終末の国 -Are you jealous?- 作:ナガシメサメハ
見回す限り大きな木々が連綿と続く森の中。草がはげ落ちて唯一道と呼べるものが一本中央に通っているが、所々に細かな礫が散らばっている。その脇に一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す。)が停められていた。モトラドの背には大きな荷物がつまれており、その近くには簡素なハンモックが張られている。
もうじき日が暮れるころだろうか、遠くの山々の向こうに日が隠れようとしていて、あたりは薄暗かった。
しかし、ハンモックの傍は灯りに包まれていた。大小さまざまな木で組まれた薪から、時折パチパチと木の実がはじけるような音が聞こえる。
「お帰り、キノ」
そんな静寂の中、ポツリと呟くようにモトラドが話しかける。
「ただいま、ふぇるめふ」
すると、近くの藪がガサと動き、一人の人影が出てくる。手にはウサギのような小動物の死骸が握られており、その口にナイフを咥えている。少し物憂げな表情をしているように見えるのは、炎に顔が照らされていないからだろうか。
キノと呼ばれた運転手は予め用意しておいた平たい木の板を、石の上に置いた。その上に丁寧に死骸を置き、先ほどまで咥えていたナイフで器用に切り始める。
「何か、考え事でもしてた?」
「そう見える?」
「見えるよ」
内ももから後ろ足へ。皮をはぎ、慣れた手つきて首を落とす。途中、水筒から水をかけ血を落としながら、キノは答える。
「彼女たちのことと、旅の事を考えてた」
「へぇ、旅の事について考えるのは珍しいね」
「自分でもそう思うよ」
キノはあっという間に「死骸」をすっかりお店で売られているような「お肉」へと解体すると、太めの木の串にさして、焚火のそばに立てかけた。とすれば、あとは焼けるのを待つだけだ。
「ボクはこうやって旅を続けていて、たくさんの景色を見てきた。ボクの想像を超えるような国もあれば、他の国と似たような国もそれなりにあった」
「そうだね。今まで色んな国を見て回ったし、これからもキノは旅をつづけるでしょ」
いただきます、と小さく呟くキノ。いい塩梅に焼けた肉をほおばりながら、キノは話し始める。
「まぁ、これからもそれは変わらない。ボクが死ぬまでは旅をつづけるよ。でも、彼女たちはただ生きるためだけに旅をしていて、だけどそれはとても綺麗だった。ボクは何度か危ない目にあって、パースエイダーを使ったことも何回かある。後悔してるわけじゃないけれどね」
そこまで話すとキノは腕組みをして、話し始める。ゆっくりと、言葉を選んでいるようだった。
「でも、ボクの旅はただ生きるためにやってるわけじゃない。これはなんていうか、言葉にすれば難しいんだけど・・・ボクは今こうやって旅をしていて、でもここじゃない誰かがやっていることが、自分がやっていることよりも尊くて、今ボクがやっていることは程度が低い事なんじゃないかと思ったんだ」
「都会の味覚は甘いってヤツだね」
キノはしばらく考えて、
「・・・隣の芝生は青い?」
「そうそれ!」
エルメスが嬉しそうに答える。
「それはちょっと違うと思うけど・・・まぁとにかく、ボクの旅はどこかの誰かからすればちっぽけなんじゃないかなって、少し、本当に少しだけ思ったんだ」
「うーん、でもたしかキノは、結構前にいった国でとんでもない経験をしていなかったっけ?キノは忘れてるだろうけど」
「あぁ、あの国ね・・・ボクは覚えてないけど」
キノは過去に自分が訪れた国の一つを思い出す。どうやら自分はその国でとても素晴らしい三日間を過ごしたようなのだが、生憎とその国のルール上その記憶は消されていた。エルメスから何度かどんな国だったのか教えてもらおうとしたが、生憎とそれはモトラドの流儀に反するとかで、未だに謎のままだ。
「でも、やっぱり少しだけ彼女たちがうらやましい――」
「テツガクしてるねぇ、キノ」
「そうかなぁ」
モトラドに表情はないのだが、エルメスはなんだか笑ってるような気がした。消えかけの焚火が、キノを照らす。
「よし、行こうかエルメス」
「あれ、まだ夜だけど」
「少し走れば、何か思いつくかなと思ってさ」
キノがエルメスのアクセルを踏む。暫くしないうちに森を抜けると目の前には草原が広り、遠くにはキノが次に訪れるであろう国の城壁だろうか、灰色の壁が見える。
月明かりと、エルメスのわずかなヘッドライトだけが頼りだったが、森を抜けた先の道はある程度のところから舗装されていて、とても走りやすかった。その道をモトラドのライトが一つの線となって夜の道を照らしていた。
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そこに緑はなかった。日中わずかな光が地上を照らしてはいるが、苔などが生えるのにはまだ時間がかかるのかもしれない。見える景色は崩れかけた廃ビルと古びた石像と、あとはいくつかの何とも言えないような人工物程度。地上には瓦礫が転がり、生物の姿は一つとして見られない。
その地上部、見回す限り太いパイプが交差し連綿と続いている道の脇に一台のケッテンクラートが停まっている。それにもたれかかりながら、チトはウンウンと唸っていた。
「うーん、赤だったか、黄色だったか」
「ねぇちーちゃん、何してるのー?」
ケッテンクラートを挟んで反対側、ユーは何かの金属をいじくりまわしながらいつも通り、ゆるっとした声色で話しかけてくる。
「この前も言ったろ。日記だよ」
人は記憶を忘れるものだ。だから、記録する。文字を編み出した時からそれは今の時代までずっと続いている。仕事の効率的なやり方、難しい作物の調理法、災害周期、危険な動植物に関する知識。チトの書く日記はそれらと比べてもちろん小さなことかもしれないが、ほとんど人と会うことがないユーとの旅において、記録するべきことはたくさんある。
「いったっけ」
だが、ユーはそのほとんどを覚えていない。いったよ、とあきれながら返事をする。食べ物のこと以外はなんでも忘れるユーだから、きっとこの先このやり取りを何回もするだろうなとチトは思う。
「人はパンだけに生きるのにあらず!」
「うわぁ、なんだよ」
ケッテンクラートが少し揺れる。チトからは見えないが、きっとユーは何かポーズでもとっているのだろう。
「へへ、響きがカッコいいよね」
「意味わかって言ってんのか、あと暴れるな」
「ねぇ、ちーちゃん」
ペンの芯が短くなってきたので、ペン先を緩める。すこし面倒ではあるが、芯が無駄にならないこのペンをチトは気に入っていた。
「こんどはなんだよ、私は今—―」
「なんか、聞こえない?」
その声色がよく聞けば普段よりも真剣なものだと、気づいてからのチトの行動は素早かった。文字を書く手を止めて静かに耳を澄ます。遠くの方で何か音――エンジンのような機械の駆動音――が聞こえる。いつでも動けるように上体を起こして、注意深く辺りを見回す。
「後ろだよ、近づいてきてる。結構早いねぇ」
確かに、遠くに見える影がぐんぐんと大きくなっているのが見える。ケッテンクラートに乗ってすぐに逃げてもこれでは追い付かれてしまうだろう。ほとんど叫ぶようにして声を飛ばす。
「ユー!銃はいつでも――」
「だいじょうぶー」
急いで本をケッテンクラートの中に放り投げ――瞬間、短くなった芯がさらに折れて短くなることに後悔したが――音のする方向とは逆、ケッテンクラートの裏へと転がり込んだ。
「危なくなったらすぐ隠れろよ、最悪でも、命までは取られないだろ」
「ちーちゃんは心配性だなー。だいじょうぶだって」
「なんでそんなに楽観的なんだ・・・」
暫く身を潜めていると、音はどんどん大きくなり、ついにはチトから見える位置に何かが止まった。
音からして車のようなものだと思っていたが、それは一台の二輪車だった。チトがいいままでに見たことのないものだったが、機銃や砲塔といった武装はなかった。チトは少しだけ安心する。ゆっくりと降りてくる人影は、一人だけ。壊れかけの電灯が明滅し、その人影を照らしたり、隠したりする。
茶色のロングコートが膝まで伸び、その下に黒いジャケットを羽織っている。手には大きな拳銃が握られており、その銃口はまっすぐにユーリを狙っている。顔は陰で隠れて、見えない。
そしてユーリといえば身じろぎ一つせずに、手に握ったライフルを真っすぐ相手に向けている。
拳銃とライフル、二つの射線が交錯する。それは数秒だったか、数分か。チトからすればとても長く続いたように思えた。
「銃をおろしてくれませんか、ボクはあなたたちに危害を加えるつもりはありません」
先に銃を降ろしたのは相手の方だった。意外にも、その声はずいぶんと若かった。その声の主は手に持った銃を床に下ろすと、ゴソゴソと背中をあさり、もう一つの銃を床に降ろした。どちらの銃も年季が入っていて、沢山使われているように見える。
「ユ、ユー」
「はーい」
緊張からか、言葉こそ出なかったものの、銃を降ろせという意図は伝わったようだった。ユーが銃を降ろすと、その人影はゆっくりとこちらに歩いてくる。
ケッテンクラートの近くの電灯はなんとかついていたので、チトはついにその顔を見ることができた。
一目見て確信したのは、チトとそこまで年齢が変わらないという事だった。そして、驚いたことに性別はきっと女の子だ。すこし雑に切られてはいたが、きれいな髪に端正な顔立ちをしていて、特に印象的なのはその目だった。緑色で透き通っているが、少しだけ違和感がある。
「こんばんは、ボクはキノ。旅人です。あなた方は?」
「私がチトで、こっちがユーリ。上層――あっちの方を目指してあそこのケッテンクラートでとにかく上の方に走ってる」
「なるほど、二人だけでですか」
「たまに増えたりもするよね」
横からユーリが口を挟む。
「エルメス、どうやら成功みたいだ。やっぱりあの国はすごいね」
「そうだね、キノ。でも注意して。多分、そんなに長くない。一日か、十時間か、もしかしたらあと数分かも」
キノが振り返って声を飛ばすと、エルメスと呼ばれたバイクがしゃべった。というか、他にしゃべりそうなものがこの場所には無い。
「・・・えっと、じゃあまずは軽くボクたちの事を話しますね――」
それから、キノが色々と説明をしてくれた。バイクが喋ることだけでも驚きだったのだが、さらにキノはこの世界とは別の世界――といってもにわかには信じがたいが、そこから自分は来たのだと説明してくれた。
キノは旅人として様々な国を訪れていて、今回訪れた国には他の世界と接続して肉体の情報を送ることができる機械があったので使ってみたらしい。らしい、というのは、エルメスがその原理の説明をしてくれていたのだが、チトはその半分も理解できなかったからだ。
「キノは運がよかったねー、ここは全然人がいないから、もしかしたら延々と何もない風景だったかも」
「ユーリさんたちに会えなかったとしても、多分ボクはそれなりに満足すると思いますよ」
「そう?変わってるねーキノは」
直ぐに呼び捨てにできるユーリが羨ましい。どんな親近感だよと思ったが、口には出さない。
「いやいや、ユーリさんほどじゃないですよ。初対面の相手を、ボクは信用できない。狙うときは、ためらわず狙いますね」
「あー、やっぱり?」
ユーがてへと舌を出す。
「はい、でもそのおかげでボクはユーリさん達を信用できました」
「結果オーライだね」
なんのことだとユーに聞けば、ユーはわざと射線を外していたのだそうだ。キノが言うにはあのまま撃っていても自分には当たらなかった、と。ユーは何とも思っていないのかもしれないが、キノは此方が銃を撃てば絶対に打ち返してきたし、場合によっては――私たちは殺されていただろう。
ユーは確かに銃の腕はある。だけど、人を殺したことはない――此方の世界の事を知りたそうにしていたキノには申し訳なかったが、これから先に私たちに必要なことが聞けるかもしれないとチトは思った。
「あの、キノは今までに銃を撃ったこと、ある?」
人を、という言葉を入れなかったのは、その先を聞くことが少し怖かったからかもしれない。
「もちろん、ありますよ」
キノの即答に、すこしだけ気圧されていると、
「人をうったこともあるのー」
「ええ、何人も」
チトが聞きたかったことを、ユーが代わりに聞く。答えるキノの表情は一切変わらない。最初に会った時と同じで、濁りのない目をしている。
違和感の正体が、わかった。
この旅人は、芯が通り過ぎている。人を殺すという事は、その過程がどうあれ絶対に慣れていいことではない――と私は思う。
私たちとは違う世界だとして、旅人になる女の子は珍しくはないのだろうか?・・・きっと、とても少ないはずだ。何かきっと重大な決断をして、キノはここにいる。それを全く感じさせないようない態度をしていても、だ。
この目は、覚悟の表れだ。純粋に羨ましいとチトは思った。この覚悟はきっと、今のチトにはないだろうから。
「ありがとう・・・なんか、わかった気がする」
「いえ、これからも良い旅を続けてください」
「あー、お取込み中のところ悪いんだけど。キノ、ちょっといい?」
キノがそこまで言うと、エルメスがしきりにキノに話しかけていた。キノは少し驚いて――それから、慌ててさっきまで置いていた銃を拾ってから、エルメスに抗議していた。
「ボクはまだ何も聞いていないぞ、早くないか、エルメス!?」
「このままだと、たぶん戻れなくなるよ。それでもいいかい、キノ」
「それは・・・わかったよエルメス、二人とも、どうか気を付けて!」
ガコン、とアクセルを踏むと、キノ達はものすごいスピードで走って行ってしまった。後にはチトと、ユーリと、ケッテンクラートという日常が戻ってくる。
「・・・それじゃ、私たちも行くか」
「嵐みたいな人たちだったねぇ」
その通りだとチトは思う。これならユーも忘れないだろう。しばらくは。
ガタゴトとゆっくりと進むケッテンクラートを運転しながら、チトは思う。私たちの旅に、意味はあるのだろうかと。時代の流れで、押し出されるようにして始まった私たちの旅と、キノとエルメスの旅は違う。私たちにあって、キノにないものなんてあるのだろうか。
「ちーちゃん?」
「んー?」
ケッテンクラートを運転しているから、チトの顔は見えないはずだったが、ユーは何かを案じているかのようだった。
「何か考え事でもしてたー?」
「いや、別に」
「そう?でもさー、私たちにもエルメスがあればもっと快適な――うわわっ!」
ユーが愚痴を言うと、ケッテンクラートが大きく揺れた。大きな瓦礫でも踏んずけたのだろう。
「じょ、冗談だよー」
「お前何ひとりでしゃべってんだ」
遠くのほうまで、よく見える道だった。どこまで行っても瓦礫と壊れた建物と、何かの石像しかなかったけれど、チトは少しだけ、この景色も悪くないなと思った。
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キノとエルメスがいなくなってから数十分後、森の中にあった焚火はその役目を終えて静かに消えた。焚火の跡からは白い煙がゆっくりと空に昇っていた――