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ブリーチガール 作者:森咲アサ

最終章

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「変わらなきゃ」【上】

 小さい頃からいろんなことをあきらめてきた。どうせ私には、とか。私なんか、とか。そういう言葉で私は私を傷つけてきた。


 期待するから失望するんだ。初めっから期待しなければ、落ち込むことはない。自分を守ってるつもりで、本当はずっと自分を殺していた。自分で、自分を。


「これで全員か?」


 並んだ私たちを見て尋ねてくる理事長。小さな声で「はい」と答える譲司先輩。


 言いようのない緊張感に胸が苦しくなる。まさか理事長みずからここに来るなんて思わなかった。理事長の声で、軽音楽部の未来が告げられるなんて。


「廃部の件だが、今回はひとまず取りやめることにする」


 ――え。


「その代わりといっては何だが、篠之宮譲司に1週間の停学、軽音楽部に1週間の活動停止を命ずる」


 理事長が少しだけ表情を和らげる。


「うやむやになっていた暴力事件の分だ」


 喜ぶべきところなんだろう。伝わったんだ、譲司先輩の気持ちが。ここ、なくならなくて済むんだ。そんなふうに喜ぶべきなのに。


 言わなきゃいけなくなった。自分の口で。自分の声で。


「吉香ちゃん!」


 あふれんばかりの笑顔を向けてくる譲司先輩に、私はうまく返せたんだろうか。




「はぁ……」


 無意識に落ちるため息。憂鬱。こんなことなら金髪になんかしなきゃよかったな。今日も、デスクマットのなかのお姉ちゃんの写真を見つめる。


 今まで、いろんなことから逃げてきた。簡単に手放せるものしか、つかまないようにしてきた。


 気づかないようにしてきた。欲しいものに、手を伸ばさないように。なのに。


『新しい自分を見つけてみませんか?』


『新しい世界を見てみませんか?』


 楽しくて、毎日。キラキラしてて。ずっとここにいられたら、なんて。


『ボーカルがあなたじゃなかったら、私たちに張り合えたのに』


 勘違いしてた。私がいるべき場所じゃなかった。私はあのひとたちを、遠くから見ていることしか許されないんだ。


 今までいろんなものを遠ざけてきたでしょ? ひとりでいい、そう思って生きてきたはずでしょ? 今さら何、期待してるの。


「――やめよう」


 戻ろう。本当の私に。弱くて、臆病な私に。光を、指くわえて見てればいいんだ。私は私でいいんだ。




 朝。今日はいつもと違って冷たい視線を感じなかった。代わりに不思議そうな視線をちらほら感じて、有名になっちゃったんだなぁと思う。そりゃあ西の譲司と東の泉だもん、しょうがないよね。


「吉香、さん……?」


 教室に入ったら、一気に不思議そうな視線が増えた。驚いて立ち上がったユキくんに程よい笑顔を向ける。


「おはよう、ユキくん」


「おはよう――じゃなくて! どうしたの、その髪」


「どうって別に普通でしょ」


「普通だけど普通じゃないよ!」


「やめたんだ。無理するの」


 ユキくんが追いかけてきてくれたけど素知らぬ顔で席に着く。うまく作れているだろうか。いつも通りの、私を。


「……辞めちゃうの?」


 そんな目でまっすぐ見つめないでほしい。汚れのない瞳で、見ないで。ぎこちない笑顔しか返せなくなるから。




「阿部さーん」


 昼休みに入って少ししたときだった。クラスの男子に呼ばれ、ドアのほうを見ると生徒会長がいた。相変わらず黒ヶ峰の制服をバッチリ着こなし、銀縁メガネの向こうから申し訳なさそうな視線をよこしてくる。


 正直、助かったと思った。ユキくんも麻林も、何か言いたそうにしていたから。


「どうしたんですか? わざわざ」


 生徒会長について突き当たりまで歩いた。でも背中を向けるばっかりで切り出してこないから、できるだけ優しい声で話しかけてみる。


 生徒会長の髪は、見事なまでに真っ黒だ。まじめに生きてきたんだと思う。たくさん努力をしてきたんだと思う。正しいことだけを選んできたんだと思う。だからわざわざ、ここに来たんだろう。


「すみませんでした!」


 振り向いたかと思えばこれだ。勢いよく頭を下げる。あの、生徒会長が。


「あなたを巻き込んで……利用して」


 やっぱり。生徒会長は悪いひとなんかじゃなかった。ただ譲司先輩がまぶしかっただけなんだ。苦しかっただけなんだ。


「聞きました、処罰の件」


 言いながらゆっくり顔を上げる。でも目は合わない。伏せたままで、合わせてくれない。


「僕はずっと彼が羨ましかったんです」


 ほら。


「僕の欲しいものを、軽々と手にしてみせるから」


 生徒会長は私に似ている。


 私にとってのレイラさんが、生徒会長にとっての譲司先輩なんだ。越えられない、壁なんだ。


「もしかしたら僕は、彼に認めてほしかったのかもしれません。競い合える相手だと」


 生徒会長が少しだけ頬をゆるめる。――似ているけど違う。私と、生徒会長は。向き合おうとしている。譲司先輩と、戦おうとしている。


 ……私は? 私は逃げようとするばかりで。目の前の現実から目を背けて。


「髪、戻したんですね」


「あ――はい」


「不思議ですね。前のほうがあなたらしく見える」


 私は誰なんだろう。

 私らしい、私のはずなのに。




「吉香さんも行くよね?」


 放課後。帰り支度を終えたユキくんが当たり前のように聞いてくる。停学処分中の譲司先輩に、会いに行こうという話だ。


「ごめん、今日はちょっと」


 譲司先輩に会うということは、すなわちあの話を切り出すということで。まだ心の準備ができてない。うまくごまかせる自信も、ない。


「吉香」


 麻林が探るような視線を向けてくる。お願い、まだ気づかないで。見過ごして。


「バイバイ、ふたりとも。また明日!」




 自己嫌悪。ああ、もう、ほんとに。自分が嫌で嫌で仕方ない。これでいいはずなのに。うまく離れられたら、いいのに。何で泣きそうになるかな。


「あれ、まだいたの」


 放課後の教室、ふたりを半ば追い出したあと。自分の席から動けずにいたら、そんなゆるい声が耳に届いた。振り向けそうにないからうつむくと、足音が近づいてくる。


「そういう瀧川先輩こそ」


「俺はレイラ待ち」


「忙しいですね、生徒会は」


「何でこっち見ないの」


 気づかないでくれたらいいのに。見過ごしてくれれば、いいのに。


「なんかあった?」


 何もない。何にも。だからこそ苦しい。虚しい。


 初めから何にもなかったことには、できそうもないから。この手を離せば心が空っぽになるって、わかるから。


「見事に真っ黒」


 答える気がないと伝わったのか、するりと話が変わる。それでも顔を上げられずにいたら、目の前まで来てしゃがみこむ。――ああ、見られてしまった。


「ほんとに、それでいいの?」


 涙でぼやけて表情はよくわからない。ただ声だけは優しく鼓膜を揺らす。胸が苦しい。


 ほんとは。離れたくなんかない。この手を、離したくない。


 みんなのそばにいたい。でもそばにいればいるほど、自分の不甲斐なさが目について。自信なんて持てない。


「ねぇ吉香、何でひとはひとを好きになるんだと思う?」


「……何でですか?」


 こらえきれなかった涙が落ちて少しだけ視界がよくなる。瀧川先輩は、やわらかく微笑んでいた。


「許してほしいからじゃない?」


 ――許す?


「誰かに、自分のこと」


 難しいことはよくわからない。ただひとつわかるのは、好きを自覚してしまえば後戻りできないということ。


 だから私は瀧川先輩に言えなかったのかもしれない。私はあのときだって今だって、こうやって逃げつづけてるんだ。




 瀧川先輩が送ると言ってくれたけど断って、ひとり電車で帰ってきた。あのバイクにはもう乗っちゃいけないと思ったから。レイラさんの場所だから。


 ベッドに座り、そのまま横になる。今さらだけど電気つけようかな。別にいっか、勉強してるわけじゃないし。


 譲司先輩、どうしてるかな。もうユキくんと麻林は帰ったかな。寂しく、ないかな。――寂しいのはどっちだよ。


『葛目!』


 あのとき、本当は真っ先に私を心配してほしかった。生徒会長より何より、私に駆け寄ってほしかった。


 ワガママだ。こんなふうに望んでばかりいるからダメなんだ。待ってるだけじゃダメってわかってるのに。


 目に見えないものを信じられるほど、私は強くない。だから譲司先輩の気持ちを測ろうとして、余計わからなくなって。もっともっと弱くなる。


 ――ヴー、ヴー。電話だ。重い体を起こし何とかカバンから携帯を取り出す。……ユキくん。どうしよう、出るべき?


「もしも」


『よよよ吉香さん、どどどどうしよう俺!』


 意を決して出たら動揺しまくったユキくんに言葉を遮られた。こっちがどうしようだよ。


「えーっと、落ち着いて?」


『麻林さんと付き合うことになっちゃった』


 麻林と、付き合う。……え? ユキくんが?


 私が知っている麻林は、いつも譲司先輩を見つめていた。譲司先輩が好きすぎて他の誰かを嫌いになってしまえるほどに。


『大っ嫌い』


 まあ、その誰かは私なんだけど。それでも少しずつ距離が縮まって、一応“友達”と呼べる関係にはなれたんじゃないかと思う。


『泣き止むまでそばにいてあげる』


 あの雨の日、麻林に救われたから。私も何か返したくて。でも、まだ何ひとつ返せてなくて。


『憧れは、憧れのままだった』


 譲司先輩と付き合って、別れて、麻林は傷ついたはずなのに。私の前では一度しか泣かなかった。


 強くあろうとする麻林を見ているのが、本当は少し、寂しかったんだ。




「おはよう吉香さんちょっと来て!」


 翌朝。教室に入ってすぐユキくんに廊下の窓際まで連れ出された。相変わらず動揺しまくっているらしい。


「まだ麻林さん来てないんだけど、俺ヘンじゃないかな!?」


「う、うん。いつものユキくんだけど」


「それっていいの悪いの!?」


「い、いいと思うけど」


 何この勢い。押されまくりなんだけど私。突き放そうと、思ってたのに。


「あ、ままま麻林さん」


 ユキくんが私の向こうに麻林を見つけたらしい。振り返ると、真っ黒い髪をふわりと揺らして微笑む麻林がいた。


「おはよう」


 麻林の真意がわからない。ほんとに麻林は、ユキくんが好きなんだろうか。




 昼休み。付き合っているふたりの邪魔はしたくないと言って、ひとり教室を後にした。でも行く当てがないから足は勝手に階段を上る。


 屋上に続く扉の前。ぎゅっとお弁当の袋を握りしめる。結局ひとりが怖いんだろうな、私は。


 扉を押し開けると光に包み込まれた。新しい風が吹き抜ける。この先に、終わりのない青空が広がっているんだろう。


「あ、吉香。どしたの?」


 なんて瀧川先輩が笑う。空にいちばん近い場所。今はただ、近づきたいと思った。


「お昼、ここで食べてもいいですか?」


 雲ひとつない、突き抜けるような青空に。




「聞いた。ユキと麻林、付き合いだしたんだって?」


 食べ終わり、お弁当箱を片付けているときだった。瀧川先輩が何気なく切り出してきたのは。気づいているんだろうか。私の不安に。


「ユキくん、嬉しそうでしたね」


「そりゃあずっと好きだったもんね」


「……麻林は、どうなんですかね」


 麻林はずっと譲司先輩が好きで。ユキくんのことだって、一度は振ったはずなのに。何で急に?


「嬉しくないの? 吉香は」


「そういうわけじゃないですけど」


「譲司にされたことをユキにしようとしてるって思ってるの?」


 言い返せなかった。図星だったから。本当は、そんなふうに思いたくない。麻林のことを信じたい。でも、突然すぎて。わからない。


「気になるなら、本人に聞けばいいじゃん」


「――そうですね」


 麻林の気持ちは、麻林に聞かなきゃわからない。私は超能力者でも何でもないんだから。勝手にやきもきするのはやめなきゃ。


 空を見上げてみる。雲ひとつない空。私の心情とは正反対だ。次から次に雲が押し寄せてきて、太陽が見えない。




 夜。晩ご飯も食べ終えて、お風呂も入って、宿題も片付けて、ベッドに横たわり、携帯の電話帳から麻林の名前を探す。電話していいだろうか。出てくれるだろうか。


『もしもし』


 数回のコールの後、麻林の落ち着ききった声が聞こえた。思わず体を起こす。


「麻林、いま平気?」


『うん。どうかした?』


 聞いていいんだろうか。怒らないだろうか。


『吉香?』


 ユキくんの横顔を思い出す。麻林を想って、キラキラ輝いていた。前を向こうとしていた。


 またユキくんが傷つくのは嫌だ。麻林が、誰かを傷つけるのも。嫌だ。


「ユキくんのこと、ほんとに好きなの?」


 空気がピンと張り詰めるのがわかった。でも負けちゃダメだ。ちゃんと聞かなきゃ、前に進めない。


『それ、どういう意味』


「だって前にユキくんのこと振ってるでしょ? なのに何で急に」


『私が幸人くんを弄ぼうとしてるって言いたいの』


「だって麻林は、ずっと譲司先輩が好きだったじゃん」


 譲司先輩しかありえなかったはずでしょ? 私にとっての、瀧川先輩みたいに。


 簡単に消えてほしくなんかない。瀧川先輩を好きじゃない私なんて私じゃないはずなのに。簡単に、消えないでよ。


『……泣いてるの?』


 優しい声だった。なぐさめようとしているような、優しい声だった。


 自分でもよくわからない。何で涙が出るのか。たぶん“自分”が揺らいで不安なんだと思う。


 “瀧川先輩を好きな自分”が、小さくなってどこかへ消えて。そしたら何も残っていない気がして。


 前を向くということは、大切な想いを置き去りにするということで。それが今はひどく虚しい。


『私、ずっと幸人くんが羨ましかったの』


「――え?」


『当たり前のように譲司先輩のそばにいて、みんなに優しくて、みんなに好かれようとして』


 少しわかるような気がした。ユキくんみたいに純粋な瞳で世界を映せたら、きっと幸せなんだろうなと思う。


『私はひとに嫌われるばっかりで。ずっと、羨ましかった』


 まあ麻林はちょっと嫌みったらしいっていうか。本当はたくさんの優しさを持ってるのに、うまく表現できないんだろうな。


『あんなふうに生きられたらいいのに、って。そう思うことは今までの自分を否定することになるから、幸人くんを嫌いになろうとしてた』


 ――あ。私と、同じ。私が譲司先輩に感じてたことと、同じ。


『でも嫌いになんかなれなくて。気づいたら、好きになってた』


 違う。麻林は、私なんかと違って。強い。


『幸人くんのそばにいたい、今は純粋にそう思えるの』


 強いから言えるんだ。はっきり自分の気持ちを。認められるんだ。


「いきなり変なこと聞いてごめん。聞けてよかった。ありがと」


『待って』


 切ろうとしたけど、麻林の強い声に引き留められる。逃がしてほしい。逃げ場がない。


『吉香、気づいてるの?』


「気づくって何に?」


『だから、吉香は譲司先輩のことが』


「やめて」


 言わないでほしい、それ以上。私だって本当は気づいてる。でも認めてしまいたくない。


 私が私じゃなくなる気がして。

 怖い。




 翌日、放課後。譲司先輩をいつかの喫茶店に呼び出した。路上ライブの後よく寄ったんだっけ。もう懐かしいや。


「吉香ちゃん」


 譲司先輩はもう来ていたみたいで、私の姿を認めるなり勢いよく立ち上がった。ああ、驚いたんだろうな。


 久しぶりに会った譲司先輩は何にも変わってなくて、私の心臓を変わらず締めつける。それでも気づかないふりをする。何にも変わってないように、振る舞う。


「お久しぶりです」


「何で、髪――」


「またブラックですか? 私も飲んでみようかな」


「吉香ちゃん!」


 いつもの余裕はどうしたんですか。なに焦ってるんですか。私の髪が黒かろうが白かろうが譲司先輩には関係ないじゃないですか。金髪の、レイラさんがいるんだから。

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