二度目の鎌倉・扇ヶ谷の自宅訪問はフリーになってからで、昭和40(1965)年。ある雑誌のインタビューもので伺った。お会いしてびっくり、新聞時代の6年前に伺い撮影した時と同じチャンチャンコを着用されていた。
初回ほどの怖さはなかったが、77歳とは思えぬ精悍な風貌で、話し方に鋭さがあって、煙草は手放さなかった。しばらく撮影して、その昔、週刊東京のグラビア撮影で伺い、その折「君、小津アングルだね」と先生に言われたカメラマンですと話した。庭の東屋は健在だったので、ぜひお庭で一枚と願うと、気軽に東屋の前に立ってくれた。そして、「そうか君だったのか、あの写真なかなか良かったよ」と、お褒めに与り嬉しかった。
撮影中、愛用のチャンチャンコを気にしてか、「小説家は貧乏だからね」と、ふれられたが、こちらには愛着心と、モノを大切にする気持ちが伝わったもので、これが東屋をバックにしての二回目の撮影だった。この原稿を書くにあたり、その時の先生の写真をあらためて眺めたが、私自身が今ちょうど喜寿を迎えているが、先生の写真にある風格や風貌から、同じ年齢であっても明治の人は威厳がある。引き換え我が身のひ弱さは否めないのである。
昭和56(1981)年が三度目の訪問だった。やはり雑誌の取材だが、文壇の最長老となっていて、食べ物に関しての「旨い話」という企画だった。93歳になられていた。お歳とは思えぬ声量でメリハリのある話しっぷりで、健啖家である若い頃の思い出から始まり、好きな日本酒を手酌でやりながら、吉井勇、大仏次郎、芥川龍之介、滋賀直哉など、すでに彼の世へと旅立った文壇の仲間たちの食べ物観を、面白く楽しく語ってくれた。前2回の撮影はモノクロームだったが、今回はカラー撮影だった。
一応の撮影が終わって、過去2回の撮影を申し上げると、「そうかね、そんなことがあったなぁ、君だったかね」と思い出され、「じゃあ折角だから東屋を背景に」と、ご自分から庭に出られ、ほろ酔い気分で立ち、すっかり好々爺であった。その二年後、95歳で天界へと旅立つことになる。
長くプロとして撮影の仕事をしていると、同じ人物を時間を置いて撮ることにもなる。しかし、同じシチュエーションで撮影したのは、里見さんだけで、しかも3回であり実に印象に残る出会いであった。そして今思うことは、自分は93歳で、このように元気にいられたらいいなと。
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