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創価に無理矢理いかせようとする親に対して思うこと
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投稿者:
布衣熊
[2018年 11月 09日 21時 13分] 23歳~29歳 男性
良い点
かなり共感しました。
気になる点
他の方も仰っていますが、距離を取るのが一番かと。
一言
作者様は学生の身という事なので、参考までに私の場合について語らせて貰います。
私の母親もかなり熱心な人でして、私自身家を出るまで朝晩の勤行を強制されてきました。朝眠い中、半分寝ているような状態でしたが、一日合計一時間(日によってはそれ以上)くらい兄と付き合わされてきました。早く終わらないかなとそればかり考えていた気がします。時間の無駄ですね。
中学に上がってからは反抗期もあり、流石に我慢の限界で「信仰の自由」を根拠に強制は止めて欲しいと言った所、「じゃあ一人で生きて行けばいいじゃない!」とヒステリックに怒鳴られました。養育されている身である以上、それで話は終わりです。私自身はなるべく冷静に対話をするつもりでしたが、言葉の暴力でいきなり殴られた気持ちでした。
信仰とは? 家族とは? 何のための宗教?
あの瞬間、色んな物に深い諦めのような絶望を感じました。
私自身、創価自体に対しては特に思う所はありません。組織やそこに所属している人の是非はともかく、その教義自体は自分自身納得しています。
「題目をすれば救われる」などと言えば胡散臭く思えますが、「正座をして発声練習する」、「物事に集中する」などと考えれば利点がありますし、何でもそうですが要は使い方、向き合い方次第です。
それでも宗教を強制されるという嫌悪感は、筆舌に尽くし難かったです。
作者様が創価嫌いになられるのも無理はないかと。
私はその後、中卒と同時に高専へ進学し、寮生活を始めました。お守りご本尊など持たされましたが、引き出しの中にしまったままでした。
卒業後はそのまま無事就職し、家からも離れ、今では帰るのも年末年始くらいです。
帰ったら帰ったで、年末年始の勤行会に連れていかれるわけですが、そのくらいは親孝行と割り切って付き合っています。
家はあまり裕福ではないのですが、借りていた奨学金や今までの養育費、ついでに実家のリフォーム代まで熨斗付けて渡しました。
かつて母に言われた通り、もう私一人で生きていける以上、とやかくは言わせません。
一時期は母を「死ねばいいのに」「絶対殺してやる」とまで憎悪しましたが、距離を取り、互いに冷静になれたお蔭もあるのでしょうが、今では比較的良好な関係になれていると思います。
嫌う、憎むといった行為は疲れます。ましてや創価とは縁を切れたとしても、家族の問題はどこまでも付いて回ります。
時間が解決する……などと、当事者の方には聞きたくもないでしょう。今すぐどうにかしたい、その気持ちは私自身がいつも思っていました。
戦う意思は大変素晴らしい物だと思います。
ですがそれだけのエネルギーを「創価のために使う」と言うのも、馬鹿らしくはありませんか?
生まれる家庭、親は選べません。
経済状況や環境によって将来を決めざる得ない時もあります。
ですが自分の心の中くらいは、自由であるべきです。
名目上とはいえ、会員である事実が耐えられない。そうでなければ平穏でいられない。そこまで切羽詰まった状態ならば仕方ありません。
しかしそうでないのなら、今一度冷静に目標を見定めてはどうでしょうか?
何よりの勝利条件は、あなた自身が幸せになる事だと、私は思います。
説教臭い長文になってしまいましたが、これからの参考になれていれば幸いです。
投稿者:
こうよ
[2018年 11月 08日 16時 21分] ---- ----
一言
本人達に悪気は全く無くても、
その言動で傷つけられているんだとは
理解してもらえないんでしょうね。
わからせるのは絶対無理だと思います。
そっと離れ、ご自身の幸せを追ってほしい。
昔、夏の暑い日にソレの熱心な信者である友人の部屋に遊びに行きました。
共通の趣味があったので、信心の事は時々ふわっと活動の話を聞くぐらいでした。
本当に暑かったので、途中の果物屋で(割高の)よく冷えたスイカを買い、部屋に入って手渡しました。
すると友人はそのスイカを一人暮らしの部屋には巨大な仏壇にすぐにお供えし、自慢げにこう言いました。
「信心してると不思議にいいタイミングでお供えものとかが届くねん」
そして下げたぬるく乾燥した饅頭を熱いお茶と一緒に出してくれました。
信者の方からしたら、アルアルな出来事なんでしょうけど
私はこの時(あ、無理、価値観が違いすぎ)と、友人に対する何かが切れた瞬間でした。
私はあなたの信仰に操られてデリバリしたの?
冷たいのを食べて欲しかった私の気持ちは無視?
私の友愛は信心のおかげなの?
それまでも、課題の手伝いなどでちょくちょく呼ばれていましたが、この時から距離を置くようになりました。
ホントに小さな出来事ですが、まだ思春期から抜けていなかったので結構ショックでした。
今でもたま〜に「元気してる〜」と連絡が来ます。
選挙の時ですが。
投稿者:
甘味
[2018年 11月 05日 00時 44分] ---- ----
一言
ちょっと気になったので追記。
数個下の感想にて
>何を信仰するのかは自由ですが、学校に行かせてくれた親に少しは感謝した方がいいです。
よく勘違いされがちなのですが、義務教育というのは
「子供が学校に行かなければならないという義務」ではなく、
『親が子供に教育を受けさせる権利を与える義務がある』ということです。びっくりするほど全然違いますね。
自分もこれを知ったとき驚きました。じゃあ学校に行かない選択もあるやんけ、と。
知ったときには義務教育終わってました。なんてことだ。
感謝の心も人間社会で生きていく上ではあった方がいいのでしょうが、少なくとも親は子を産んだなら責任が伴うので、なんでもかんでも親に感謝というのもなんだかなあという気持ちです。
もちろん親がよくしてくれて、ありがたいと思えば素直に感謝するべきですよ?
投稿者:
甘味
[2018年 11月 05日 00時 33分] ---- ----
一言
最初に一言。お疲れ様でした。
そこで少々自語りを聞いていただけませんでしょうか。
自分は元々宗教には特に関心はなく、必要な人にだけあればいいと思っている人です。日本という国の特色でもありますよね、無宗教というか多宗教というか、宗教に対して企業の強かさが表れているところは。
さて、そんな自分にも例のアレにハマっている祖母がいます。
ええもう、どっぷりと。おかげでこのエッセイをポチッたのです。
祖母は幼少から苦労しているようで。
物心付く前は良いところのお嬢様だったのに没落して、多くの兄弟らに金の無心をされながらも子供2人を育てて、旦那は酒が入ると暴力的になるというどこのドラマやねんという人生をおくってきています(母親談)。
そこでどうしようもなかったところの例のアレ。
いや、まあ分かりますよ。唯一の心の拠り所だったんでしょう。想像できます。どっぷりと浸かってしまうのも理解できます。お金がないと言いながら例のアレに何万も何十万も使っているのもこちら(孫)にはあまり被害がないので目も瞑りましょう。
しかし!
そうしかしだ。だからと言って毎度会う度会う度に例のアレはいいぞ素晴らしいぞ入れ行け祈れ云々というのはだめだ。ただあれはほぼ善意でやっているのだろうなと思ってしまうから余計に質が悪い。
オタク活動の布教でさえきちんと相手を見極めてから優しく沼に叩き落とすというのに、なんということか。興味の無い一般人にしつこくしようものならただの逆効果でしかないのは本人達には分からないようで。
幼い頃はよく分からず、正月なんかに正座しておはなしを聞いてよく分からないおじさんおばさんなんかと祖母や叔父夫妻が喋ったりしているのを、徹夜明けのクソ眠い状態でぼんやりと見ていました。
そして少し経ち小学生の高学年。
当時はスポーツを習っていたのですが、足の甲という難しいところに腫瘍ができ、敢えなくドクターストップ。幸い良性でしたが、このまま続けていると血管に巻きついた腫瘍が破裂して云々と言われたので素直に従いました。
そのころからオタク文化に触れ始めたので、丁度いい転機だったのかもしれないとそこまで悲観することもありませんでした。
そこまではいいんです。もうわかりますね?
祖母曰く「きちんとお祈りしたら腫れはなくなる」だの「ずっと祈っていてあげるから大丈夫」だの言われました。
知らんがな。てか何言ってんだこいつ。(失礼)
それまでも祖母の宗教関連のことは話半分に聞いていましたが、その頃からでしょうね。絶対に関わりたくないと名前だけ聞いて、あとは全スルーになりました。
諸事情によりスルースキルは同年代の子供たちよりも発達していたと思うので、毎日ならいざ知らず、ちょくちょく会うだけの祖母の『そういった』話は全て聞き流すようになりました。
否定はしないけど押し付けてくるなっていう気持ちでいっぱいですね。
聞くところ母は幼少からずっと聞かされていたらしいです。いやー、地獄でしょうね。よく信者にならなかったなと。おかげで母は人嫌いで鬱の傾向がありますが。
そこで小耳に挟んだことですが、例のアレ信者に「池○大作ってもう死んでるんでしょ?」関連のことを言うとブチ切れるそうです。一瞬で激おこファイナリスティックプンプンドリームです。顔がゆでダコ。言っちゃあ悪いですが少し愉快でした。
あとは宗教と一括りにされるのもプライド(笑)が許さない感じでした。
ただ利点があるとすれば、第三者的な立場で物事を見やすくなったと言いますか、視界を広くとって受け止めることができるようになったと思います。いや、元からの性格かもしれませんが。
あ、でも反面教師がいたのは素直によかったですね。
おかげでこういった創作的な道に進んでるのかなと思ったり思わなかったり。
ここまで長々と書きましたが、要は「応援してるぜ!」ってことです。一言で終わってしまいましたね。なんという時間の無駄か。すまん。
作者が置かれた環境よりはかなり楽な部類だと思いますが、こんなこともあるんだぜ、といったことを伝えたく筆をとりました。
ほんと家庭環境というのは大変ですよね。大体幼少期の環境で性格が決まるんですから。
最後に。
浸かりきった信者さんには何を言っても無駄なので、スルーが一番労力と体力と精神力を持っていかれずにすみます。何を言っても平行線にしかならないなら言わなければいいじゃないってやつですね。
お疲れ様でした。長々と失礼。
投稿者:
大島太郎
[2018年 11月 03日 10時 13分] ---- ----
良い点
勇気がある。
気になる点
日蓮系の土俵で戦ったほうがよりダメージを与えられます。ちょっとお山に行ってくるわ!など。
一言
良い旅を。
投稿者:
ぽぺと
[2018年 10月 25日 10時 44分] ---- ----
一言
私の家は宗教にさほど関心はなく、母が仏壇に時々お経読む程度です。教会での結婚式とかその時その時宗教も自由で、宗教に入り込むことは危険ってかんじな家です。これを読んで宗教の怖さを感じました。自分の子どもはかわいいし、幸せになってほしい、いつも笑っていてほしいものです。親さんもそう思って創価に行かせようとしたのかもしれませんが、子どもが拒否した時点で引かねばならなかったと思います。
私の知り合いも一時期家族で創価に入ったそうですが、入っても不幸があったらしく脱退したそうです。脱退は大変だったと聞いています。作者様が今後創価とどのように折り合いをつけていくのかわかりませんが、あなたの幸せを祈ってます。
投稿者:
燕
[2018年 10月 25日 02時 56分] ---- ----
一言
宗教など所詮は人が作ったモノです、だからこそ醜く見えるのでしょう。
何を信仰するのかは自由ですが、学校に行かせてくれた親に少しは感謝した方がいいです。
嫌な一面しか見なければ視野は狭くなり、憎むことしかできません。自分の心の余裕のためにも少しずつ許す心が大事だと思います。
創価学会という宗教にご両親が関わっていなければ、あなたのコンプレックスはなかったのかもしれません。けれども、そういった経験は誰しもができることではないと思います。
その嫌だと感じた経験を自分の子供にさせないために活かしてください。
あなたが幸せになれるように祈っています。
投稿者:
半兵阿
[2018年 10月 23日 21時 34分] ---- ----
一言
大変境遇が似ていて共感しました。自分の人生ですから、他人にどうこう言われようと、めげずに頑張ってください。やりたいことなんて人それぞれですし……
投稿者:
アフリマン
[2018年 10月 23日 18時 50分] ---- ----
一言
お疲れ様です。本気で。
ちなみに私は日蓮正宗。創価学会を破門にしたがわ。
そうはいっても宗教的な立場で創価学会にどうこうは思いません。宗教的な立場ではですが。
なにせ元から宗教嫌いなもので、嫌ですよね宗教って。
父方の祖母がかなり熱心な人で、そういう人が身内にいると宗教ってなんだろうなって思います。
生活の中心がわりと宗教によっちゃうんですよね。
病気してても「お山(宗派の本山)に登る」「登れば治る」って言って出てって、重病になりました。
なんでああいう方々は、「生きる為に宗教がある」ではなく「宗教の為に生きる」みたいな生き方になっちゃうんでしょね。
幸い母は作者様のご両親と違い、嫁の立場で宗教的な部分に従っていただけだったので、わざわざ抜けようと思うほど嫌悪してはいませんが、高校位の時だったか、自分も抜けてやると父親に言った記憶があります。まぁその父親の回答も「自立したら好きにしろ」といったものだったので、三十路を過ぎた今、わざわざ抜けようとまでは思っていませんが。
宗教にしてもなんにしても、それが正しいと思い込んで押し付けてくる人というのはとても厄介ですよね。
私は作者様が親との更なる不和を押してまで無理に抜ける必要があるとは思いませんが、同時に創価学会に席を置いていることが苦痛でしかないなら、抜ける事が出来ればいいなと思います。
宗教に熱心な人に言いたい。
子供に強制するな。されればされるほど嫌いにしかならない。
もっとふんわりと融通を利かせてくれ。
そうしたらもう少し宗教ってやつに寛容になれたろうに。
投稿者:
スパルトイ
[2018年 10月 23日 10時 26分] ---- ----
一言
月並みな言葉ですが応援しています。
宗教というのは必要な人間に対してあるべきものです。宗教を否定する気は全くないですが、私は何かを信仰する必要性を感じない、もしくは信仰よりも精神を安定させられるものが他にあるのであればむしろ入信すべきではないとすら考えています。
学生の身ということで、これから創価というものが友人関係や進路に影響してくることがあるかもしれませんが、自分を強く持ち、信仰の自由のような憲法上認められている主張や考え方を捨てずに生きて欲しいと思います。
本来勝ち負けの話ではないですが、負けないでいて欲しいです。
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