦するも人生の迷子へ

まず始めたのはテレアポでした。

テレアポは声だけで相手に信頼してもらい、買っていただくという高度な営業でしたので、ここで結果を残すことができればそれは立派なスキルとなり、どんな状況下においても自分で自分を守れると思ったからです。

しかし、実際にやってみると、思ったより大変で飛び込み営業を二年間やっていましたが苦戦しました。

昼前から夜まで一日中電話をかけ続けます。

テレアポをやっていくうちに僕はその行動に疑問を抱き始めました。

夜21時過ぎまで一般宅へ電話をしていたこと、断りを入れたお宅に1週間経ったらまた電話をかけることを義務付けられており、自分がやられて嫌なことをやりたくないと思ったのです。

結局1ヶ月で辞めてしまします。

また振り出しに戻ります。

路頭に迷った僕は、半年継続のコンサルを受けます。

60万円という大金を払ってでも自分の今後の方向性を見つけたかったのです。

コンサルを受けたことにより、今までずっとやってきていたイベントとそれに関連して人と人を繋げてマージンをもらうということをやり食べていこうと決意します。

イベント企画は結構好きだしコミュ力を向上させたいという情熱はまだありました。

さらに、人と人を繋げることは営業力向上に繋がり、食べていける人間になれると思ったからです。

それまでの三年間イベント自体はうまくいっていたので、イベントは今まで通り楽しくやれました。

この時はコネで品川区のタワーマンションのスペースを使えるようになっていたので豪華なパーティーを開いていました。

そこから見える夜景は格別で参加者からは大好評でした。

屋上からも景色が見られるのですが、日曜日のイベントにも関わらず、半分くらいの方が23時くらいまで夜景を見ながら会話を楽しまれていたくらいです。

MAX40〜50人を集め、イベントをしたことは将来を絶望してしまうほどのコミュ障人見知りの僕からしたら大きな成功体験となりました。

これだけイベントをやっていればコミュ力も磨かれます。

20歳くらいまでは自分の知っている話題でしか会話をすることができませんでしたが、自分の知らないことに関しても掘り下げ会話を盛り上げるスキルを身に付けていました。

この成功体験から僕は、コツコツと愚直に努力し、実践と改善を繰り返していけば、重度のコミュ障人見知りからでも変わることができるんだということを学びました。

しかし、すぐさま壁にぶち当たります。

会社員の頃は完全に趣味でイベントをやっていたので月に1回程度ゆるくイベントをやる程度でした。

しかしイベントで食うとなると、月1では全然足らず、回数をもっともっと増やさなければなりません。

そうなると集客の問題が出てきます。

そこで、僕は集客を協力してくれる人を探し始めました。

イベントスペースを運営する方や不動産の営業をする方などと一緒にイベントをやる事になります。

しかし、そうなるとビジネス臭のするイベントになってしまいます。結果として、人を誘うのを躊躇するようになりました。

集客できなければイベントで食っていけない、なんとかしなくてはいけないということで、集客代行サービスに投資をするようになりました。

しかし、そのサービスに登録している人はMLMをやっている人が多かったり、担当の人の怠慢でちゃんとサービスを受けることができずに結局うまくいきませんでした。

さらに追い討ちをかけるようにして、常連メンバーの間で男女のイザコザがあり女性メンバーの何人かが来なくなってしまった事によってイベントに対する情熱が潰えます。

またしても振り出しに戻りました。

その後も初期費用が少なく参入しやすいビジネスに色々と取り組みましたが、一向にうまくいきません。

コンサルを受け、ビジネスに挑戦してはうまくいかないということを繰り返し、借金は会社員時代の年収に近いくらいまで膨れ上がりました。

ここでようやく、ようやく気付きます。

当たり前のことなのですが、スキルがなくても誰でもできるビジネスで稼げる収入なんてたかが知れています。

きちんと学んでスキルをつけ、そのスキルを元にビジネスをしなければ大きな収入を望めないと、立派な額の借金を負ってから思い知らされました。

思い知らされたのはいいものの、借金まみれで預金通帳には30円しかない、しかもこの先どうしたらいいかと途方に暮れていました。

31歳〜
今の仕事と出会い自分の使命に気づく

この頃借金を返済するために頑張っていました。

毎日ほぼ休みなく働いていましたし、支出に関しても徹底していました。

生活費、自己投資、未来への投資の配分を決め、それを遵守し倹約を心がけます。

知らぬ間に僕はマネースキルを身につけていたのです。

そのような努力もあり、借金を完済します。

借金を返したのはいいのですが、さぁこの先どうしようかと思っていた時、ご縁でWEBマーケティング国際金融を学ぶことになります。

このWEBマーケティングと国際金融が、僕が前から考えていた退職を余儀なくされた工場長のように41歳になって体が思うように動かず、職を失ってしまうという状況になってしまったとしたらどうするかという問いへの解決策となります。

WEBマーケティングを学ぶことによって、パソコンさえあればどこにいても、情報発信ができ、体が思うように動かなくても仕事ができるようになりました。

国際金融を学ぶ事によって将来(特に老後)の不安を解消することができました。

20年25年と少額を積み立てることによって4000万円〜5000万円を作ることが可能だと知ったからです。

それは海外の金融機関を利用しての資産運用という手段でした。

海外の金融商品は日本のものよりも3倍もの利回りが出ます。

しかもリスクは変わりません。

しっかり貯蓄をし、積立額を多くすれば40代でアーリーリタイアすることも可能です。

ただ、日本ではこの情報自体が規制されているので、なかなか正しい情報にアクセスできないのが残念なところです。

僕は日本を出て香港まで情報を取りに行きました。

もし、将来自分にまさかの事態が起きたとしても、まとまった資産がありそれを運用していけば、銀行からの利息収入だけで生活することができるのです。

現在僕は海外の金融事情をWEBを使ってお伝えすることを仕事にしています。

10年後にはAIによって仕事の半分がなくなるかもしれないと言われていますが、皆さんが海外の金融を知ることで、資産を築き将来の不安を消し、将来的には自由な人生を送り人生を楽しむきっかけを提供できれば幸いです。