日本再訪_2

いま考えてみると、あの係官は何かの理由でわっしの顔を憶えていたのでしょうか。

いつものように税関の「申告なし」の列に並んで、パスポートを返してもらって立ち去ろうとしたら「お帰りなさい」と言う。不意をつかれて、わっしは涙ぐんでしもうた。

なにしろ自分の国に戻ってもバカ係官に「デザーターだな」と言われるくらいなので、わっしのような「hoboさん」にとっては、こんなことを言ってもらえる国は日本の他には考えられません。

日本のひとには、そういう優しい気持ちがある。

詩人の岩田宏が鎌倉の駅前の横断歩道でよろめいたおばあちゃんを咄嗟に助けられなかったのは「良い人ぶりを発揮する」ことへの屈折したためらいのせいでした。

だから、さっと手を貸しておばあちゃんを助けた「さっそうとした青年」を岩田宏は激しく憎むのです。何度も何度も頭を下げて「さっそうとした青年」にお礼を言うおばあちゃんに岩田宏は「信じないで!」と心の中で叫びます。

日本のひとには、そういう優しすぎるひとの屈折がある。

モニがもらってきた日本に住む外国人の女のひとたちの会報誌を覗いてみると、日本人がいかに外国人から見て不親切であるかよくわかります。大きなお腹で朝の駅の階段で倒れて苦しみながら次から次に通り過ぎる知らん顔の日本人たちを見ていて日本人が根本から信用できなくなってしまったひと。このひとは日本人の旦那さんを置いてニューヨークに帰ってしまった。

あるフランスのひとは転倒した自転車の脇で動けなくなって倒れていたら日本人の青年がやってきたので「ああ、やっと助けてもらえる」と思ったら、助けるどころか、この青年は、倒れているこのひとを跨いでいったそうである。

小さな不愉快ならわっしにも無限に経験があります。

エレベータから降りるときに後ろから押しのけて出て行くサラリーマンのおっちゃん。

レストランで支払いをしている途中で割りこんで支払いをしていくひとたち。

(「ガイジンさん、忙しいんで、ごめんね、ははは」だって…わっしが日本語を理解できるのを知らんのか)

日本のひとには、そういう他人への想像力に根本的に欠けた愚かしさがある。

「日本人はまだまだマナーに欠ける」というひとがいますが、それはマナー、と言うような問題であるわけはなくて「人間のありよう」とか「人間というものが、どんなものであるか」というような、もっと根本的な問題でしょう。

野中広務の自伝を読むと、いまの首相である麻生太郎が「野中のような部落出身者が首相になったら日本もおしまいだ」と若い議員たちと一緒にせせら笑ったことに対して、単身出かけていって渾身の怒りをぶつけるところが出てきます。「人間」そのものが発しているかのような野中のすさまじい怒りに麻生太郎は終始下を向いて耳まで真っ赤にしたまま一言も言わず、他の議員たちも一言も言わなかった、とある。麻生太郎のような恵まれた家庭環境が生み出しただけの「つくりもの」の人間には野中のような「現実の人間」を前にしては何も言えなかったのでしょう。

わっしは野中広務という他人への想像力が人一倍大きく、他人の心を手に取るように読めた政治家には麻生太郎とほかのぼっちゃん議員たちが、その期に及んでもまったく反省などしておらず「しまった、うっかり口がすべった。拙いことになった」と思っている程度なのが判ってしまっていることを読み取って、野中というひとの出口のない悔しさを思いました。

「日本人」というふうにこの国に住む人たちを一般化して考えるとき、この繊細な感じのするやさしさと非現実的に思えるほどの他者への鈍感さの奇妙な混淆が日本の人というものの特徴に思えることがあります。列をつくって待つ、ということが出来なかったり、ひとを押しのけても先に行こうとするのは、日本文化という文化が、そういう文化なわけでガイジンが云々することではない。日本にいると失礼なひとの数の多さにびっくりしますが、友人の話では上海やムンバイも同じようなもんだ、と言います。しかし日本人の非人間性という部分については、どこの国のどんな国民にとっても考える価値がある。それが明治以降の日本帝国という国ごと軍隊組織に作りかえたかのような国家の強大な圧力によって形成された「個々人に映された国権国家の影」であるからです。

日本人が謂わば「日本人であることをいったん止める」決意をしたのは19世紀も後半になった頃でした。日本は鎖国体制下にありながら英国とフランスの中国収奪のすさまじさをよく知っていた。話し合いをしようにも、頭から東洋人をバカにしておって何を言っても「半人間がなにをいうか」と冷笑されるだけであり、ちょっと思い通りにいかなくなるといきなり銃と砲をぶっぱなして、あっというまに都市を破壊するという自分たちがこれまで見知っていた「文明」の範疇にはまったく存在しない、まるで「暴力」をそのまま具現化したような人間の集団が目と鼻の先に迫っているのを国民がみなよく承知していた。海峡が時間を稼いでいるうちになんとかしなければ日本は破壊される、という危機意識をかなり広範な層が共有していたのです。

初め日本人たちは丁度いまのアラブ人のアメリカ人たちの戦いに似た戦いを考えます。

個々の激しいテロによって外国人を排斥しようとする。

実際その頃のイギリス帝国議会の議事録を読むと、

「日本は資源も乏しく商品市場も貧弱な割に、日本刀をぶんまわす『サムライ』というヘンな奴らがいっぱいいて費用対効果が悪すぎるから、侵略をあきらめたらどーか」という政府答弁が載ってます。攘夷の浪人、というとやるだけ無駄なテロをやったひとたち、という印象がありますが、イギリス側の記録を見るとそうでもなかったのがわかる。

イギリス人は儲からないことはやらないので、だいぶん逡巡したのが見て取れます。

捕鯨のための中継基地に困った合衆国から派遣されたペリーという人気はあったがアル中の士官(ついでに余計なことを言うと、ペリーは提督になったことはありません。准将どまりでした)

がやってきて大騒ぎになったことを遠因として、日本は世界でも珍しい革命を成功させます。

(共産主義者の定義では、 戊辰戦争・明治維新 は革命でなくてクーでしょうが、わっしは矢張り革命だと思う。歴史的階級闘争という概念がほぼ否定されたいまの世界では逆に革命というものが有効に行われるためのモデルとして真剣に検討されてもよいくらいに思います)

日本人は急がなければならなかった。

海の向こうから科学技術で武装した狂人たちの軍隊がいまにも襲ってくるかも知れないのです。

「和魂洋才」と言いますが、そんなものは西洋人に「まねっこ猿」と言われて後ろめたく思った日本人が後知恵でくっつけた理屈であって、現実の日本人の当事者はもっと賢かった。

「旧体制のよいところを守りながら新しいものを取り入れる」なんていうのは、ただの間抜けのお題目だと知っていた。

あれほど大事にしていた「日本人であること」をかなぐり捨てて、パチモンの西洋人に化けようとしたのです。

国をあげて西洋文明化というものに投企した。

西洋人たちは150センチに満たない身長の扁平な顔の日本人たちが自分たちそっくりの扮装をしてがに股で歩き回る夜会に招待されて腹を抱えて笑いころげましたが、いま振り返ると、そうやって笑いころげた側の西洋人のほうの醜さばかりが目に付きます。

わっしは、この頃の日本人というマイクロ文明集団を歴史上の諸民族のなかでも最大の尊敬をもって考えます。

猿、恥知らずな物真似だけの能無し、偽物の西洋人、と罵られながら、日本人たちは必死でした。

自分たちの家族、自分たちの息子や娘、自分たちの国山河をまもるために必死で西洋人のモノマネをした。

他に方法がなかったからです。

自分たちの伝統を捨て去る以外に生きる道がなかった。

当時の日本人たちが書いたものを読むと、この異常な時期が終わったら子孫たちが日本の伝統に帰ってくるだろうと願い、その実現を心から信じていたひとが多かったことがわかる。

そして日本人たちは、この悲惨な賭に勝った。

1905年5月28日、ロシアの皇帝が送り込んだ巨大な艦隊が対馬沖に沈んだときに日本はついに国を挙げての巨大な賭に勝ったのでした。

その日フィンランドではいっせいにひとびとが道に広場に飛び出して狂ったように抱き合って遠い小さな国の小さなひとびとのロシア戦の勝利を祝い、ロンドンのシティでは肥満した投資家たちがやや頬を紅潮させて朝の挨拶のかわりに「聞いたか?」「うん、やったな」という言葉を交わしていました。

しかし、日本人たちはここで致命的な誤りを犯します。

「日本に栄光をもたらした」軍隊に国家を明け渡してしまう。

統帥権と帷幄奏上権という山県有朋が考え出した悪魔の装置は軍隊を天皇の上に置いてしまいますが、丁度、山県が育った奇兵隊がそうであったように軍隊そのものが下克上の構造をもっていたために、やがて日本帝国は参謀本部の中堅官僚が作文した、ケーハクな、絵に描いた餅だらけの作戦計画のために存在するような国になってゆく。

鬼畜米英、と言う。

戦前は朝日新聞はじめ日本の世論の権威であって「社会の木鐸」をもって任ずる光輝あるマスメディアが常用した文句です。

「奴は敵だ、奴を殺せ」というのが政治の最も根本的な原理だと埴谷雄高は言いますが、

日本は国家とマスコミによって長い期間をかけて周到につくられた有りもしない「世界」という幻像に対峙する国家として軍隊化されてゆく。

その悪い伝統はいまも戦前と本質的には寸毫も変わらない。

日本の社会がつくりだしているものは、いまだに人間ではなくて兵士であると思う。

「集団に迷惑をかけるな」「ぐずぐずするな」「決まりを守りなさい」

もう小学校の頃から日本人は兵士としての常識をたたき込まれてゆきます。

そうして優秀な兵士というものは人間性の喪失を代償につくられるものであるのです。

ひとりひとりの子供の心のなかに住む「日本人」は社会に仕掛けられた極めて巧妙な仕掛けによって、少しづつ殺されていって、(社会の側からの働きかけが効率的にすすんだ場合には)やがて社会のがわから個人を睥睨する化け物のような存在に変わってゆく。

毎年春になるとひとり残らず濃い青のスーツに身を包んで会社の門をくぐる若い人たちの集団は新しく入営する新兵たちの姿にとてもよく似ています。

「ひとりの人間を長い間だますことは出来る。たくさんの人間を短い期間だますことも出来る。だが、たくさんの人間を長い間だますことは出来ないのだ」と西洋世界では言いますが、わっしは日本は政府とマスメディアが協力して「たくさんの人間を百年以上もだましおおせてきた」唯一の例外だと思うことがある。

空港で出会った、自分の財布をおっぽり出して、わっしに向かって走って財布を渡しにやってきた日本のひと

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080322/p1

や、2個りんごを買いに来ただけなのに、これでもかこれでもかとただのリンゴを詰めてくれて、その上に白菜もキャベツも袋に詰め込んで「なあに、ただ余ってんだから」と面白くもなさそうに言う長野の農家のただもう親切なおっちゃんのことを考えると、日本人の「原像」のようなものがおぼろげに見えることがあります。

それを考えるたびに、「もう大丈夫だから、もう誰も攻めてこないから、もう誰もこの国を壊しにこないから」と言いたくなるときがある。

「日本人にもどってみるのはどうか」

「日本人に戻って、手足をのばしてみるというのをどうおもうか」

わっしの聞いてもらえそうもない日本のひとへの提案です。

また「余計なおせわだ」と言われるのに決まってますが。

さあ、もうすぐ、成田だ。

ゲウチャイ、あいてるかな?

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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One Response to 日本再訪_2

  1. teahupoo says:

    もう、日本人には戻れないのかな、僕たちは。

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