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MRIでセックスして科学に貢献したカップル

1991年、科学者たちは史上初めて性交中の人間の体内を撮影。その衝撃的な画像から、ある意外な事実が明らかになった。

by Julian Morgans
01 November 2019, 5:15am

上記の画像は実際の写真ではなくイメージ(シドハント・ガンディ(SIDHANT GANDHI)がPhotoshopで作成)。

楽しみと不安が半々だったが、特に性的興奮を覚えたわけではなかった、とイダ・サベリス(Ida Sabelis)は当時を振り返る。その土曜日の朝、彼女は恋人と3時間かけて、アムステルダムからオランダ北部の湿地帯のフローニンゲンに向かった。その街の病院のMRI検査室で3人の科学者と話をしていたとき、彼女のなかにこんな想いが沸き起こった。

「この部屋にいる女性が自分だけだということに気づいたんです」と彼女はそのとき感じた激しい怒りを語った。「女性の身体の研究なのに、私しか女性がいないなんて!」

そもそもイダがこのプロジェクトへの参加を決めたのは、善意からというのもあるが、自身が女性の権利運動に青春を捧げた情熱的な人類学者だからだ。検査室内の歪なジェンダーバランスは彼女を苛立たせたが、同時に彼女のやる気を刺激した。イダは恋人の背中を叩き、「じゃあ、始めましょうか?」と声をかけた。

3人の科学者は直立不動の姿勢をとり、イダの恋人ヤップ(Jupp)は用を足すためにトイレに駆け込んだ。科学者のひとりがMRI機器から格納式の金属の台を引き出し、イダとヤップは服を脱いで、全裸でその上にはい登った。当初はヤップがイダの上に横たわって正常位でする予定だったが、イダはそのアイデアに異を唱えた。「私はそんな体位じゃ興奮なんてできない」と彼女は説明する。「どちらにしろ、あんな狭いトンネルのなかでヤップが上に乗ったら重すぎる」。そこでふたりは背面側位で試みることにした。

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3人の男性科学者は検査室のオペレーターブースに向かい、分厚いメガネ越しにふたりを観察していた。「聴こえますか?」とひとりがMRIの奥につけられたインターホン越しに尋ねた。「はい」とイダは答え、ヤップは笑い声を漏らした。「こちらはいつでも大丈夫です」

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イダは現在、アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)で組織人類学の教授を務めている。ALL PHOTOS BY THE AUTHOR

この日から遡ること1年前の1991年の秋、イダのもとに、彼女の親友のパートナーであるメンコ・ヴィクトル・“ペック”・ファン・アンデル(Menko Victor “Pek” van Andel)という男性から電話がかかってきた。ペックとは昔から気の合う友人だったが、少し変わったところがあるので、彼女は訝しみながら電話に出た。

ペックは電話で、唯一無二で特殊な「ボディアート」のアイデアについて説明した。彼は磁気共鳴映像法(MRI)の機器を使って、性交中の女性の生殖器官の画像を撮像したいという。X線と同じように、MRI機器によって医師は手術をせずに人間の体内を見ることができる。しかし、ペックによれば、MRIを用いて性交中の女性の体内を撮像したひとはいないという。「今までにない試みなんだ!」と彼は電話口で繰り返した。「前代未聞なんだよ!」

イダは半信半疑ながらも興味をそそられた。確かにペックはエキセントリックかもしれないが、医学の学位を持っていて、人工角膜の共同発明者でもあり、MRI機器の製造元とのコネもあった。しかし、それ以上に重要なのは、このプロジェクトがポルノにならないよう、学術的な真剣さを失わないことだ。しばらく考え、ヤップと長時間話し合った結果、彼女は引き受けることを決めた。

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フローニンゲン近くの自宅の前に立つペック。

MRIで性交中の女性器を分析したひとはいない、というペックの言葉は正しかったが、想像力を駆使して分析を試みたひとは少なくない。そのもっとも有名な例が、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。彼は1492〜1494年のどこかで、勃起したペニスを半透明のヴァギナに挿入する男性のスケッチを描いている。女性の身体や顔は描かれておらず、あるのは足の間から脊椎の下部に直接くっついている、まっすぐな円柱状の生殖器官だけだ。

このスケッチが描かれたのは約500年前だが、私たちはずっとこの簡略化されたかたちにとらわれ続けてきた。タンポンの箱や性教育の教科書のヴァギナの図は、まっすぐなトンネルのようなものばかりだ。ペニスは曲がることなく、女性器にぴったり沿うように描かれており、ダ・ヴィンチが想像したように、まっすぐ出たり入ったりする。しかし、実際にMRIを使って彼のスケッチの事実確認をしたひとはいない。ダ・ヴィンチが正しいかどうかは誰にもわからないのだ。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの1490年代のスケッチを見せるペック。

MRI検査室に話を戻そう。イダとヤップの身体はMRIスキャナーにすっぽりと覆われ、足だけが突き出していた。当然、ヤップは勃起できないのではと心配したが、イダが腕を回すと問題ないとわかった。ふたりは機械のなかで身体をもぞもぞと動かした。そのときの様子を、「トンネルのなかは心地よい暖かさで、私たちは慣れ親しんだやりかたでお互いに楽しむことができた」とイダは説明する。

ときどきインターホンから指示が流れ、そのたびにふたりは笑い出した。「勃起が根元まではっきり映っています」と誰かがオペレーターブースから説明した。「体勢はそのままで」。MRIがガシャンガシャンと音を立てるなか、ヤップとイダは笑いをこらえながら、挿入したままじっと横になっていた。

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MRIの仕組みについて簡単に説明しておこう。MRI機器は、いうなれば金属のコイルが収められた巨大なプラスチックの箱だ。このコイルの中心が空洞になっており、コイルに電流を流し、断続的に磁場を発生させることで、コイルが振動して音を立てる。スキャン中のMRI機器は、箱のなかで帯電したフラフープが跳ね回り、大きな音を立てているような状態だ。現存するなかで最も騒々しい医療機器といえるだろう。そんな騒音のなかで、イダとヤップは抱き合い、その途中で動きを止め、ヤップは勃起状態を保たなければならなかった。ふたりに終わりの合図が出されたのは、実験開始から約45分後。彼らは見事やり遂げた。

MRI機器から出たふたりは、「オーブンから出されたパンのように」丸裸で汗だくだった。ふたりはすぐに服を着て、撮像された画像を確認するためにオペレーターブースへと急いだ。

「画像をみたときは、うわあ、私たちってこうやってくっついてるんだ、という感じでした」とイダは打ち明ける。「すごくきれいに映っていましたよ! 自分の子宮もわかりましたし、感覚的にここだ、と思っていた位置、子宮頸部のちょうど下のところにヤップがいました。私たちの身体の内部の特徴や、お腹の境界線なども、はっきり写っていました。細かい部分まで鮮明にわかって驚きました」

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MRIのスキャン画像。左は無加工。右には様々な身体の部位にラベルが付けられ、ペニスはP、睾丸はSC、イダの子宮はU、膀胱はBと記されている。

ただ、ペックだけは平然としていた。スキャン画像をみた彼は、すぐにヤップのペニスがブーメランのように曲がっていることに気づいた。ヤップの身体からみると、その角度は約120度。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたスケッチとは全く違う。その瞬間、ペックはこれがアートプロジェクト以上の重要な意義をもつことに気づいた。彼らは、約500年に及ぶ解剖学的仮説を塗り替えたのだ。

しかし、人文科学のほとんどの分野に関していえることだが、イダもペックもすぐに世間から反発を受けることになる。ペックは、予備のスキャン画像とイダを共著者とした研究結果を『Nature』誌に郵送したが、何の説明もなく掲載を断られた。その後、オランダのタブロイド紙はこのプロジェクトを取り上げ、病人や身体の不自由なひとが命に関わるMRI検査をずっと待たされているにもかかわらず、ペックが軽はずみで低俗な目的のためにMRI機器を無駄遣いしたことを遠回しに批判した。実際には、ペックたちは病院の診療時間外にMRI検査室を使用したのだが、病院側は唐突に態度を変え、ペックが再び実験を行なう機会を奪った。つまり、より綿密で科学的な研究が不可能になってしまったのだ。

「本当にがっかりしました」とペックは当時を振り返る。「私たちは、今まで研究されてこなかった新たな分野を見つけたのに、誰もがこのプロジェクトを中断させたがった。彼らは、この研究が自分の履歴書に載ることを恐れたんです」

それでもペックは諦めなかった。複数のカップルを対象に徹底的な調査を実施したあと、彼は数ヶ月間、フローニンゲン病院の経営者へのロビー活動を行なった。最終的に、婦人科と放射線科の科長は、研究を秘密裏に行ない、誰も公表しないことを条件に、彼のプロジェクトを承認した。許可さえ降りれば〈公表〉のハードルも越えられるだろう、と考えたペックは、彼らの条件をのんだ。

1991〜1998年のあいだ、8組のカップルと3人の独身女性が、フローニンゲン病院のMRIで計13回性行為をした。イダたちのあとの実験は、全て正常位で行なわれた。被験者は18歳以上のボランティアで、やめたくなったらいつでも中断できる、と事前に告げられた。中断するひとはいなかったが、イダが半ば誇らしげに語ったところによると、バイアグラなしで実験を終えられた被験者はヤップ以外いなかったという。

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「私たちは、バイアグラなしで実験を成功させた唯一のカップルでした」と彼女は胸を張る。「私にとって、この実験は私とヤップの関係が円満であることの証明でした。それは論文を読んでもわからないことです。こういう状況で行為をするには、お互いへの信頼が不可欠なんです」

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自宅前の野原で自身の作品を掲げるペック。

1999年12月24日、医学誌『British Medical Journal』がようやく彼らの論文を公開した。プロジェクト開始から8年、3度の掲載却下を経て、彼らはついに前途多難ながらスタート地点に立ったのだ。論文の題は〈Magnetic Resonance Imaging of Male and Female Genitals During Coitus and Female Sexual Arousal(性交および女性の性的興奮の最中における男性・女性器のMRI画像)〉。イダとペックにとって、これはふたりが今までに執筆したなかで、もっとも多く引用された論文だという。

「この論文はきっと私の遺産になるでしょう」とイダはいう。「私はラッキーです。自分が後世に残すものを選ぶ機会はなかなかありませんし、遺産が全くないひとだっていますから」

性交中のペニスが曲がっているという発見の他にも、この論文はある意外な事実を明らかにした。たとえば、性行為が女性の膀胱に与える影響だ。多くの女性が証言していることだが、膣性交によって、膀胱の満たされる速度が早くなる。13回の実験に参加したすべての女性の身体でも同様の現象が確認されたが、その科学的根拠はいまだに明らかになっていない。

「最終的なスキャン画像には、どれもパンパンに膨らんだ膀胱が写っていました。ほとんどの被験者の女性はMRIに入る前にトイレに行ったにもかかわらず、です」とペックはおどけつつ、驚きを込めて説明した。「この機能は、女性が性交後に排尿するための進化なのかもしれない、と私たちは考えています。尿路感染症を防ぐために、人類の祖先にこういう機能が発達していったのでしょう。これはあくまで仮説に過ぎませんが」

現在、ペックはすでに退職し、オランダ郊外の広大な敷地を有する農家でパートナーとともに暮らしている。この研究を通して、世間からの批判を恐れる科学研究界の臆病さが、図らずも明らかになってしまったが、彼自身はこの研究を誇りに思っているという。1999年、彼らの論文が『Science』誌に絶賛されたあと、かつては研究に関わるのを嫌がったひとびとが、手のひらを返したように、自分の名前を掲載してほしいと相次いで申し出てきたそうだ。

「私たちを活動をやめさせようと必死だったひとたちが、後になってメディアの取材に答えたり、自分の履歴にこの研究を掲載するようになったんです」とペックは首を振りながら不満を訴えた。「〈成功に父多し(訳注:失敗の責任は誰も取りたがらないのに対し、成功に貢献したと名乗り出るひとは非常に多いことのたとえ)〉とはよくいったものですね」

いっぽうイダは、誰もがセックスに下世話な興味を示すことに苛立ちを覚えている。彼女の友人や家族は、大半が高等教育を受け、そろそろ退職する年齢になるにもかかわらず、今でもイダが恋人とMRIの中でセックスしたことを笑い話にしているという。特に彼女が違和感を覚えたのは、大学の同僚の反応だ。彼らは世界有数の進歩的な街で働く社会科学の専門家なのに、この研究を面白がっているという。

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「いろんな意味で、私たちは後退していっていると思います」とイダは言明する。「私が育った時代には、セックスは別に特別なものではなかった。いつも裸で泳ぎにいってましたし、みんなもっとオープンでした。でも今は、どんどん保守的になっている気がします」

それでもイダは、彼女が性的興奮の研究における男女平等に小さな貢献をしたことを、とても誇らしく思っている。1991年の実験当日の朝には、どんな未来が待ち受けているのか想像もつかなかったが、彼女は思い切って行動してよかった、と心から思っているそうだ。たとえ、実験を指揮した科学者の大半が男性だったとしても。

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This article originally appeared on VICE AU.

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lifestyle

ベロチューをディープに探る

よく考えればディープキスは奇妙な行為だ。どうして私たちはディープキスをするのだろう。ただ単に変態だから? それとも他人と「唾を交わしたい」と欲するような、生得的、生物学的な理由があるのだろうか? 

by Leila Ettachfini
30 October 2017, 5:45am

基本的に他人の唾は気持ち悪い。他人の唾が自分のドリンクに入ったらがっかりだし、会話中に相手の唾が飛んできたら最悪だ。男性が当然のような顔をして、歩道のあちらこちらにタンを吐くのも非常に不愉快だ。だけど想像してほしい。そのタン吐き男性が、もしDickiesのくるぶし丈パンツと、Supremeの最新アイテムを身につけていたら、一晩かけて、彼の唾で自分の口の周りをベトベトにしたがる好事家もいるだろう。

よく考えればディープキスは奇妙な行為だ。どうして私たちはディープキスをするのだろう。ただ単に変態だから? それとも他人と「唾を交わしたい」と欲するような、生得的、生物学的な理由があるのだろうか?

残念ながら専門家のあいだでも意見が割れている。つまり明確な答えはない。パートナー選びのために進化の過程で必然的に生まれた習慣、とする説があるいっぽう、そもそもディープキス文化など、軽蔑の対象であり、メディア消費やグローバル化により市民権を獲得したにすぎない、とする説もある。

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科学界でよくなされる〈生まれか育ちか〉論争は、ディープキスというテーマにおいても活発だが、一般人は、ディープキスについて特に深く考えた経験がないのが実情だろう。

同僚たちは、初ディープキスに至った理由についてこう語っている。

「友人に負けたくなくて。あと、みんなしてるのも知ってたから、自分もやってみたかった。あとは単純に遊び感覚」

「テレビで観て当たり前だったから。あと、自分がブスじゃないって証明するための最終目標だった」

「ふたりの人間が互いの舌を絡め合う。他人とつながる手段としては最も簡潔な、最も親密な行為でしょう」

それぞれの事例や意見も充分納得できる内容だったが、やはりここは専門家の意見を伺おう。私たちがディープキスをする理由について、それぞれ異なる見解をお持ちの研究者ふたりに話を訊き、ディープキスについてさらなる理解を試みる。

「ディープキスは本能的な行為であるはずです」と語るのは生物人類学者のヘレン・フィッシャー博士(Dr. Helen Fisher)。「地球上で口を開けてキスをする動物は人間だけではありません。チンパンジーもキスをするし、象の求愛行動でも、相手の口のなかに自分の長い鼻を入れます。鳥たちも互いのくちばしをつつき合うし、犬など、相手の顔じゅうをなめ回す動物もいます。人間も同じです」。また、多くの動物にとって口と口を合わせる行為が自然である証拠として、動物の親子の〈口移し〉を挙げた。

一方、そこまで単純な話ではない、と主張するのはラスベガスのネバダ大学で文化人類学を教えるシェリー・ヴォルシュ(Shelly Volsche)教授。彼女は、口移しについてこう語る。「確かに自然な、生得行動ではあります。しかし、それを性的、恋愛的文脈で語るのはナンセンスです。ひとつの明確な目的のために進化した生得行動のロジックで、他の行動を説明するようなものです」

ヴォルシュ教授が共著者として2015年に発表した研究レポートでは、恋愛、性的な口づけ(つまりディープキス)は、世界のなかでも、46%の文化にしかない習慣であることが明らかにされた(この研究以前は、約90%の文化で存在していると推測されていた)。フィッシャー博士に訊くと、こんな答えが返ってきた。「ディープキスはしないかもしれませんが、相手の顔を噛んだり、なめたり、顔をすり合わせたりはします。それらは全て、口づけのバリエイションなのです」

ディープキスは概して、主に米国など、脱工業化した諸国での習慣であり、しないよりはする人数のほうが多い、とヴォルシュ教授は指摘する。

また、教授によると、ディープキス不在の文化に暮らす人々がこの習慣について見聞きすると、ほとんどの場合嫌悪感を抱くそうだ。しかし西洋文化に慣れ親しみ、広告などで美男美女のディープキスを絶えず晒されていても、その心情は理解できる。病気を予防しようとする本能的欲求と相反しているようでもあり、ディープキスの意味がなかなかわからない。

「ディープキスをする人/しない人にそれぞれ注目すると、衛生状態の良し悪し、セルフケアの有無がその選択に大きく関係していることがはっきりとわかります」とヴォルシュ教授。つまり、バーで出会った得体の知れない相手とディープキスできるか否かの判断は、リステリンで口をすすげるか否かにかかっている。

また教授は、人類の歴史において、そして、現在でも狩猟採集生活を営む社会では、長めの前戯が当たり前なわけではない、と語る。「アカピグミー族(=ディープキスの文化を持たない民族)はそもそも夜の営みについてあけすけに語らない民族ですが、彼らにとって〈楽しい夜の営み〉とは、質よりも回数の話なのです」

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また、ディープキスはホルモンレベルや、ホルモンがパートナーに与える影響とも関連している、と分析する専門家もいる。「仮説ですが、唾のなかには性的欲求を高めるテストステロン(男性ホルモン)が含まれていて、相手の欲望を高めるために男性が相手の口の中に唾を入れるのだ、という説もあります」。そうフィッシャー博士はいうが、それでは女性同士のディープキスについては説明がつかない。

ホルモンレベルはさておき、フィッシャー博士はパートナー選びにおけるディープキスの重要性については確信している。「ディープキスは、パートナー選びにおいて重要な役割を担っていると私は考えています。1回目のディープキスで感情がより高まる可能性もありますし、別れの決定打になることもありえます」

このように〈ディープキス=本能的行為〉説を主張しているフィッシャー博士だが、文化的影響も無視できない、と認識している。「人間の脳は柔軟です。先天的に受け継がれた基本的な行動パターンが、文化の影響でかたちを変える可能性はあります」。そして彼女はこう締めくくる。「私は、ディープキスが自然な行為だという見解を翻すつもりはありませんが、そこには、生物学的、文化的影響があります」

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Health

〈脳神話〉からの脱却を目指して

マサチューセッツ工科大学の生物学者、アラン・ジャザノフ教授は、脳が過大評価されている現状に警鐘を鳴らす。全てが脳のひとり芝居であり、脳は舞台に立つ唯一の俳優だと広く考えられているが、実際は多くの俳優が舞台袖で待機している。出番待ちの俳優たちを知らなければ、われわれは脳の本当の機能を理解できない。

by Shayla Love
06 September 2019, 5:12am

「真に重要な意味をもつ自分の全てが脳の産物であり、事実上、〈自分=脳〉であることは可能なのか?」。これは、新刊『The Biological Mind: How Brain, Body, and Environment Collaborate to Make Us Who We Are』の冒頭で、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology: MIT)のベテラン生物学者、アラン・ジャザノフ(Alan Jasanoff)教授が投げかけた問いだ。

われわれ人間にとって、そしてわれわれのアイデンティティにおいて重要な全てが、頭蓋骨内の1.3キロ程度の器官に収められているというコンセプトは、魅力的だ。脳はよく、人間の感情や個性を司る管制塔と呼ばれる。意識、精神疾患、行動研究においては、脳が主要な研究対象だ。

しかし昨今、脳の自律性が過大評価されている、とシャザノフ教授は異論を唱える。われわれは、教授がいうところの〈脳神話〉にとらわれている、というのだ。全てが脳のひとり芝居であり、脳は舞台に立つ唯一の俳優だと広く考えられているが、実際は多くの俳優が舞台袖で待機している。出番待ちの俳優たちを知らなければ、われわれは脳の本当の機能を理解できない。

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もちろん、あらゆる点において脳が重要な役割を担っているのは間違いないが、脳も他と同じくひとつの器官である、という事実をわれわれは忘れがちだ、と教授。脳も、同じ生物学的法則と生理的プロセスに従っており、程度にかかわらず、外部からの影響を受けているのだ。

2018年3月中旬、新刊の出版にあたって、どうすれば適切に脳を評価できるのか、ジャザノフ教授に話を聞いた。

〈脳神話〉とは?

私の造語です。脳についてのステレオタイプ的言説を指す言葉として使用しています。脳は、実体よりも高性能で、未知で、自己完結的で、魂に近いものとして扱われがちです。

脳神話が顕著なのは、例えば脳の絵です。脳をテーマにした書籍の大半は、表紙に、発光する半透明の脳が描かれています。全ての書籍、とはいわないまでも、大体そうです。それは世間が脳と結びつけがちな、驚異の念、畏怖の表象の典型です。脳は、超自然的なモノのように扱われています。私からすれば、それは非生物学的な脳のとらえかたです。もちろん、魅力的なアイデアではありますが、それこそが、脳の働きや、脳を有することと魂を有することの違いについての理解が歪んでしまっている理由だと考えます。

私たちは脳と他の器官をどう区別しているのでしょう。つまるところ、〈脳=魂の在処〉と考えることの、何が危険なのでしょう。

私たちは、脳を器官として捉えない傾向にあります。みんな、身体のいち部というよりは、むしろ、コンピューターであるかのように理解しているんです。〈脳=コンピューター〉という例えはおなじみなので、ほぼ全員が、何らかのかたちで知っているでしょう。それと密接に関連しているのは、脳の複雑さは人智を超える、という定説です。人間が脳を理解する日は来ない、とする主張もたくさんあります。脳こそ、既知の宇宙でもっとも複雑なモノなのです。

脳の実に複雑な特質と、コンピューターに例えられることが相まって、まるで、脳が身体のいち部分ではないかのように、私たちは信じ込んでしまいます。生物学では説明できないし、自然のものでもない、と。それが、私が呼ぶところの〈脳体二元論〉につながります。かつての〈実体二元論〉に近いんですが、その現代版です。

脳は身体をコントロールしているともされています。〈脳は身体の管制塔〉というフレーズを聞いたことがある人も多いでしょう。もちろん、その言葉には、多分に真実も含まれています。しかしそれだと、脳が身体を、単一方向、つまり、トップダウン的にコントロールしているようなイメージを植え付けてしまいます。本当は、脳と身体とのあいだには、双方向的な作用がたくさんあるんです。身体も、そして環境も脳をコントロールしています。

このようなステレオタイプがどうして危険か。もちろん、そういった考えかたがまったくの間違いなわけではありません。しかし、それらがひとくくりにされ、極端な言説になると、脳の機能についての私たちの理解が限定されてしまうのです。〈管制塔〉のステレオタイプは、おそらくもっとも厄介でしょう。周辺環境が人間に及ぼす影響に鈍感になってしまいますからね。また、人間の行動についての理解も阻害します。私たちが、人間の脳を神秘的で万能だと判断すればするほど、そして私たちが自分自身を、脳機能だけで定義すればするほど、私たちをたらしめる、脳以外の数々の要因に無頓着になってしまいます。

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私たちは、感情の発露も脳の管理下にあると考えがちです。私たちの抱く感情に変化を与える、感覚的、環境的影響とは、例えば何ですか?

意識をもつ私たちには、自己管理感覚が備わっており、そのなかには感情の管理感覚も含まれます。しかし実際、私たちの行動や感情は全て、脳の外、もっといえば身体の外からの影響を受けています。いくら私たちが脳は管制塔だと考えていても、脳と身体内外からのあらゆる影響、必然的で観測可能な関係性があるのです。

周辺環境からの刺激とは、例えば光、温度、色などです。そういった要素が私たちの気分、情動的意思決定に影響します。おそらく、いちばん有名なのは〈季節性感情障害(Seasonal Affective Disorder)〉と呼ばれる症状でしょう。日照不足の寒冷地の冬に発症しやすいうつ病の1種です。

また、暑いと攻撃的になる現象もあります。周辺環境の気温が数度上がるだけで、攻撃性のレベルも上がるという傾向があるんです。『The Science』誌に掲載されたメタ分析はすばらしく、様々な例が挙げられています。私が驚いたのは、警察官が射撃訓練で、気温が低いときより高いときのほうが多く発砲するという報告です。

私たちは、常に感覚を受容しています。みんな、「自分の管理はできているんだから、このデータに従って行動すればいいんだ」という感覚システムを想像しがちですが、実際、私たちは目、耳、口、肌が受容する感覚に大きく左右されます。

空腹の裁判官がより厳しい判決を下すことを明らかにした研究もありましたね。

いかにも、裁判官は昼食後により軽い判決を言い渡す傾向にある、とした有名な研究です。暮らしのなかには、私たちの言動に影響を与えるものがたくさんあるんです。身体がちょっと痛いだけで不機嫌になることもあります。深く考えなくても、それらの多くは当たり前だし、直観的に理解できますよね。機嫌が良いときは、きっと死刑判決を下したい気分にもならないでしょう。

教授の説は、精神疾患などについての理解にはどうあてはめられますか? 現代では、精神疾患ははっきりと生物学的に定義されており、脳やその機能障害がベースとなっています。

脳の病気としての精神疾患を再定義しようとする大きな動きがあります。意義深い活動です。多くの患者が、治療を求めるさいに大きな文化的障壁に直面していますから。こうやって精神疾患を新たなかたちで提示することが、状況の改善につながります。別の観点からいえば、精神疾患を脳の病気と同一視することは誤解を招きやすく、場合によっては有害ですらあります。

ひとつは医学的な観点、治療の観点からの話です。精神疾患を脳の病気とみなしている患者は、脳に直接作用を及ぼすと考えられる治療を受けることが多いんです。たとえ、それが必ずしも正しい選択でなかったとしてもです。この20年で、より行動療法に近い治療から、薬物療法へとシフトしてきています。

ふたつめは、自分は精神疾患を患っているのではなく、脳がおかしくなっているだけだ、と信じている患者です。彼らは自らの不具合を、社会的療法で治せるものではなく、むしろ生来のもの、不変のものだ、と考えてしまう。ひと昔前の精神疾患のとらえかたですね。自分が世間でどう見られるかについても、そうやって考えます。もし自分の脳に疾患があるなら、みんなから距離を置かれてしまうはずだ、なぜなら、みんなが私を、欠陥があり危険だとみなすから、と。

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精神疾患を脳の病気のひとつに限定した見方をすると、さらに大きな問題があります。それは精神疾患そのものの定義に関係した問題です。精神疾患は文化を通して、数多くの医師や利害関係者が話し合って決めた総意を通して定義されます。その定義は、実に文化的な産物なんです。今からわずか60年ほど前には、同性愛も精神疾患のひとつとみなされていました。だからといって同性愛は脳の病気ではありませんよね。国ごとに、精神疾患の定義も違います。だからといってそれぞれの国の精神疾患が、全て別の脳の病気なわけではありませんし、かの国の脳の病気が、この国にないわけでもありません。もちろん、脳機能と精神疾患に関連性がない、とはいいません。しかし、精神疾患をただ単純に脳の病気と呼ぶのは、実に還元主義的だと思います。

もしうつ病や精神疾患が単なる脳の病気であれば、発達期の子どもたちの貧困などといった問題に立ち向かう人びとを手助けするための社会的プログラムを立ち上げても、意味がないということになってしまいますね。

その通りです。精神疾患の定義にも原因にも、より広範な、社会的事象が関与しているんです。この社会では、集団ごとに、精神疾患の疫学データも異なっています。さかのぼること20世紀初頭、1930年代に発表された研究結果に、注目すべきものがあります。都市部での誕生や成長と、統合失調症には関連性があるという結果が出たのです。また、個々人の外部で起こり、メンタルヘルスに影響するとされる事象を明確に示す関連性は、これ以外にもまだあります。

意識の研究はどうですか? 一般的に、意識は神経科学の最後のフロンティアとみなされ、意識が脳内のどこでどう発生するかが研究されています。しかし教授の説では、意識を脳のみで研究するのは間違っているということでしょうか。

私は神経科学者で、脳機能を研究することに人生のほとんどを捧げてきました。だから、間違っていません。意識の構成要素や、他の認知/行動機能を脳に求めることは、間違っているとは思いません。

とはいえ、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無だと私は断言します。脳がなければ意識は生まれません。意識が依拠するのは主に脳でしょう。しかし、私たちが意識する対象は、全て、とはいいませんがほとんど全てが、脳外部にあるものです。身体機能を意識するときはもちろん身体に、周囲の出来事を意識するときは、受容する感覚に頼っています。これらは、脳が孤立して機能しているわけではないと示す例です。

さらにいうと、人間の高度な認知機能には、身体や周辺環境にかなり頼っているものもあります。例えば、人間の身体のかたちは、私たちの認知に影響しています。いわゆる〈身体化された認知〉です。例を挙げると、有名なヴァイオリニストであり、作曲家でもあったパガニーニ(Paganini)は、関節が異常にやわらかく、3本の指がそれぞれありえない方向に曲がったといいます。だからこそ、誰にもできない弾きかたでヴァイオリンを弾けて、それが、彼の作曲にも影響したんです。彼は、自分にしか弾けない曲を書きました。彼の精神は、るいは作曲時の彼の脳、精神の活動は、彼の身体の産物なんです。

自分の死後に〈自分〉を残す手段として脳を保存しておくというテクノロジーの構想についてはどう思いますか? 最近では、脳の全てを余すところなく保存し、のちにどこかにデータをアップロードして自分が再びこの世界に存在できるようにする、と標榜するスタートアップ企業も登場しています。脳と身体が離れたときに存在する〈自分〉は、〈自分〉なのでしょうか。

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脳の永久保存や、死去したばかりの対象者の脳を保存するサービスを謳う企業はいくつかあります。彼らが目指しているのは、脳をスキャンし、デジタル環境にアップロードすること、あるいは技術的に可能になったら、脳を若返らせ、新しい身体に移植することも検討されています。

そもそも現段階において、この構想は実に不確かです。脳を保存するテクノロジーはまだないし、すぐに登場する様子もありません。ただ、このサービスにお金を払おうとする人びとがいる事実が、まさに〈脳神話〉の力を示す証拠です。

たとえ、誰かが技術的障壁を全て乗り越え、実際に脳を適切に保存し、分析し、機器につないだりシミュレーションを実行できるようになったとしても、そこに現れる〈自分〉は、元の〈自分〉とは別物です。脳と脳内の生理機能が全てアップロードされたとしても、身体とつながっていた脳とは、得る経験がまったく違うんです。それは、感情や、外部からの感覚刺激の受容のしかたが、脳だけではなく、外部からの刺激と脳とのつながりに依拠しているからです。

シミュレーションを丁寧に行えば、その問題も埋め合わせできるかもしれませんが、いずれにせよ脳を、身体や周辺環境のなかで相互に作用するシステムとしてシミュレーションしなくてはならないでしょう。もし、アップロードされた脳に、今の私たちと同じような思考、感情を経験させたいなら、脳の周辺環境、少なくともそのなかの主要な要素を、併せてアップロードしなければいけません。自分と似たような環境で育った、本物の脳を有する本物の人間がいれば、コンピューター内の脳だけのシミュレーションより、前者のほうが自分に近い、と感じるはずです。

脳は、私たちの思考、感情、価値、目標を決定づける拡張されたシステムのいち部であると考えれば、そこから学びを得られます。保存することが特別で価値があるのは、モノとしての脳だけではなく、文脈、すなわち環境、身体、脳、全てなのです。

This article originally appeared on VICE US.

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