挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブリーチガール 作者:森咲アサ

第3章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
10/26

すれ違う想い

 私は、瀧川泉が好きなんだと思っていた。ちゃんと心から、瀧川泉のことが好きなんだと。


 でもそんなのただの勘違いだったんだろうか。私の気持ちが、足りなかった?


『吉香の気持ちがもっと大きかったら、たぶん俺は吉香を選んだよ』


 瀧川泉の残像。濡れた茶色い瞳。寂しそうな背中。遠ざかる、背中。私は瀧川泉の何を見てきたんだろう。


「吉香?」


 気がつくと目の前に麻林がいた。相変わらずの金髪がふわふわと揺れている。


 その先には見慣れた教室の風景。人間とは不思議なものだ。何かに心を囚われていても、ごく自然に習慣的に、行くべき場所にたどり着くらしい。


「入るのか入らないのかハッキリしなさいよ」


「……入ります」


 ごめん麻林、今日はあんまり元気が出ない。出るわけがない。


 背中に突き刺さる優しい視線には気づかないふりをして席に着く。窓の向こうに目を向けると、いつか瀧川泉と見た青空が広がっていた。


 ……ううん、違う。空は毎日違う。同じ空は二度とない。瀧川泉と見た青空は、もう二度と見れない。


 瀧川泉も今、この空を見ているのかな。何を思いながら見ているのかな。




 時間というものは待ってくれない。さて、どうしたものか。


 放課後、部室、目の前には瀧川泉。麻林が鍵を開けて先に入って、次に幸人くんが入って、私が最後だったから扉を閉めようとしていたんだけど。


 今朝の残像がよみがえる。瀧川泉はしばらく私と目を合わせたかと思えば、ふいと顔を背けてしまった。


 そうして私を通り過ぎ、なかに入っていく。扉を閉めようと伸ばしていた手は行き場をなくしてしまった。


「ったく泉、いつまでこうしてるつもりだよー」


 遅れてやってきた譲司先輩が瀧川泉の茶色い髪をかき乱す。不服そうに顔をしかめる瀧川泉が、なんだか珍しくて。余計に遠く感じた。


「よし、行くよ吉香ちゃん」


「――はい?」


 行くってどこに。部室ならもう着いてますけど。譲司先輩が余裕の笑みを見せる。何だ、なんか嫌な予感。


「路上ライブ」


 ろじょーらいぶ。

 ……路上ライブ!?


「ヤです!」


 嫌すぎて声ひっくり返っちゃったよ。でもそんなこと気にしてられない。目を細めて見下ろしてくる譲司先輩に負けじと、あってないような目力で睨みつける。


 だって路上ライブって。行き交う人々のなかで歌うだなんて。無理、ありえない。


 校内のゲリラライブでさえ記憶どっか行くくらい緊張したのに。次は意識まで吹っ飛ぶかも。


「じゃあ今すぐ泉と仲直りしてよ」


 そんな無茶な。


「あのね、うち狭いの。5人しかいないの。そのうちのふたりがこんな状況じゃ、気まずい以外の何物でもないわけ」


 ……痛いところを突かれた。ドラムの前に座る瀧川泉をちらりと見やると、案の定、目をそらされてしまった。


「というわけで行くよ、吉香ちゃん」


 譲司先輩の声は、不思議だ。見えない壁の向こうから「こっちだよ」って手招きしているようで。いつも、よくわからない勇気をくれる。


「はい」


 だから私はいつも、うなずいてしまうんだ。




「……ここで歌うんですか?」


「いいでしょ、舞台って感じで!」


 まさかとは思ったけどそのまさかなんですね。やっぱり譲司先輩と私の考え方は違う。ぜんっぜん違う。


 夕暮れの歩道橋。足元を行き交う車たち。ちらほらと目の前を通り過ぎるひと、ひと、ひと。なんか軽く立ちくらみしてきた。


「路上ライブって路上でするもんじゃないんですか」


「じゃあ歩道橋ライブってことで」


「そういう問題じゃなくて!」


「ハイ、吉香ちゃん」


 手渡されたのはマイク。そう、マイク。……このひと一体なに考えてんだ。


「騒音で訴えられますよ!」


「騒音って思われないように歌えばいいんじゃないの」


 コノヤロウ、他人事だと思って! そんなふうに歌えるならとっくの昔に歌手デビューしてるって!


「金髪にする勇気があったんだから、大勢のひとの前で歌う勇気だってあるはずだよ」


 そういえば。私、何で金髪にしたんだっけ。譲司先輩の校内放送に、妙に背中を押されて変わろうと思って。変わりたくて。


 でも方法なら他にもあったはず。確かに髪が手軽で確実だけど。別にブリーチじゃなくたってよかったはず。


「泉のこと想って歌えば、きっと大丈夫だから」


 ――あ、そっか。私。


 瀧川泉に、見つけてほしかったんだ。気づいてほしかったんだ。もう一度、会いたかったんだ。受動的だったから足りないんだ。


「瀧川泉に、言われちゃいました。私の気持ちが足りなかったって」


 図書室で待ってないで、探せばよかった。追いかければよかった。ちゃんと、好きって。言えばよかった。


「私がもっとちゃんと瀧川泉を見てたら、今とは違う今があったんですかね」


 今さら後悔したってもう遅い。もう許してくれない。


 瀧川泉は誰も愛さなかったんじゃない。誰も愛せなかったんだ。きっとレイラさんだから愛せたんだ。


 私の気持ちを信じようとしてくれたのに。結局、私が裏切った。


「吉香ちゃん」


 なだめるような優しい声。わかってる。今さらこんなこと考えたって何の意味もない。


 だけど、涙が自然と込み上げてくるように、脳は勝手に解決策を探す。どうにもできないことをどうにかしようとする。バカみたいだ。


「吉香ちゃん。俺ね、歌い手にとって失恋ってプラスだと思うんだ」


 なぐさめてるつもりだろうけど、失恋ってちょっと。いいけど別に。その通りですから。


「またひとつ感情を知るわけでしょ? ひととして少し大きくなると思う。伝えられることが増えると思う」


 瞳に溜まった水分がこぼれ落ちて、いくぶん見えやすくなる。譲司先輩は、やわらかく笑っていた。


「きっと今の吉香ちゃんなら、たくさんのひとに届けられるよ」


 だからその涙は無駄じゃないよ、って。言ってくれてるみたいで。余計、泣きそうになるけど。やめよう。歌おう。


 譲司先輩に伴奏を頼み、マイクを握りしめる。行き交うひと、車、視線。怖い。でも、逃げない。


 瀧川泉に伝えられなかった想いを、今はただ譲司先輩の音に乗せよう。


 やわらかく広がるギターの音色。立ち止まるひと、振り返るひと、通り過ぎるひと。誰かに届けばいいと思った。届けたい、そう思った。




 あれから1週間。毎日、譲司先輩と路上ライブに出かけている。立ち止まってくれるひとなんてほぼいないけど、それでもいいと思った。


 たったひとりでも、聴いてくれるひとがいればそれでいい。


 今日も今日とて部室には行かず、ひとり玄関へ向かう。そうしてギターを背負った譲司先輩が来るのを待つ、はずだったんだけど。


 現れたのは、瀧川泉だった。


「あ、吉香。久しぶり」


 なんてことないみたいに話しかけてくる。心臓に悪い。悪すぎる。


「お久しぶりです」


 目を合わせられないから、うつむくしかない。どうかとっとと通り過ぎてくれますように。


「吉香」


 願いは叶わず、近づいてきた瀧川泉が目の前で立ち止まる。ひとのまばらな玄関。私たちふたりしかここにいないような錯覚に陥る。


「ごめん」


 何で謝るの? 顔を上げると、相変わらずの茶色い瞳と目が合った。なんだか切ない色をしている、ように見える。


「いろいろ勝手なこと、言った」


 瀧川泉らしくない。どうして今にも消えてしまいそうな表情で、そんなことを言うの?


「吉香、俺、振られちゃった、レイラに」


 ――ああ。そうだ。


「軽くロミジュリ状態だし、しょうがないよね」


 瀧川泉が傷つくのは決まってレイラさんだ。私じゃない。私なんかじゃない。


 目の前で打ちひしがれるこのひとを救う手段はない。私には、ない。


「……吉香?」


 突き動かされるようだった。瀧川泉の声を背中で聞いて走り出す。


 どこにいるのかなんてわからない。でも、学校中さがせばどこかにいるだろう。見つけなきゃ、レイラさんを。


「わ、吉香ちゃん。どしたの? そんな急いで」


 曲がり角を越えたところで譲司先輩に出くわした。ギターを背負った譲司先輩が、きょとんとした顔で見下ろしてくる。


「すみません譲司先輩。私、今日は行けません」


 行けない。こんな気持ちじゃ歌なんて歌えない。儚い瀧川泉を思い出して、なんだか泣きそうになる。


「別にいいけど、何で?」


「――レイラさんに、会いたいんです」


 会いたい。会わなきゃいけない。だって瀧川泉が。瀧川泉が。このままじゃ、瀧川泉が消えてしまう。


「レイラならたぶん生徒会室にいるんじゃない?」


 譲司先輩がやわらかく笑う。いつもと同じで、いつもとは少し違う。怒ってるのかな。


「すみません譲司先輩、この埋め合わせは必ず」


「いいから行きなよ。また明日」


 優しく促してくれる譲司先輩に、頭を下げることしかできなかった。そのままの勢いで生徒会室に急ぐ。


 私はなんて子どもなんだろう。瀧川泉しか、見えてない。




 生徒会室の前。上がった息を整えるために小さく深呼吸をする。ノックをしようとしたところでなかから冷たい声が聞こえた。


「まさかこんなことになるなんて」


 生徒会長だろうか? 磨りガラスになっているのでなかが見えない。


「天下の黒ヶ峰生が制服で路上ライブ。加えてそのうちのひとりが金髪と来れば、興味本位で録画するような人間も少なくないでしょう」


 ……もしかして譲司先輩と私のこと? そういえば写真とか動画とか、撮ってるひともいたっけ。


「すまない。それとなく私のほうから話しておく」


 今度はレイラさんの声だ。どうしてレイラさんが生徒会長に謝るの?


「まあ、削除申請もしましたし。そのうちネット上から消えるとは思いますが」


 嘘。ネットに載っちゃったの!? ど、どどどうしよう。恥ずかしすぎる!


「誰だ!」


 ひとり悶えていると、目の前のドアが勢いよく開け放たれた。同時にレイラさんが現れて、青い瞳で見下ろされる。


「阿部、吉香……」


「すみません! 盗み聞きするつもりなかったんですけど」


「何の用だ」


 ずいっと詰め寄られると余計に萎縮してしまう。だけどさっきの瀧川泉を思い出し、このままじゃダメだと奮い立つ。


「レイラさん、ちょっといいですか」


 キッと見上げた先できれいな眉がひそめられる。負けちゃダメだ。


「――すまない。少し出てくる」


 レイラさんが振り向いて、奥に座る生徒会長が見えた。彼は小さくうなずくだけで無表情のままだった。


「来い」


 レイラさんを追いかけて突き当たりまで歩く。立ち止まったレイラさんが振り返り、ニセモノの黒髪がさらりとなびいた。


「用件は何だ」


 きれいな声がさっさと言えと急かしているようだ。ぎゅっと拳を握りしめ、レイラさんの冷たい瞳を見上げる。


「何で瀧川先輩を振ったんですか」


 動揺したのがわかった。だって寄っていた眉根が離れたから。レイラさんが取り繕うように腕を組む。


「付き合う気がないからだ」


「もう、何とも思ってないんですか?」


「おまえには関係ないだろう」


 腕をほどいたレイラさんが私を通り過ぎていく。ニセモノの黒い髪が、目の端に映る。


「何で隠すんですか!?」


 衝動的だった。私は振り向いて、レイラさんの背中にそう叫んでいた。


「せっかくきれいな髪してるのに、隠すなんてもったいないです!」


 もったいない。あんなにキラキラしてまぶしいのに。もったいない。本当はレイラさんだって、瀧川泉が好きなのに。じゃなきゃそんな曖昧な言い方しないでしょ?


 レイラさんが静かに振り返る。青い瞳が射抜くように、まっすぐ私を捉えた。


「おまえは何にもわかってない」


 どういう意味だろう。私は、何をわかっていない?


「何にも、わかってない」

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。