教師というのは普通、自分が得意な分野を教えるものだ。例えば、数学が得意な者が数学教師になり、英語が得意な者が英語教師になるという具合にして。もちろん担当する分野がまったく理解できないというのでは、生徒に教えることなどできないのだから、それは当然であるとも言える。
けれども教えるのが自分の得意分野であるがために、生徒にうまく教えることができない教師がいるのも、また事実だろうと私は思う。そんなことが起きてしまうのは、自分が学んだときにはすぐに理解できたようなことを生徒に教えなければならないので、教師には生徒たちがしばしば陥る「分からない」という状態が、分からないためではないだろうか。
つまり自分の得意分野を教える教師は、生徒が「どこで分からなくなるか」と「どうして分からなくなるか」が、分からないのだ。なぜかと言えば、自分が分からなくなったことがないからである。
しかし教わる側としてみれば、分からないのが当然だ。分からないから習おうとしているのだし、説明を受けている最中でも分からなくなってしまうきっかけはいくらでもあるからだ。
そもそも教える側がやるべきことというのは、自分が分かっているように相手に説明することではなくて、なるべく相手が分かるように説明することであるだろう。であるなら生徒が分からないところにこそ注目して、何が壁になっているのかを解き明かすのも教師の仕事だということになる筈である。
けれども酷い教師になると、「こんな簡単なことがどうして分からないのか」と生徒を叱ったり馬鹿にしたりなどしてしまう。そんなことをされれば、生徒の学ぶ気が削がれてしまうのは当然だ。例えばそれが、教師というものが往々にして垂れ流してしまう害悪である。
生徒が分からなくなる場面というのは、教師にとっては自分の説明をより分かりやすいものにするためのチャンスと言えるはずのものではないだろうか。にもかかわらず、そこから逃げようとする教師がいるのである。まったく馬鹿げたことだが、すべての生徒に対して自分の説明の通りにすぐに理解することを要求しているような、そんな教師がたくさんいるのだ。
そして生徒が理解できないのは、自分の説明が悪いからではなく生徒が愚かすぎるからだと思い込んでいるような、そんな教師がたくさんいるのである。それは、勉強から逃げようとする生徒を軽蔑しながら、自分もまた、自分の仕事から逃げ出そうとしているのだとは言えないだろうか。
そんな教師になら、はじめから学ばない方がましである。私が勧める方法は、「自分で学ぶ」というものであった。だから教師の方々には、もしも授業を聞かずに自分で勉強をしている生徒がいたなら、どうかその邪魔だけはしないで欲しいとお願いをしたいものだ。
そもそも教師という存在は、自分にとって最も望ましい状況が、自分は何もせず生徒が学びを進めていく状態だという、だからつまりは自分がまったく必要ない状態なのだというような、そんな矛盾を抱えているのではないだろうか。
もしも教師が、「愚かしさから賢さへと、自分が生徒を連れて行くのだ」という風な考えを持っているのだとすれば、それは非常に危険な勘違いである。自らが創り出した分野という訳でもないのに、生徒に対して「教えてやる」などと考えている教師も、また同じだ。
教師はただ生徒が学ぶときに、ときより少しの手伝いができるだけの存在でしかない。だから教師は、生徒が授業を聞かずに自分で勉強しているからといって、自分の存在が無視され脅かされたなどと考えて怒ってはならない。
大事なことは、生徒が学ぶべきことを少しでも多く学ぶということである。そのための邪魔をするということは、自分自身に背くということになるだろう。だから、教師はそんなことを決してしてはいけないのである。
あるいは、自分の授業は生徒が自ら学ぶよりも良いものであると思っているのだろうか。それはまず間違いなく、紛れもない嘘だろう。そして生徒の学びが最も大切なものなのだから、それに比べれば教師が感じるかもしれない「自分の存在の意味」などというのは、はっきり言ってまったく問題ではない。
生徒の学びを尊重できない教師は、教師という仕事をすべきではないだろう。なぜなら、どんな仕事であっても第一義を蔑ろにしながらでは、なにごとも成し遂げることはできないからだ。
そもそも十分な価値を持つ授業をしているのなら、生徒は自ずと聞こうとするのではないだろうか。だから「俺の話を聞け」と叫ぶ教師は、その時点ですでに負けているのだ。人のせいにすれば、不満は募る。自分の技量不足を生徒のせいにして、自分でかけた呪いに喘いでいるような教師を、私は何人も見てきた。
生徒が自ら学ぶことの邪魔するということ。それもまた、教師によって生徒にもたらされる害悪だと言える。そのうえ、生徒を問題を解けるだけの機械にしようとするものもいれば、自分の主義主張を生徒に押しつけようとするものまでいる。
だから生徒の側としては、もし自分が本当に勉強をしたいのならば、自分の邪魔をするような教師たちから逃げ出さなければならないことになるだろう。しかし残念ながら、実際は害悪を垂れ流す教師の方が、そうでない教師よりも圧倒的に多いように私には思えるし、だからそういう教師に一度も出会わずにすますのは、とても難しいことなのだろう。そして彼らを改心させるなどというのは、まず間違いなく不可能なことだ。
そうした状況は、生徒にとって不幸であるとは言える。ただし小さな子供であるなら仕方がないのだけれども、そうでなければ、自分の方から努力してよい教師を求めるべきだという考え方もあるに違いない。
つまり、ただ人に言われるままに何となく選んだ学校に入って、「ここにはよい教師が全然いない」と文句を言うのは甘いと言えば甘いということである。良い教師というのは、ただ担当する分野を教えるだけでなく、学ぶということ自体についても教えてくれるものだろう。そしてそんな教師との出会いからは、一生の財産が生まれるに違いない。だからそれは、自ら求めて得るべきものなのかもしれない。