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不戦論

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時39分3秒
  「かたくなな心」から

     「開かれた心」へ


国家主義への精神病理的アプローチ

友岡雅弥●東洋哲学研究所研究員

 ここ数年、日本には国家主義的な動きや言説が目立ちます。

 第二次大戦中の日本によるさまざまな侵略行為を否定し、日本の軍事戦略を「アジアの解放を目指したものだった」とするもの、「南京大虐殺などは存在しなかった」と強弁するもの、「従軍慰安婦などは、何の資料もないでっち上げだ」と決めつけるもの――そのような国家主義的な主張をヒステリックに叫ぶ書籍が、書店で平台に置かれ、ベストセラーの上位にランキングされています。

 日本の「アジア進出」が、それらの主張のように、本当にアジアの解放を目指したものだとしたら、それらの国で喜んで受け入れられたはずです。

 しかし、事実は逆でした。日本は歓迎されるどころか、韓半島でも中国でも、香港でも、フィリピンでも――日本が「解放した」はずの場所で、徹底した抗日運動が起こっているのです。そこで起こったのは「進出」や「解放」ではなく、「侵略」と「支配」だったのです。

 この一つの歴史の事実でさえ、それを直視すれば、現実はどうだったのかがすぐ分かることなのに、国家主義的な立場に立つ人々は、そのような歴史の事実を直視する段になると、急に強面となり、頑なに心を閉ざし、それを認めようとしない場合がしばしばです。

 また、国家主義的な立場の人々は、日本による残虐な歴史的事実を認めようとする人々に対して、「自虐史観」と決めつけて、口を極めて批判します。相手の意見に耳を傾けて、その上で自分の意見を主張するのではありません。心を閉ざし、ヒステリックに自らの意見を主張するだけです。

 そのような人々は、自分の意見を相対化する力が欠けているようです。事実に触れると自分の存在自身が壊れてしまうかのように、強迫的に心を閉ざします。

 とうとう昨年は“「国家という大義」、「戦争という大義」を見失ったが故に、日本は道徳的に荒廃した、戦争は正義だ” などと主張するマンガが出て、大学生が読むベストセラー第一位にランキングざれるという事態になってしまいました。

 国家主義的な動きを担っている人々の数はまだ少数であるにしろ、それに共感する層が大きな広がりを見せているのです。これは、見逃せない問題です。

 そういう動きに共感する人々の心の底には何があるのでしょうか? 精神病理学者の野田正彰氏は、そこに「感情を抑圧してきた社会」に生きる「精神的に傷つかない人々」の姿を見ます。他者の苦しみ、痛みに自らの心をさらそうとしない頑なな心です。

 「(日本の人々は)幻の幸せに向かって笑ってきた。政治の空洞化、金融の破綻、官僚制の肥大、アジア諸国の開発独裁への加担、目的なき情報化、子どもたちの閉塞感……それぞれに衝動的に反応し、顔を顰(しか)め痙攣(けいれん)的に涙を流すことはあっても、深い悲しみはない」

 「喜怒哀楽の感情はどれか好きな感情だけ取り出して大きくできるというものではない。十分に悲しめる者こそが、十分に喜ぶことができる」(野田正彰『戦争と罪責』岩波書店)

 現代日本社会に、不気味に広がる国家主義的雰囲気――この問題は政治的、歴史的、社会的なものの他に、精神病理的アプローチで分析することができるのではないでしょうか。



■慈しみを忘れた心

 国家主義的主張を行う人々がやっきになって存在すらも否定しようとしている南京大虐殺。野田さんも引用していますが、実はその事実を記録した行軍日記が歴然と多数存在しているのです。長くなりますが一つだけ引用しましょう(『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』大月書店。かなづかいなどは原文のまま)。

 第十三師団山田支隊の宮本省吾少尉の日記。
 「三七年十二月十六日、南京。
 午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕虜兵約三千を楊子江岸に引率し之を射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ光景である。

  十七日小雪
 本日は一部は南京入城式に参加、大部は捕虜兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、午后晴れの南京入城式に参加、荘厳なる史的光景を目の当たり見る事が出来た。

 夕方漸く帰り直(ただち)に捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終(つい)に大失態に会ひ友軍(ゆうぐん)にも多数死傷者を出してしまつた。

 十九日
 昨日に引続き早朝より死体の処分に従事す、午后四時迄かゝる。……明日は愈々(いよいよ)渡河(とか)の予定にて兵は其の準備に晩(おそ)く迄かゝる、牛肉の油揚迄作り、米、味噌の久しぶりの配給、明日の食料の準備をなす、風寒く楊子江畔も漸(ようや)く冬らしくなる」

 同支隊の近藤栄四郎伍長の日記。
 「遂に二万の内三分の一、七千人を今日楊子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。月は十四日、山の端(は)にかゝり皎々(こうこう)として青き影の処、断末魔の苦しみの声は全く惨さこの上なし」

 ここには、殺されゆく人々への、同じ人間としての心の痛みや感情がまったくありません。冬らしくなる季節や青き月に詠嘆(えいたん)する、ナルシスティックな感傷があるだけです。断末魔の人々の苦しみの声は、遠景(えんけい)に遠ざかっています。そこに、殺されていく自分と同じ人間がいるにもかかわらず、その姿は自分を包む情景の一部でしかないのです。

 千葉県にあった国府台陸軍病院は、十五年戦争の時、陸軍の精神障害者を診断するセンターでした。ここに神経症患者約八千人のカルテが残されています。この八千のカルテを分析した野田正彰さんは慄然とします。戦闘での残虐な行為の罪におびえる症状が記されているのは、わずか二例だったのです。

 アメリカ精神医学会が行ったベトナム戦争従軍者の調査によると、最前線で戦闘にかかわった人の、なんと三五・八%がPTSD(精神的外傷後ストレス障害)を受けていました。ベトナム戦争従軍者の精神を分析したC・R・フィグレーはその精神状態を「戦場での残虐行為」「後方での旧来の道徳の限界をこえた非行」などに対する罪責感としています。

 アフガニスタンに進攻した旧ソ連軍兵士の精神障害については、ロシア共和国精神医学センターが調査を進めており、ナチスドイツの兵士については、歴史学者C・ブラウニングの研究などがありますが、どちらもベトナム帰還兵と同じような罪責感に悩む多数の報告があります。それらと対照したとき、旧日本軍の八千例中二例というのは、極めて異常です。

 野田さんは、現代日本の国家主義的な主張をする人にも、同じような罪責感のなさ、戦争被害者の悲しみを共感できない感情の麻痺を見ています。

 私の知人にも、国家主義的な主張をする人がいますが、中国や朝鮮・韓半島での日本人の残虐行為に対して、「戦争だからしかたがない」と断定的に言います。その時、彼の心はいつも閉ざされています。無念に殺された人の思いを想像することを、どこまでも拒否しようとの頑なさが歴然と現れます。



■自己保存願望の破壊性

 最初期の仏典『スッ夕・ニパータ』に次のような一節があります。「武器を執ること」と名づけられた一節です(パーリ原文から訳しました)。

 「殺すために、戦いあう人々を見よ。武器を執って相手を殴ろうとしたことによって恐怖が生じた。(中略)水の少ないところにいる魚のように、人々が生きんがためにぶつかり合い、争いあっているのを見て、私は慄然とした。(中略)私はその人々の心に一本の見えざる矢が刺さっているのを見た。この矢に貫かれて、人々は輪廻の苦しみのなかに吹き飛ばされる」

 ここにある「一本の矢」は、注釈書などによると「深層の欲望」であるといわれます。

 戦争と人間の精神の関係を本格的に分析したのは、フロイトが最初でした。彼は『快感原則の悲願』で、本来人間に具わる自己の幸福を目指すはずの「自己保存の欲求」が、時として、自己の安定を目指すあまり、他者への「攻撃性」として現れることを発見したので有名です。「自己保存の欲望」は、「破壊本能」でもあるわけです。そして、人間は一人では生きられない故に、この他者への攻撃性は、自分自身の破壊をももたらすのです。

 フロイトは、この「破壊本能」に転化する「自己保存の欲望」 の考えをさらに徹底させて、人間には「死の本能」があることを示唆しました。「生きよう」とする欲望が、自己の破滅をもたらすのです。このフロイトの理論と『スッ夕・ニパータ』の描写とは、なんと類似しているでしょうか。他者の存在や、また他者の思い・心に、思いを馳せることなく、自己の主張を強弁する、自己の欲望をごり押しすることが、やがて他者への攻撃となり、武器を執ることにもつながり、自他ともの破滅をもたらすのです。



■宗教的精神の復興

 では、そのような他者に対して閉じられた頑なな心を、柔らかくするためには、開かれたものとするためには、どうすればよいでしょうか。

 同じく『スッタ・ニパータ』には、そのための方法が示されています。「慈悲」と名づけられた次のような一節があります(同)。

 「仏道修行者の究極の境涯において、実践すべきものは、次のようなことである。

 いかなる生き物でも、か弱きものでも、力あるものでも、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、小さいものでも、巨大なものでも、視野にあるものでも、視野にないものでも、遠くにいるものでも、近くにいるものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれてくるものでも、一切の生きとし生けるものは、幸福であるように、と願うように。(中略)あたかも、母親が独り子を命を賭けても守るように、一切の生き物を無量に守るべし。全世界に対して、限りなき慈しみの心をおこすべし」

 ここには、他者を常に包んでいこうとする柔軟性があります。すべての差別を乗り越えていこうとする開放性があります。常に、世界のどこかに苦悩する人、涙する人がいないかと、探し求め、その人々と同苦する温かく、しなやかな心があります。

 池田SGI会長は、ハワイ大学教授のマジッド・テヘラニアン博士との対談で、「宗教的精神」について、「路傍の草花にも、ときには何の変哲もない石にも、ともにいまを生きているものとしての連帯感をもてる心です。また、けっして出会うことのない地球の反対側の人の幸福をも、真剣に願える心です」と語っています。

 まさに、今、必要なのは、ここでいわれた「宗教的精神」の復興ではないでしょうか。

 虐げられた人々、病める人々、苦悩する人々――そのような人々への同苦する心を復興することが、現代日本の危険な兆候への、最大の防波堤になるのではないでしょうか。

 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(七五八㌻)

 この仰せのままに、苦悩にあえぐ人々を「他人事」と無視することなく、その人々の悲しむ心に同苦し、寄り添い、支え、蘇生させてきた戦後の創価学会の歴史に、その開かれた宗教的精神の滔々たる流れを見ることができるのではないでしょうか。

(ともおか まさや)


大白蓮華 1999.8月号から
 

和合僧をどこまでも大切に!

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時31分51秒
編集済
  2000.5.19韓日友好代表者会議

和合僧をどこまでも大切に!

 同じ題目を唱えても、法華経の心に背くか否かで、
結果は大きく違ってしまう。
 「法華経の心に背く」――。すなわち、「法が中心」では
なく「自分が中心」になって、「権力の魔性」にとらわれて、
堕ちていったのが日顕宗である。

 仏法で説かれる「五逆罪」のなかで、もっとも重い罪は何か。
 それは「破和合僧」である。すなわち、父母を殺したり、阿羅漢
(小乗の悟りを得た聖者)を殺すことよりも、仏の身から血を出だす
ことよりも、さらに重い罪が「和合僧を破ること」なのである。
 仏勅の広宣流布の団体である創価学会の組織を破り、団結を
破ることが、どれほど重い罪になることか。
 極善に反対すれば極悪になる。末路は、あまりにも悲惨である。
「団結せよ」と厳しく言うのは、そのためである。
 仏典に、こんな説話がある。
(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫。)
 ある時、一人の弟子(コーカーリカ)が釈尊のもとに来て、
舎利弗と目連の悪口を言いたてた。
 「尊いお方さま!舎利弗と目連は、悪い欲望を起こしています。
悪い欲望に支配されています」
 釈尊は答えた。
 「まあ、そう言うな。そのように言うな。舎利弗と目連に対して、
浄らかな信仰心を起こせ。舎利弗と目連とは温良である」
 しかし彼は、師匠である釈尊の言葉を素直に聞こうとしなかった。
釈尊に口ごたえして、同じ悪口を言いたてた。釈尊は、同じ言葉で答えた。
 さらに、もう一度、彼は悪口を繰り返した。それでも、釈尊の答えは
変わらなかった。
 釈尊の思いは、どこにあったのか。「どこまでも大きな心で、同志を
信頼していきなさい」「同志はたがいに守りあい、団結していきなさい」。
そういう厳しい戒めであったといえよう。
 同志は皆、兄弟である。皆、家族である。団結第一で進みたい。
 全員が、ともに戦い、ともに勝利し、わが人生を最高に楽しみながら、
生きて生きて生きぬいていただきたい。

---------------------------------
赤胴鈴之助 様

まったくそのとおりだと思います。
日蓮大聖人様、牧口先生、戸田先生、池田先生。
入信して知り合った座談会の友達、宗門問題で会えなくなった友達、
そしてこれまでに所属した地区の人達。みんな素晴らしい
人たちです。これらすべての人達がすべて自分の心の中に
”幸の城”として存在しつずけています。誰もこの城を破壊
することはできません。できるとしたら自分だけです。

いまでも目をとじると、あの新宿文化祭のとき歌った
紅の歌とともに、新宿公園にあつまった仲間の顔、
そして、山崎さんの”よーし、いくぞ”の元気のよい
声がきこえてきます。

みなさんそれぞれが、人間革命の原点をもって
いると思いますが、それがあるかぎり、世の中の
出来事に心動かされることはないと思います。
みんなで世界広宣流布の道を進みましょう。

自分自身の人間革命によって
創価学会が宗教ビジネスではないことを、
世界の平和、みんなの幸せを実現する
ただ一つの人の集まりであることを
世界に示そうではありませんか。

また、ダメな凡夫が偉そうなことを
書いちゃいました。いままで会った
創価学会会員の中で私がやっぱり
一番ダメかな???
あ、心の中の唱題が止まってました。
継続、継続、継続は力なり
---------------------------------

 

青葉様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時31分40秒
編集済
  おはようございます、御返事、誠にありがとうございます。

青葉様が言われる通り、天魔打倒とはまず、自身の弱さを認める勇気が必要ですね、まず自身の天魔を打ち破る祈りからでなければ、自身の天魔の命に負けてしまいます。

いつも青葉様が言われる、天魔打倒の題目が自身の内側の弱さ(天魔)を打ち砕き、更なる高みの信心ができると思います。

自身の天魔を打ち破ることが出来ない自分では、原田や本部や身近な組織又は親・兄弟・家族に入った天魔の所為を見破る事はできません、
池田先生が言われる研ぎ澄ました、純粋な信心で御本尊に全てをかけて祈るしかない。

本当の意味での師弟の弟子側の戦いとは、ここにあるのだと思います。

自分も、この潔い信心で、池田先生の弟子として、更にパワーアップした、師弟の信心で、戦い抜いていきます。

改めて、御返事ありがとうございました。
 

わが友に贈る 2018年5月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月 9日(水)07時25分1秒
  教学は「信心の骨格」だ。
御書を真剣に学べば
人生を開く智慧が湧く。
弘教拡大の勇気が漲る。
行学二道の賢者たれ!
 

永遠に歴史に残る方々です。

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月 9日(水)04時37分29秒
  昭和54年4月24日先生を引退させて、晴れて昇格した偉大な弟子の皆様のお写真です。アレ、アレ~ おなじみの方々もいますね。  

先生に続く喜び

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月 9日(水)03時23分12秒
  この板に集結した、皆様がいろいろな考えから、書き込みされていることは、素晴らしいことです。

異体同心と大聖人は教えられています。

任用の範囲で・・・・、
「異体」とは、それぞれの見かけ、個性、特質、立場などが異なることです。
個性が違う、特質が違う、性別が違う、人種が違う、文化が違う、その他違うことがいっぱいありま
すが、違いを言い出したら、団結は出来ません、同心にはなれません。

それが分っていないのが、現執行部・東大閥です。
全部のSG会員の考えを統一しようとしていることを許したらいけません。

それを、大聖人は桜梅桃李と仰せられているのです。

任用の範囲で・・・・
「同心」とは、志、目的を同じくすることです。
各人が同じ心に立って、力を合わせていくことをいいます。

同じ心とは、世界広宣流布をしよう。
池田先生の思想を世界に流布して、平和で豊かな時代を作ろう。

これこそ、異体同心です、志を同じくです、人生の使命で有り、目的として活動していこう。

では、いまのSG組織をどうするかという、重大な悩みですが・・・、私見では、解散に追い込む
必要ありません。

この組織からはじき出された地湧の勇者は、社会の中で実証を示せば良いのです。

54年、池田先生は学会組織から、はじき出されました。
指導する会員との接触を禁じられ、会館本部の席も片付けられて、会合にすら出られないように仕向
けられたのです。

現執行部に処分された諸君、これで先生に続く事になったと喜びましょう。
先生と一緒なら、良いじゃありませんか、恨む必要もありません。

先生がどのように行動されたか、思いだし同じ事を行えば、仏の行い、その所は常寂光土と思いませ
んか。

文証です。
御義口伝 講義下(P175)、第十三常住此説法の事
真実の幸福は環境が決定するものでない。

人間は、環境によって、一切がしばりつけられる、はかない存在と思うのは、自身の生命の広大を
知らざる僻見(びゃっくけん)である。

 一生成仏抄にいわく「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて浄土と云ひ、穢土
と云うも、土に二の隔なし、只我等が心の善悪によると見えたり」(0384-01)と。

 この世界を浄土とするも、穢土とするも、所詮、われらの一念によって決定されると仰せである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、卑劣な信濃町のスーツを着た、くそ坊主たちに、先生の指導を叩き付けようではありません
か。

組織が悪いのではありません、処分された人たちが悪いのでもありません、それが仏道修行の真の姿
だと確信しませんか。

戸田先生も組織の中で覚ったのではありません、獄中で覚ったことを思えば、私たちがどうすれば良
いのか・・・自ずから答えは出ると思います。
戸田先生は、最も厳しい環境の中で広布の思いを募らせたとあるではありませんか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文証です。
御義口伝 講義下(P178)、第十三常住此説法の事

民衆の声は、時代を象徴する。民衆の発する声の音調は、時代の底流である。

されば、指導者は、人々の、いつわらざる、真情の声を聞くべきである。

そこに、無量の説法があることを、信ずべきである。

常に、世音を敏感にキャッチし、先手を打ち、価値創造していく人こそ、真の指導者のあり方といえ
よう。


 

任用試験範囲です (2)「立正安国」と「広宣流布」

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月 9日(水)03時13分41秒
  (2)「立正安国」と「広宣流布」

日蓮大聖人は、現実の社会に自他共の幸福を確立していく実践の指標として「立正安国」と「広宣流
布」を説かれました。

立正安国

日蓮大聖人の仏法は、各人の生命境涯を変革し、今世のうちに絶対的幸福境涯を開くことを可能にす
る教えです。
それとともに、各人の生命境涯の変革を通して、社会全体の平和を達成することを目指してい
ます。
大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」のなかで示されました。

「立正安国」とは「正を立て、国を安んず」と読みます。

「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また、仏法の生命
尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。

「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。

「立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より一歩
深く、民衆の生活の基盤としてとらえられています。
その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。

大聖人が民衆を中心に国をとらえられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を
意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「□」の字を用いられていることにも、う
かがうことができます。

また、大聖人は「王は民を親とし」(1554頁)と述べられ、権力者も民衆を根本とすべきである
とされています。
また、国主となりながら、「民衆の歎き」を知らない者は、悪道に堕ちると言われています
(36頁)。
「立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底
となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって、未来永遠にわたる全世界の平和
と人々の幸せを実現することにあります。

大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諌められたこ
と自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の
理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを、身をもって示されたもの
と拝察できます。

「立正安国論」では「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祈らん者か」
(31頁、通解・・・あなたは、一身の安堵を願うなら、まず四表の静謐を〈周囲の平穏、世界の平
和〉を祈ることが必要ではないのか)と仰せです。

社会の問題から目を背けて、宗教・信仰の世界だけに閉じこもる利己的な姿勢は、むしろ大乗
仏教において厳しく戒められています。
創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で、地球的課題
の解決に取り組んでいるのも、「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。

広宣流布

仏の覚りである正法を人々に流布し、万人を仏の境涯に導くことこそが、仏法の目標です。

それゆえ、法華経でも「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪
魔・魔民・諸天・竜・夜叉.鳩ハンダ等に其の便を得しむること無かれ」
(法華経601頁、通解・・・私〈釈尊〉入滅した後において、全世界に正法を広宣流布して断絶
させず、決して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉.クハンダなどの魔物につけ入らせてはならない)
と説かれています。

この経文は、「後の五百歳」、すなわち末法において、妙法を全世界(一閻浮提)に広宣流布し
ていくべきことを述べたものです。
また、法華経では、末法の広宣流布が「地涌の菩薩」に託されます。
地涌の菩薩は、久遠(計り知れないほどのはるか昔)からの釈尊の弟子として、鍛えぬかれた菩
薩とされています。

法華経の説法の場では、大地の底から無数の地涌の菩薩が涌現します。
そして、上行菩薩を中心として、釈尊滅後の妙法蓮華経の弘通を誓います。

釈尊は、自分の滅後に、この地涌の菩薩が娑婆世界に出現して、太陽や月のように衆生の闇を
照らして、人々を救うであろうと予言します。


広宣流布こそ大聖人の根本精神

大聖人は、この法華経の経文通り、末法の悪世で、命に及ぶ幾多の大難を忍ばれて、南無妙法
蓮華経の大法を弘通されました。

御書には広宣流布について、次のように仰せられています。

「大願とは法華弘通なり」(736頁)
「日蓮が慈悲噴大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし。
日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(329頁)

「日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一タイ・一微塵のごとし。
法華経を二人・三人・十人・百千万億人、唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大
涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ」(288頁)

まさに、広宣流布こそ、日蓮大聖人の根本精神です。
大聖人は、弟子にも、広宣流布に生き抜き、成仏を実現し、立正安国を実現していくよう、繰
り返し促されています。

創価学会こそ広布の唯一の団体この大聖人の御精神を受け継いで、御書に仰せの通りに妙法を
弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧(仏法実践者の集い)が創価学会です。

「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(1360頁)と仰せのように、大聖人のお心のままに妙
法を広めてきた創価学会こそ、広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の団体にほかなりません。

大聖人滅後七百年、創価学会が出現するまで、誰も妙法を広めることはできませんでした。
創価学会が釈尊と大聖人の未来記(予言)を実現したのです。
そこに創価学会が広宣流布の使命を担って出現した、仏意仏勅の教団である根拠があります。

そして、「閻浮提に広宣流布」と経文に示されたように、事実の上で、日本はもとより、世界
中に妙法を広めてきたのです。



4 十界

ここでは、十界論の法理を通して、私たち自身が今の人生において、自身の生命に具わる仏の
境涯を開き顕すことに信心の根本目的があることを学んでいきます。

十界

「十界」とは、生命の状態、境涯を10種に分類したもので、仏法の生命観の基本となるもので
す。
十界の法理を学ぶことによって、境涯を的確にとらえ、各人がそれぞれの境涯を変革していく
指針を得ることができます。

「十界」は、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。

このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまと
めて「四聖」といいます。

「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世
界を六つに大別したものです。
また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯です。

法華経以外の経典では、十界は、それぞれ固定化された生命の境涯としてとらえられていました。
しかし法華経では、その考え方を根本的に破りました。
十界のうち仏界を除く地獄界から菩薩界までの九界の衆生に仏界が具わり、成仏した仏にも九
界の境涯が具わることが説かれます。

十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、一個の生命に具わる10種の境涯であること
を示したのです。

したがって、今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべて具わっており
、縁によって次に他の界の境涯をも現せることが明らかになります。

このように十界の各界が互いに十界を具えていることを十界互具といいます。

日蓮大聖人は、「浄土というも、地獄というも、外には候わず。
ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫という」(1504頁通
解・・・仏の浄らかな国土といっても、地獄といっても、外にあるのではありません。ただ我々の胸
の間にあるのです。、このことを悟るのを仏といい、このことに迷うのを凡夫というの
です)と述べられています。

生命に十界がすべて具わっているということは、たとえ今の自分が地獄の苦しみの境涯であっ
ても、仏界の大歓喜の境涯へと変革できるということです。
このように、法華経に基づく十界論は、自身の生命の境涯をダイナミックに変革できることを
示す原理となります。

それでは、十界のそれぞれの境涯について述べます。
まず、私たちの生命に具わる六道について、大聖人は「観心本尊抄」で次のように述べられて
います。
「しばしば他面を見るに、ある時は喜び、ある時はイカり、ある時は平らかに、ある時は貧り
現じ、ある時はオロか現じ、ある時はテン曲なり。
イカるは地獄、貧るは餓鬼、オロかは畜生、テン曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人な
り」(241頁)
この御文に基づき、六道の一つ一つについて述べていきます。


地獄界

地獄は、もともとは「地下の牢獄」という意味で、経典には八熱地獄、八寒地獄など数多くの
地獄が説かれています。

地獄界は、苦しみに縛られた最低の境涯です。「地」は最も底を意味し、「獄」は拘束され、縛られ
た不自由さを表します。

「地獄おそるべし。炎をもって家とす」(1439頁)といわれるように、地獄界とは、自身を取り
巻く世界全体を、炎のように自身に苦しみを与える世界と感じる境涯といえます。

また、大聖人は、「観心本尊抄」で「イカるは地獄」と仰せです。

「イカり」とは、思い通りにいかない自分自身や、苦しみを感じさせる周りの世界に対して抱
く、やり場のない恨みの心です。苦の世界に囚われ、どうすることもできない生命のうめきが
イカりです。

いわば「生きていること自体が苦しい」、「何を見ても不幸に感じる」境涯が地獄界です。



2餓鬼界
餓鬼界とは、欲望が満たされずに苦しむ境涯です。

古代インドにおける餓鬼のもともとの意味は「死者」のことです。

死者が常に飢えて食物を欲しているとされていたことから、とどまるところを知らぬ激しい欲
望の火に、身も心も焼かれている生命状態を餓鬼界と表現します。

大聖人は「貧るは餓鬼」、また「餓鬼悲しむべし。飢渇にうえて子を食らう」(1439頁警)と仰
せです。
飢えて子まで食べるというような貧り、すなわち際限のない欲望にふりまわされ、そのために
心が自由にならず、苦しみを生じる境涯のことです。

もちろん、欲望そのものには善悪の両面があります。
人間は、食欲などの欲望がないと生きていけないことも事実です。

また、欲望が人間を進歩、向上させるエネルギーとなる場合もあります。
しかし、欲望を創造的な方向に使えず、欲望の奴隷となって苦しむのが餓鬼界です。


3 畜生界
畜生という言葉は、もともとは獣や鳥などの動物を指します。
畜生界の特徴は、目先の利害にとらわれ、理性が働かない「愚かさ」です。

大聖人は「オロかは畜生」と説かれています。
因果の道理が分からず、正邪・善悪の判断に迷い、目先の利害に従って行動してしまう境涯で
す。
また「畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる」(957頁)、「畜生は、残害(傷つけ殺すこと)
とて、互いに殺しあう」(1439頁)と仰せのように、畜生界の生命は、理性や良心を忘れ、自分
が生きるためには他者をも害する弱肉強食の生存競争に終始していく境涯です。

目先のことしか見えず、未来を思考できない愚かさの故に、結局は、自己を破滅させ、苦しむ
のです。
〈畜生という表現は、古代インドの表現を踏襲したものです。動物であっても、例えば盲導犬
のように人を助けることを使命として生きる例もあります。

また逆に人間であっても、戦争のように他の動物よりも残酷な行為をする場合もあります》



4 修羅罪

修羅とは、もともとは阿修羅といい、争いを好む古代インドの神の名です。

自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっているのが修羅界の特
徴です。
他人と自分を比べて、自分が優れ、他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽ん
じます。
そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができません。
また、本当に自分よりも強いものと出会ったとぎには、卑屈になって諂(へつら)うものです。
自分を、いかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそ
おい、謙虚なそぶりすら見せることもありますが、内面では自分より優れたものに対する妬み
と悔しさに満ちています。

このように内面と外面が異なり、心に裏表があるのも修羅界の特徴です。
ゆえに、大聖人は「諂曲なるは修羅」と説かれています。
「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合していくことです。

「諂」は「へつらう、あざむく」という意味で、「曲」は「道理を曲げて従う」ということで
す。
地獄界・餓鬼界・畜生界の三つは、いずれも苦悩の境涯なので「三悪道」といいます。

修羅界は、貧・ジン・チの三毒(貧り、イカり、オロかという三つの根本的な煩悩)にふりまわされ
る地獄・餓鬼・畜生の三悪道と異なり、自分の意思で行動を決めている分だけ、三悪道を
超えているといえます。

しかし、根本は苦しみを伴う不幸な境涯なので、三悪道に修羅界を加えて「四悪趣」ともいいます。

5 人界

人界は、穏やかで平静な生命状態にあり、人間らしさを保っている境涯をいいます。
大聖人は「平らかなるは人」と仰せです。

この人界の特質は、因果の道理を知り、物事の善悪を判断する理性の力が明確にはたらいてい
ることです。

大聖人は「賢きを人といい、はかなきを畜という」(1174頁)と言われています。
善悪を判別する力を持ち、自己のコントロールが可能になった境涯です。

この人間らしい境涯も、決して努力なしに持続できるものではありません。
実際に、悪縁が多い世間にあって、人間が「人間らしく生きる」ことは難しいものです。

それは、絶え間なく向上しようとする自分の努力がなければ不可能です。
いわば人界は「自分に勝つ」境涯の第一歩といえます。

人界の生命は「聖道正器」といわれ、仏道(聖道)を成ずることができる器であるとされています。
人界は悪縁にふれて悪道に堕ちる危険性もある半面、修行に励むことによって仏法の覚りの境
涯である四聖への道を進むことができる可能性を持っているのです。


6 天界

天界の天とは、もともと古代インドにおいては、地上の人間を超えたカを持つ神々のこと、ま
た、それらが住む世界という意味です。

古代インドでは、今世で善い行いをした者は来世に天に生まれると考えられていました。


六道から四聖へ
以上の地獄界から天界までの六道は、結局、自身の外の条件に左右されています。

欲望が満たされた時は天界の喜びを味わったり、環境が平穏である場合は人界仏法では、天界
を生命の境涯の一つとして位置づけています。

努力の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びの境涯です。
大聖人は「喜ぶは天」と仰せです。

欲望といっても、睡眠欲や食欲などの本能的欲望、新しい車や家が欲しいというような物質的
欲望、社会で地位や名誉を得たいという社会的欲望、未知の世界を知ったり、新たな芸術を創
造したいというような精神的欲望などがあります。

それらの欲望が満たされ、喜びに浸っている境地が天界です。
しかし、天界の喜びは永続的なものではありません。
時の経過とともに薄らぎ、消えてしまいます。
ですから天界は、目指すべき真実の幸福境涯とはいえないのです。

の安らぎを味わえますが、ひとたびそれらの条件が失われた場合には、たちまち地獄界や餓鬼
界の苦しみの境涯に転落してしまいます。

環境に左右されているという意味で、六道の境涯は、本当に自由で主体的な境涯とはいえない
のです。

これに対して、その六道の境涯を超え、環境に支配されない主体的な幸福境涯を築いていこう
とするのが仏道修行です。
そして、仏道修行によって得られる覚りの境涯が、声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖の境涯です。

7 声聞界  8 縁覚界

声聞界と縁覚界の二つは、仏教のなかでも小乗教の修行で得られる境涯とされ、この声聞界と
縁覚界をまとめて「二乗」と呼びます。

声聞界とは、仏の教えを聞いて部分的な覚りを獲得した境涯をいいます。

これに対して、縁覚界は、さまざまなものごとを縁として、独力で仏法の部分的な覚りを得た
境涯です。独覚ともいいます。

二乗の部分的な覚りとは、「無常」を覚ることです。
無常とは、万物が時間とともに変化、生滅することをいいます。

自分と世界を客観視し、世間すなわち現実世界にあるものは、すべて縁によって生じ、時とと
もに変化、消滅するという真理を自覚し、無常のものに執着する心を乗り越えていくのが、二
乗の境涯です。

私たちも日々の生活の中で、自分自身を含めて万物が無常の存在であることを強く感ずること
があります。

ゆえに大聖人は「世間の無常は眼前に有り。あに、人界に二乗界無からんや」(241頁)と言わ
れ、人界に二乗界が具わっているとされたのです。
二乗の境涯を目指す人々は、無常のものに執着する煩悩こそ苦しみの原因であるとして、煩悩
を滅しようとしました。

しかし、そのために自分自身の心身のすべてを消滅させるという誤った道(灰身滅智といわれる
)に入ってしまいます。

二乗が得た覚りは、仏の覚りから見れば、あくまでも部分的なものであり、完全なものではあ
りません。
しかし、二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めようとしません。
師匠である仏の境涯の偉大さは認めていても、自分たちは、そこまで到達できるとは考えず、
自らの低い覚りにとどまってしまうのです。
また、二乗は自らの覚りのみにとらわれ、他人を救おうとしないエゴイズムに陥っています。

このように、「自分中心」の心があるところに二乗の限界があります。


9 菩薩界

菩薩とは、仏の覚りを得ようとして、不断の努力をする衆生という意味です。
二乗が仏を師匠としていても、自分たちは仏の境涯には至れないとしていたのに対し、菩薩は
、師匠である仏の境涯に到達しようと目指していきます。

また、仏の教えを人々に伝え広めて人々を救済しようとします。
すなわち、菩薩の境涯の特徴は、仏界という最高の境涯を求めていく「求道」とともに、自ら
が仏道修行の途上で得た利益を、他者に対しても分かち与えていく「利他」の実践があること
です。

現実の世間のなかで、人々の苦しみと悲しみに同苦し、抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)の実
践をして、自他共の幸福を願うのが菩薩の心です。

二乗が「自分中心」の心にとらわれて、低い覚りに安住していたのに対して、菩薩界は「人の
ため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯です。

菩薩界の境涯の根本は「慈悲」です。
大聖人は、「観心本尊抄」で「無顧の悪人もなお妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり」(241頁)と
仰せです。

他人を顧みることのない悪人ですら自分の妻子を慈愛するように、生命には本来、他者を慈し
む心が具わっています。

慈悲の心を万人に向け、生き方の根本にすえるのが菩薩界です。

10 仏界

仏界は、仏が体現した尊極の境涯です。

仏(仏陀)とは覚者の意で、宇宙と生命を貫く根源の法である妙法に目覚めた人のことです。
具体的にはインドで生まれた釈尊(釈迦仏)などです。
また、さまざまな経典に阿弥陀仏などの種々の仏が説かれていますが、これは仏の境涯の素晴
らしさを一面から讐喩的に示した架空の仏です。

日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救うために、一個の人間として御自身の生命に仏界という尊
極な境涯を現し、一切衆生の成仏の道を確立された末法の御本仏です。

仏界とは、自身の生命の根源が妙法であると覚知することによって開かれる、広大で福徳豊か
な境涯です。
この境涯を開いた仏は、無上の慈悲と智慧を体現し、そのカで一切衆生に自分と等しい仏界の
境涯を得させるために戦い続けます。

仏界は、私たちの生命に本来、具わっています。
ただ、それを悩み多き現実生活の中で現すことは難しいので、大聖人は、人々が仏界の生命を
現していくための方途として、御本尊を顕されました。

御本尊に、末法の御本仏・日蓮大聖人の仏界の御生命が顕されているのです。
その真髄が南無妙法蓮華経です。
私たちは、御本尊を信じて自行化他にわたる唱題に励む時に、自身の生命の仏界を現すことが
できるのです。

仏界の生命と信心との深い関係について大聖人は、「観心本尊抄」で「末代の凡夫、出生して
法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」(241頁)と言われています。
法華経は万人が成仏できることを説く教えですが、法華経を信ずることができるのは、人間としての
自分の生命の中に本来、仏界が具わっているからです。

この大聖人の仰せを受けて、日寛上人は「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」と述
べています。

この法華経とは末法の法華経である南無妙法蓮華経の御本尊のことで、御本尊を信じて生き抜
く「強い信心」そのものが仏界にほかならないということです。

仏界の境涯を現代的に言うならば、何ものにも侵されることのない「絶対的な幸福境涯」とい
えるでしょう。
戸田先生は、信心によって得られるこの境涯について「生きていること自体が幸福であるとい
う境涯」と述べています。

仏界の境涯は、しばしば師子王に讐えられます。
どのような状況下でも師子王のように恐れることのない、安穏の境涯であるといえます。

 

最悪だ。ついに本当にやってしまうのか?

 投稿者:政局  投稿日:2018年 5月 9日(水)01時49分4秒
  米、イラン核合意離脱発表へ=制裁の再発動準備―NY紙

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180509-00000004-jij-n_ame


【ワシントン時事】8日の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、トランプ大統領はフランスのマクロン大統領との電話会談で、イラン核合意からの離脱を発表する計画だと伝えた。

 マクロン氏はかねて、トランプ氏に核合意残留を求めていた。

 関係者の話として同紙が伝えたところでは、米国は核合意に基づき解除したイラン制裁をすべて復活させるのに加え、新たな経済制裁を科す準備を進めている。トランプ氏が核合意で定められた期限以降もイランによる核燃料製造制限を維持すべきだと主張したことで、合意残留に関する話し合いは物別れに終わったという。

5/9(水) 0:50配信

 

正義の子様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月 9日(水)01時23分26秒
  賛同していただきありがとうございます
正義の子様の投稿に自分も感動しました

釈尊の弟子達が仏典結集する際に言った言葉があります
「我、是の如く聞けり」
皆、釈尊を思い出し、感涙しながら話したそうです

正義の子様の投稿始め、皆さんの投稿を読むと
まさに先生の心を感じます
感涙します

ある種、仏典結集のような場を作って下さった管理人さんに改めて感謝します
ありがとうございます
 

子路さん

 投稿者: 原田天魔邪教カルト執行部四人組解体壊滅  投稿日:2018年 5月 9日(水)01時02分37秒
  た、貴方は度々
「文科省に報告しよう」と煽って居ます
貴方の意図は、学会を解散させようとしているのでしょうか?

納得できない投稿は、基本スルーしていますが
目に余るので、投稿させて頂きました

貴方の投稿は宿坊の目的と違うように感じます
宿坊は学会を解散させたいのではなく、
学会を良くしたいだけだと思います

○○○秋谷栄之助  原田稔執行部から  社会的 犯罪

ストーカー行為  恫喝 除名  村八分  NTT盗聴事件

池田会長暗殺未遂八王子サリン事件  等  カルト執行部なんです。


執行部四人組 秋谷栄之助一族が 学会にいる限り

世界流布は  絶えず 社会的批判集まる理由が 残ります。

解体して 新しい  池田会長の 思想を 継承する

緩やかな 結合体を 模索しています

イケディアン思想研究会 などですが    とりあえず

原田天魔邪教執行部 秋谷栄之助一族  谷川  八尋頼雄なる   ゴキブリの  処分が 第一です

創価学会は第三代で 終わりに。 創価学会の組織は

社会性などで  霊友会  立正佼成会 天理教などに

遅れています! 慈善事業部門が弱い

良い部分は  SGI平和委員会タゲでしょう。

意見は  自由討論することが 必要です     学会継続か

新たな ユダヤ協会的な 緩やかな組織の 結合にするかは

会員信者が 決めることです
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時47分25秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
寒い夜です、皆様が風邪など引かれませぬ様に
おやすみなさい
 

同志の歌様

 投稿者:青葉  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時43分15秒
  ありがとうございます。

天魔との戦いと言っても、内部の天魔の所為を分からない人もいます。

師弟最極の戦いとしては、当然です。

あらゆる内部の天魔が炙り出始め、我が身に戦慄を感じ打倒の祈りが深まるのも、これからだと思います。

戦いに対しての質問や疑問も、撹乱する目的でなければ、どんどん出した方が良いですね。

良くないのは、分かっていないのに分かった気になっている事です。

内部の天魔を見破れず戦えないと、掲示板を見て原田ら執行部が悪いと分かっても、これからも出るであろう、正義を装い我見を振り撒く人師論師に騙されてしまいます。

内部の天魔との呵責の戦いは、魔を打ち破ると共に、今までの組織や幹部への依存心を切り、先生との誓いの一点で自立の信心に立ち、強くなる事です。

臆病を斬らずに、依存する心のままだと、組織から排除されても場所と、馴れ合う人を変えただけになってしまいます。

天魔は誰に入るか分からない。まさか、この人にと言う人にこそ入る。
内部にあっても原田は勿論、多大な影響力があり、人気取りをする者こそ、先生を妬み天魔の所為となります。

先生は何度も強く指導されました。

「師弟が一番大事です!何よりも師弟が大事です!血縁より師弟だ!」

「誰に天魔が入っても、断固として戦いぬけ!」と師子吼されました。

生命に打ち込まれた、この指導が今、蘇ります。

師弟の同志が団結し、原田ら天魔打倒の強き祈りで追撃です。
 

聖教配達

 投稿者:ちょっと立読み  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時37分45秒
  Q様、一般会員様、貴重な情報ありがとうございます。

私の地域でも週3人の方が配達をしていますが、正配さんが週6で頑張っても月2万円には届かない様です。

> 要は労災保険の場合、その保険料の全額が国庫に納められるのに対し、系列企業である民間保険会社の提供する簡易な損害保険を利用すれば、組織内で資金を還流させることが可能になるということなのでしょう。
そして配達員の労働者たる地位を奪ってしまえば、最低賃金法なども一切考慮する必要がなくなり、より経費削減となって好都合だということ。つまり近年の信濃町が自分たちの利益のみを優先し、いかに腐っているかという以外にありません。

「配達員は奴隷扱い」納得できるお話です。

配達員さんご本人たちは「お金の問題ではない」と言いますが、手数料をもう少し上げてあげればいいのにと考えていました。
諸事情などで時間拘束のあるパートには出られないが、家計を支えるため根詰めて内職をしている方など、朝の30分~1時間でその分を補えるなら喜んで配達を受けてくれるの人が増えると思うのです。

そうすれば、いまの「配達員探し」や「押しつけ」も減っていくのではないでしょうか。
結局、現場はどうあれ自分たちの利益が優先なんですね。


また、ここでの内容が実態に迫れば迫るほど、滑稽な「お達し」を発しますが、やはり本部の方々は妨害こそすれど真っ向から反論はしないんですね。

「ネットは危険」とのお達しを出すほど、この掲示板を見ている職員の皆様、10年ほど前に「報酬」から「手数料」に切り替えた理由に胸を張って言える事があれば、ぜひ教えて下さい。
 

敵は内にあり

 投稿者:正義の子  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時20分50秒
  子路さん 素晴らしい投稿有難うございます。
いつも誠実身の溢れる文章に触れて発心しております。

私は本掲示板は何かあると思い勉強させて頂いておりましたが、投稿する迄には至っておりませんでした。
先月、子路さんが「我が青春譜」の事に触れて頂いたことを切っ掛けに、私も投稿しようと思った次第です。
今日は、私も池田先生の全集読破の決意をさせて頂きました。
実は私も血気高い者ですので、投稿と言うと文句、批判等になりがちなのですが、丁寧な子路さんから学ぶことが多いです。2年前にかつて共に戦った同志数名に、今の学会の状況を訴えた事がありました。案の定それぞれかなりの温度差に愕然としたのです。何と言うか、よく言われるお花畑の信心、家族が幸せになったからとか良き学会等々、若き日に誓った広宣流布、学会を守る、そう組織を守ると言う感じでした。今直面している危機感、広布の責任感が感じ無かったのです。肝心な事は、代々の会長なかんずく三代会長池田先生の思想、学会精神溢れる学会である事が重要なんですよね。

池田先生の全集を読破、そして地道に一人一人に池田思想、学会精神を訴えたい。
先生は「恐れなく思う存分に、地涌の菩薩の底力を発揮してくれたまえ!そして、勇気凛々と正義の眷属を呼び起こしながら、無敵の団結で痛快に勝ちまくろう」と念願されたのです。

敵は内に在り!我らの正義の団結で恐れ慄き、木っ端微塵に粉砕して参りたいと思います。

真の地涌の皆さま!池田先生のご指導を胸に、天魔退散する堂々の行進をして参りましょう!
 

青葉様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 5月 8日(火)23時09分38秒
  「弟子は天魔と間断なき戦い」

今、その潔い信心の戦いをする時ですね。

池田先生お一人が、天魔と戦い続けて来られて来ました。

その池田先生の戦いについて行けずに、白旗を上げて逃げ出し、天魔に喰われたのが、天魔原田率いる執行部です。

青葉様が言われるように、格好など気にすることなく、愚直に、池田先生の弟子として、戦い抜く潔い信心が今、必要だと思います。

自分も更に強く強く天魔を打ち破る祈りをしていきます。





 

同盟題目は23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月 8日(火)22時59分20秒
  池田先生、奥様のご健康とご長寿を祈ります。
よろしくお願いいたします。

気候が安定しません。体調を崩している方は無理をなさらずに。お題目を送ります。
 

希望に満ちた人生を

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 8日(火)21時18分36秒
  きょうは阿武隈山脈のふもとで、それも小さな小屋の中で、二、三人で月をながめながら、団
欒しているような気持ちで、ゆっくり懇談的に話をしたいと思います。福島の同志の人達の指
導になかなかこられなくて、申しわけない気持ちでいっぱいであります。ただ、私は、皆さん
のご健康と一家の繁栄、更に栄光輝く人生でありますようにと、一生懸命、御本尊にご祈念し
て参りますので、どうかお許しを願います。(拍手)福島本部ができました。どうか思う存分

使っていただきたい。決して幹部のためにつくったのではありません。全学会員が、安心して
楽しく活動に励めるようにと、皆さんのためにつくりました。皆さんは、幹部を偉いと思う必
要はない。創価学会は、会長をはじめ全部友達です。私はあくまで民主主義でいきます。私は
教祖でもなんでも無い、大聖人の一信者であり、皆さんの先讐であり、皆さんを間違いなく幸

福にし、仏法の正しさを証明するリーダーです。地方の人のなかには、東京にあこがれる人が
多いが、東京には、交通事故が多くで、まさに交通地獄であります。それに公害と住宅難が充
満している。いいところはなに一つありません。それなのに、皆、東京にあこがれる。私は東
京よりも、福島における人生のほうが、何百倍、何千倍幸せであると感じます。田舎にいる人

は、なんでも都会がよく見える。しかし、そうではない。日蓮大聖人は「本有常住」「常寂光
土」と仰せです。自分のいる所が常寂光土です。それを自覚すべきだ。また必ず我が国土が福
運に満ちみちた常寂光土になっていくと確信すべきです。次に申し上げたいのは″希望に満ち
た人生″であってほしい、また〝希望に満ちた信心″であってほしいということです。自身の

生活を革命していくのが人生ではないかと思います。いわんや、更に境涯革命を成し遂げて厳
然たる証拠を示していくのが、真実の信仰ではないでしょうか。それを退廃的になって、意固
地になって、人生を惰性に終わらせるようなことがあっては断じてならない。大切な一生とい
うものを、紙くずのようにむだにしてはいけない。最大・最高に幸せを満喫し、それを我が人

生のうえに証明していかなければならない。そのために希望に燃える人生、信心を続けていか
ねばならないことを、まず申し上げたいのです。全員、一生のあいだには、外国旅行にも行っ
ていただきたい。十年先か二十年先かわかりませんが、そのぐらいの希望を持って前進しまし
ょう。お年寄の方は、お子さんがどれだけ立派になるか、お孫さんがどれだけ福運をつむかわ
からない。福運の与同利益で、外国に連れていってもらえるかもしれません。どういうふうに

福運がつくかわかりません。私は、皆さんにそれぐらいの希望をもって、人生を生きてもらい
たいと思うのです。もうひとつ私が申し上げたいことは〝生活闘争に勝利の福島たれ″です。
どんなことがあっても、大事なのは生活即信心です。経済を考えて、生活の基盤をアップさせ
、商売のほうを繁栄させていかねばならない。一人残らず、貯金がいつも百万円や二百万円、

一千万円あるといえるようにならなければいけない。財布の中には、いつ一万円札が五枚や十
枚は入っているというぐらいまで、生活闘争、経済闘争を戦い抜き、勝利を収めていただきた
いのです。できないわけはありません。十四年前、極貧のなかにあった人が、今は従業員六百
人のリーダーになっています。皆さんもしっかり商売に打ち込んで、生活全部が裕福であると
いいきれるまで戦っていただきたい。さもなければ、福島ではなく〝貧乏島″になってしまい

ます。(笑い)次に〝生命力の福島″であってもらいたい生命力が一切の源です。それは、力
強い題目で、御本尊に真っ正面からぶつかっていくことです。先日、青年三、四人と一緒に勤
行する機会があった。なんとなく弱々しくて、力強い朗々たる勤行ができない。まるで恋人に
捨てられて、自殺寸前の青年みたいに弱々しかった。やはり、玉がコロコロと転がっていくよ
うに、御本尊にピーンと響くような勤行であり、唱題でなくではいけません。声がリンリンと

響くような唱題です。だれが聞いても「いいなあ」と思い、信心に反対している人が聞いても
、たとえ、それが小さな声でも「ああ、いいなあ、さわやかである」というような勤行であり
、唱題でなければいけない。そこに初めて、たくましい生命力が生まれてくるのです。信心に
は常識が大切です。きょうは疲れているなと思ったら、御本尊にしっかり題目をあげて早く休
むことです。翌日はさわやかで、自由自在になるはずです。夜は早く休んだほうがよい。休ま
ない人間が、戦えるわけがありません。夜遅くまで起きていて、昼間、居眠りをしているよう

では、本当の信心とはいえない。それでは自分のダラシなさをタナにあげて、学会にかこつけ
ている姿であり、信心利用です。家庭の奥さん方は、家庭をがっちりと賢明に把握し、見事に
切り回してください。それをやらないで、学会活動に励んだとしでも、それでは学会利用にな
ってしまいます。やはり、お子さんも、ご主人も「ああいいよ、行っておいでよ」といわれる
まで、妻として、母として、家庭の太陽として家事を全うし、その残った時間を全魂こめて仏
道修行に励むところに、御本尊からの称賛があるのです。それを忘れないでいただきたいので

す。福島は①経済力、②生命力、③希望に燃えて、のこの三つをモットーとして前進していっ
ていただきたい。お嬢さん方は、福運を積んで、全員ダイヤモンドの指輪ぐらい持ってもらい
たい。しかし、見栄をはる必要はありません。人に借りてまでして着飾る必要もない。そんな
もので、いくら着飾っても、それは虚像にすぎない。実像の幸福ではない。どちらかといえば
虚像のほうが一見幸せそうにみえる。偉そうにみえる。そこに大きな錯覚があるのです。テレ
ビはあくまでもテレビの世界で、本当の実体とはぜんぜん別なものです。実像と虚像はいわば

本迹の相違です。本迹の相違には水火天地の違いがあるのです。ともあれ、自分自身を自覚し
、主体性をもって進んでほしい。壮年部の方々は、お嬢さん方が皆、幸せな結婚ができるよう
に応援してあげてください。自分の娘と思えば真剣になります。こんなに濁った世の中で、ひ
たすら妙法流布のために、自分のお金を使って活動し、人々の批判をうけながらも、二十歳前
後で、純粋に広宣流布という目的に向かって進んでいるということは、たいへん立派なことで

す。そうした純真な人が、真面目に戦っている人が、陰口をいわれたり、バカにされたりする
。こんなことでは、世の中はよくなりません。このあいだ、ある新聞に、小学生も、中学生も
、高校生も、野口英世を、有名人のなかで一番偉いとしているデータが出ておりました。貧苦
の家に生まれた野口英世は、若いころに苦労して勉強に励み、医学の道で人類のために貢献し

犠牲になった。日本が世界に誇る偉人です。そうなるまでには、やはり地道な戦いがあったの
です。私達はそれ以上に、地道ではあるけれども、妙法という永遠不滅の哲理を掲げ、社会を
本源的に変え、人間を絶対的幸福に転換させていこうとする戦いを進めています。仕事をやり
ながら、朝な夕な戦っている創価学会の若人、乙女らは、野口英世に勝るとも劣らない。むし

ろ現代における、また未来における最高に立派な人間像であると思いますが、いかがでござい
ましょうか。(拍手)だれがなんといおうが、私どもの戦いは、日蓮大聖人が見てくださって
います。人の心ほど変わりやすいものはありません。ただ一つ絶対に信じられるのは、御本尊
しかないのです。御本尊、三世十方の仏・菩薩、諸天善神が私達を守ってくださるでしょう。
それを信じて元気いっぱい戦おうではありませんか。(大拍手)

(昭和44年10月30日福島総合本部幹部会福島県営体育館)
 

創価学会仏

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月 8日(火)20時07分45秒
  人間革命第12巻223~224P

日蓮大聖人は、御本尊を御図顕あそばされ、末法の衆生のために、御本仏の大生命をとどめ置
かれた。まさに「我常在此。裟婆世界。説法教化」の経文のごとく、仏が常に此の裟婆世界に
あって説法教化されている御姿である。創価学会は、その大法を末法の民衆に教え、流布する
ために、御本仏の御使いとして出現した。そして、大聖人の御精神のままに、苦悩にあえぐ人
びとを救い、菩薩道を行じてきた唯一の団体である。それは未来永遠につづくであろう。する
と、学会の存在もまた、「我常在此。裟婆世界。説法教化」の姿ではないか。学会の存在は、
それ自体、創価学会仏ともいうべきものであり、諸仏の集まりといえよう。戸田の胸に、熱い
感動が込み上げ、あふれでる感涙が枕を濡らした。彼は、この不思議なる創価学会の存在の意
義と大使命を、後事を託す青年たちの生命に刻印し、永遠に伝え残すことが、自分の最後の仕
事になろうと思った。戸田は、勇み立つ心を抑えながら、ともかく元日から活動に復帰するこ
とを心に深く期した。
 

-Q-さま

 投稿者:一般会員  投稿日:2018年 5月 8日(火)20時00分12秒
  -Q-さまご指摘ありがとうございます。

心配なので個人的に労災か一般の傷害保険に入ろうと思い。

労災組合に聞いたところの算出でした。

会社組織の労災となるとものすごく安いんですね。訂正いたします。

すいませんでした。しかしそんな安い労災をケチるとは逆にひどい話ですね。

他社(朝日、読売も)配達料は1部枚10円計算ぐらいなようです。

私は月8千円くらいなのですが、車両持ち込みの分やバイクも故障するので

その分は手当をつけてほしいです。
 

投稿者"・"さん

 投稿者:しなのそば  投稿日:2018年 5月 8日(火)19時52分45秒
  この方が登場される時は、木で鼻をくくったような、小馬鹿にしたような書き方をされますね。

確かに、宿坊の掲示板に辿り着くのは、学会執行部の示す方向性に疑問を感じてという方と、見張って潰せと指令を受けて妨害する方、野次馬で面白がっているような方など様々ですが、そんなことは一々言われなくてもそれこそ皆さん、お分かりでしょう。

白けた言動で水を差すのがお仕事の法匪か、その手下としてお仕事されている方ですかね。妨害しているつもりが、余計に執行部への疑念を深める結果になっているんですがね。そうではなく一般の学会員だと言われる方がもっと残念感で一杯ですが。

ということで、しなのそばは宿坊から離れた訳でも関心が無くなった訳でもありません。論者さんが増えたので専らROMしています。ではまた。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/83932?TEACUPRBBS=7ee0c35b6bc3a73c1d4b6e9e7f0cb322

 

「一般会員」殿へ

 投稿者:-Q-  投稿日:2018年 5月 8日(火)19時15分54秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/83941

どのような根拠で配達員一人当たりの労災保険料が、年間4~5万円になると計算されたのですか?
新聞の配達は、法的な職種としてはその他の各種事業に該当し、労災保険の料率は最も低い部類にランクされるはずです(当方、社会保険に関する実務経験があり)。

非現実的な話ですが、仮に配達員一人に年30万円の報酬を支払うとしても、年間の保険料は1千円程度です。全額が雇用主の負担になるとはいえ、一販売店当たりの保険料総額などせいぜい年間で数万円程度にしかなりません。

要は労災保険の場合、その保険料の全額が国庫に納められるのに対し、系列企業である民間保険会社の提供する簡易な損害保険を利用すれば、組織内で資金を還流させることが可能になるということなのでしょう。
そして配達員の労働者たる地位を奪ってしまえば、最低賃金法なども一切考慮する必要がなくなり、より経費削減となって好都合だということ。つまり近年の信濃町が自分たちの利益のみを優先し、いかに腐っているかという以外にありません。

いずれにせよ、感情的になって根拠不明の私論を唱えることは慎むべきです。

結論的には、末端会員にも可能な対抗手段としては、購読拒否と配達ボイコットあるのみ。
もはや“紙版”の聖教は(むろん公明新聞も)、速やかなる廃刊に追い込むことこそがベストです。


 

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月 8日(火)18時59分28秒
  あっという間に消されたようだが、「京都の虎」とかいう人物がハンドルネームを変えて登場。

しかし、ハンドルネームを変える前に、あの気色の悪い関西弁を何とかしないと意味がないだろう。(笑)ワザとだとすれば、ひどい目立ちたがりだ。

以前にも同じような出来事があったが、私自身の事に話が及ぶ事によって、その人物が嘘つきなのかどうかが100%分かる。

オフ会って何だ?(笑)
 

あ~ぁ、懐かしの工作員達 w

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2018年 5月 8日(火)18時28分1秒
  バーン!工作員かなww  投稿者:八尋みのる
投稿日:2017年 2月14日(火)17時43分13秒   通報 編集済
見よ!わずか40分の間、このハイスピードな連投www
仕事しなくていいの?あっ、ネット対策の方でしたかww

不如帰 17/02/14(火) 17:31:37
不如帰 17/02/14(火) 17:27:31
不如帰 17/02/14(火) 17:16:26
不如帰 17/02/14(火) 17:07:36
不如帰 17/02/14(火) 16:54:54
不如帰 17/02/14(火) 16:50:01
 

京都の虎さん、こにゃにゃちは

 投稿者:オドルアフォニミルアフォ  投稿日:2018年 5月 8日(火)18時22分29秒
編集済
  相変わらず、あんさん、成長してまへんな
大々爆笑ものだわなぁ
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこ  投稿日:2018年 5月 8日(火)16時47分9秒
  勇気ある人は、何でも乗り切っていける。自分を変えるにも勇気がいる。また勇気は慈悲に通じていく。反対に、臆病な人はとの何も変えられない。それでは満足もないし、不幸である。  

基本、長いのはスルーするけどこれは・・・?

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 8日(火)14時21分45秒
  現実に起きてるコトだし読んじゃった!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/74128


【げんちゃく お ほんにん】はお経のコトバ

(すべての報い【悪果】は本人の元に・・・)




http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

赤胴様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月 8日(火)13時07分8秒
編集済
  貴重な話ありがとうございます
ネットはいいですね

法華経は弟子達が集まり、結集した経典と言われています
そこで、其々べつに聞いていた話が繋がり、歓喜したそうです

もし、釈尊の時代にネットがあったら
仏典結集も簡単だったでしょう

聖教は肝心な事を隠したり、執行部に都合が良いように書いてあることが多く、感動することが少ない
しかし、この板を読むと先生の御苦労、忍耐、慈悲そして勇気に感動することが多いです

ある種の仏典結集です

現場にいると「こんなおかしな事を会員に強いる先生ってどう?」と不思議に思うことがあります
宿坊のおかげで疑問がドンドン晴れます

「おかしな事」を発信しているのは
先生ではなく、
実権を握っている「時の会長」

宗門と離れた直後、先生は言われました
「黙っていたら、どれほど大変な事になったか!
奴隷のように使われただろう
皆さん方は分からないだろうけど」と

先生が黙っておられる今
奴隷のように使われないように、聡明にならなければいけない
組織信心ではなく、先生直結の信心をしていきたい

先生は辞任させられて10年
関西の地で言われました
「この10年で誰人も想像しなかった勝利の春を勝ち取った
全部広布の為、同志の為との一念であった
奥底の一念は見えない
しかし、その一念は、三千羅列の目に見える姿として、厳然と現れ、人生の勝敗を明らかにしていく」

先ず10年、先生の為(本当の意味で)、会員の為に祈り、尽くしていきます

また、たくさん題目、先生の御指導を読んでいきます
全集68巻から100巻までスピーチです
32冊あります
しっかり勉強して行きます

勿論
皆さんの投稿も勉強させて頂きます

「先生の心」を感じることが出来る貴重な板です

ミネルヴァの梟様
いつも素晴らしい投稿ありがとうございます

先生は本当にありがたいです
信仰は、人間を縛りつけるものではなく、
解放するものだと思います
指導者の力量次第で、同じ信仰が縛り付けたり
解放したりします

池田先生の御指導をたくさん読むことは本当に大切だと思っています
 

聖教新聞

 投稿者:一般会員  投稿日:2018年 5月 8日(火)13時02分28秒
 
グローバルな時代、工業生産の発達する国の特徴は安い労働賃金(タダ同然)で

雇用できる国、中国やインドは地方の山奥から引っ張て来た労働者を劣悪な環境の寮にすませ

重労働を強いていますが、飛躍的な経済発展は多くの多くの犠牲者の上に成り立っています。

聖教貴族も同類だと思います。

純粋な信仰心を利用して巨額の利益で上層職員は潤っています。

そもそも宗教機関誌はカネを儲ける必要がないのです。

財務の中から経費を捻出して無料にすべきです。それならタダでも配ります。

労働条件の改悪に至った理由として、まず使命感から配りたいという人が激減したこと

もあると思います。以前は月曜から土曜日まで週6日配達していた方も多くいました。

地域によっては配達したくても順番待ちの地域もありました。

今では専業主婦も減り共稼ぎが普通になり1ブロック3人配達態勢が普通で協力者を

入れると地区2ブロックとして6~8人が配達しています。

無理に配達を強要して未活になった白百合長ブロック長もいたと聞きます。

分割配達員が激増したことにより労災のコストが跳ね上がりました。

労災は、新聞配達は危険な仕事の部類に入るので1人頭、年間4万~5万かかります。

その金はまるまる国に取られてしまうし利益は減るわ、でどうにかならないものかと

コンサルティング会社から知恵をもらって労災やめて利益を確保しようとなったんでは

ないかと考えます。労使関係を解消してボランティアの会員で手数料(報酬→手数料)制

にした。労災の代わりに保険、〇ット保険で、ある程度保証しようと考えたのだと思います。

経費は労災の4分の1、年間1人頭1万程度で済みます。

〇ット保険は学会の外郭団体ですので学会職員の福利厚生や外郭運送会社から膨大な資金が

入ってきます。〇ット保険は人革にでてくる大東商工の流れを汲んでいるそうです。

生命保険から自動車保険、資産運用まで幅広くやっています。実は〇ット保険は保険屋と

いっても代理店です。筆頭保険会社はたしか○○海上火災だったと思うんですが。。

〇ット保険は業界では神的存在でレジェンドです。保険業界のフィクサーとして

君臨しています。意に沿わない保険会社を簡単に潰せる。交通事故比率も捻じ曲げられる

ほどのチカラがあると言われています。〇ット保険が配達員の事故や保証を扱うこと

により〇ット保険も○○海上火災も儲かりハッピーエンドという大人の事情もある

んではないでしょうか。田舎に帰ると大手ゼネコンの独身寮は軒並み全世帯聖教新聞

が入っていると聞きましたが啓蒙主は副会長だそうです。それを考えると〇○海上火災も

超莫大な利益を享受していることを考えると、友達のいない〇会長、地域の外部に人望がない〇会長

ゆえ選挙と新聞はのおいしい蜜なのでしょう。

「こことここの選挙区の社員を見つけだしてこいっ!」と言えば「はい~〇○さま~

すぐに社員全員に当たって名簿を提出いたします。」「聖教新聞わかってるな!」

「はい~全国支店全部〇ット保険幹部さまのために支店長の私が啓蒙してまいります~。」

地元ラインの会合で職員幹部〇〇長が「新聞啓蒙30部やってきました~」とか~偉そうに言ってたら「それ」です。

こんな感じですかね。裏と表でいつも苦労するのは現場の人間。職員配達しろバカヤロ~。




 

革命を急がねば

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月 8日(火)12時51分45秒
  今朝もテレビは相変わらず、政治関係のニュースを体良く避けている様だ。

ゴールデンウィーク中ならまだしもという事はあるが、もういくら何でも起き上がって仕事を再開するべきだろう。

元財務政務次官セクハラ問題の時、テレ朝の報道局デスクが突然死していたらしい!

セクハラを受けたのはうちの社員だとテレ朝が名乗り出て、政府を窮地に追い込んだあの頃だ。

今回の様な大疑獄事件の時日本では、それこそ必ずと言っていいほど不審な死者が何人も出るのだが、今回の報道局デスクも前日まで元気に働いていたそうだ。

ドラマや映画ならこういう時は、裏で権力と結びついた悪党の暗躍が必ずあるのだが日本はどうなのだ?
モリカケ問題だけでも、もう何人も自殺者が出ている。

こんな国は今度こそ根本的に変えなければ、近い将来大変な事になるのが見え見えだ。
もうファシズム国家の一歩手前まで来ている。

20日からストップしていた国会審議が間もなく再開されるが、野党の審議拒否は当然の事で悪いのはあくまでも与党の方だ。
国会審議をしたところで、「嘘と隠蔽と改竄」でしか答えが返って来ないクソ政府を相手にする時は、これで良いのだ。今は非常事態なのだ。

去年一年間の与党のやり方を見ていなかったのか?
今だに野党の審議拒否を非難しているメディアなど、大馬鹿野郎と言うしかない。学習能力ゼロだ。


宿板ほぼbotの方に、御本尊を切断し、その写真をupしている馬鹿女がいるが、創大出身の学会3世らしい。
怒りの矛先を、どこに向けるべきかも分からないのか!

その行為に賛同する馬鹿者が少数集まって英雄気取りだが、こういう種類の者達が宿板にいるのは大迷惑だ。そういう者達がいくらダーハラ執行部を批判しようが、逆効果にしかならない。

大聖人の事を「上行菩薩の垂迹」などと言う馬鹿といい、ダーハラ執行部のせいで、本来の創価学会の信仰の破壊が急速に進んでいるのが明白だ。

日顕宗などの坊主達も御本尊を粗末に扱っているのだから良いではないか、というのは大間違いだ。
もし罰が出なかったり良い事が起こったりするとすれば、それは今世で地獄へ落ちると決定した事を知らせる通知のようなものなのだ。

昔の学会では御本尊は命より大切と教えられ、その事を忠実に守るため火事で燃えている我が家に戻って焼死した学会員さんがいた。

しかし池田先生はそんな事は言っておられなかった。御本尊が命と同じほど大切なのは事実だ。
しかしあくまでも人の生命が第一であり、燃え盛る火の中へ飛び込むような事をしてはならないと言っておられたのを、私は直接聞いた記憶がある。

だからこそ師匠の指導に直接当たる事が必要なのだ。

御本尊を切り裂いた者がもし許される事が仮にあるとすれば、たった一つの鍵はこの部分にしかないだろう。

何が「上行菩薩の垂迹」だ。まだ言っているのか。
私は池田先生の御書講義で、大聖人の「開目抄」は人本尊開顕の書と教えられたがそれが創価学会の常識だ。邪義を唱えたいなら別の場所でやれ。


 

原田天魔邪教執行部様

 投稿者:子路  投稿日:2018年 5月 8日(火)12時41分13秒
  貴方の投稿を読ませて頂きました
創価学会の存在価値をまるで認めていないように思いました

戦後貧しい人達
社会の片隅に追いやられ苦労していた人達
その人達に手を差し伸べて、生きる希望を与え
現実に幸福な生活をさせた創価学会3代会長は
偉大です
創価学会の果たした役割は大きい

また、池田先生が韓国を大事された事も批判されていましたが、
当時、そして先生の世代の日本人の多くは
韓国に対して見下していたと思います
歴史を習うと韓国から鉄の作り方を教えて貰い
「渡来人」として尊敬している時代が確かにありました
にもかかわらず、韓国を差別する事は日常でした
「渡来人」として大事にされた韓国人と
今いる韓国人と何が違うのだろう?
と理不尽な差別に不思議に思っていました
そんな状況の中、先生と奥様は
来日した韓国メンバーから貰ったチョゴリを着て、懇談会に出席されました
言葉ではなく、行動で示して下さった
どれほど嬉しかったでしょうか!

そこは、批判される事ではなく、先生の勇気慈悲、そして器の広さとして賞賛されるべきことだと思います

また、貴方は度々
「文科省に報告しよう」と煽って居ます
貴方の意図は、学会を解散させようとしているのでしょうか?

納得できない投稿は、基本スルーしていますが
目に余るので、投稿させて頂きました

貴方の投稿は宿坊の目的と違うように感じます
宿坊は学会を解散させたいのではなく、
学会を良くしたいだけだと思います

 

殉教の意味の転換

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月 8日(火)12時12分42秒
  殉教を
「組織論の中に死ぬこと」と見れば
「何でも信心で受け止めてやり切る」となる。
その時、表面上は
「あなたの中にも素晴らしい生命がある
 一緒に幸せになっていこう」と言っていても
「どんなに文句を言ったところで
 組織の言う事を聞いて死んでいくことが正しいんだ」
という生命の傾向が含まれることになり相手にも求めている。

本来は、リーダーが見抜いて「それは違う」と切るべきだが
組織自体が「組織の言う事を聞いて死んでいくことが正しい」
という魔に侵されてしまい、その方向の事が賞讃されていくと

なまじ頑張って力を付け、魅力ある人間になるゆえに
悪目立ちして目を付けられるがその実

自身の内にある
「あなたの中にも素晴らしい生命がある」という生命と
「組織の言う事を聞いて死んでいくことが正しいんだ」
という生命の戦いが、社会の中で現象化するのだ。

なんで信心しているのに、頑張っているのに
こんな目に合わなければいけないんだ。
ということが起こる。
その時、どう対応するかが信心の肝要である。

竹〇青年部長等は話を聞いていると
そんな目に合うのはヤバいから上手く世渡りしようね
という傾向が見て取れる臆病さがある。

結局、それでは生命の魔は切れず、表面上何を言っても
「皆さん、組織の言うことに従順に従ってくださいね」
という生命が内在し、上がそれでは、悪の組織になる。
保身を切れていないことは、そのまま組織利用になるのだ。

なんで信心しているのに、頑張っているのに
こんな目に合わなければいけないんだという時
保身を切り、本当の信心で乗り越えていく。

それは、真剣であればあるほど
これでもか、これでもかと起こってくる。

殉教の意味は
「広宣流布に生き抜くこと」になっていく。

今度は、組織の中に切れていない魔が現れ
襲い掛かってくる。

社会で苦境を味わう状況に、信心の励ましをしてもらえず
逆に「お前がおかしいんじゃないのか」と責められていく。

それでも負けないで進めば
ついにその人の「竜の口」が起こる。
何が正しいのか
一切が、自分さえもが疑わしい。

生と死の境、ついに願った臨終正念が
試される時である。

釈尊の菩提樹
日蓮大聖人の竜の口
戸田先生の獄中
池田先生の54年
そして我が今

発迹顕本の時である。

「私は自由な生命を生きている」
「私が願ったのだ」

今まで囚われていた
自分自身という枠、組織という枠
そういう三界の世界から飛翔した知見が開かれる。

どの三乗の生命に見える人も
ついに開けるのは一仏乗の方向なんだ。

「あなたの中にも素晴らしい生命がある」
今まで何も分かっていずにそれを言っていたから
嘘があったんだ。

本当にそれが言える時
本当には組織がどうなんてこと、関係がない。

自分自身の、生命の事なんだ。
それが了解されれば
殉教の歓喜と生きている歓喜とに、
二つの別は無くなるんじゃないだろうか?
 

冷徹きわまる信濃町

 投稿者:-Q-  投稿日:2018年 5月 8日(火)10時57分45秒
  聖教配達員から「労働者」としての権利を剥奪したのは、小泉政権の時代です。当時の労働行政トップに君臨していた人物は、言わずもがなの坂口厚労大臣。

残念ながら、私がその事実を知ったのは数年が過ぎてからのこと。すぐに、当時の理事長に抗議の書簡を送り、聖教本社の業務部長とも面談して抗議したものの後の祭りでした。

要するにコンサルタント会社の進言を真に受けた信濃町の幹部たちは、権力をバックにして、冷酷なリストラ策を断行したということ。
つまり連中は自分たちが生き延びるため、配達員を含めた末端会員のことを「かねづる」だけではなく無償の労働力、つまり奴隷以下の存在としか考えていないということなのです。
(「日本丸」殿のアシストに、感謝)


 

苦言様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月 8日(火)10時11分30秒
編集済
  確かに原田会長と執行部の組織運営は、池田先生の指導からブレています。
この部分は、原田会長と執行部で、組織運営の再検討をして頂きたいです。

しかし、『悪と戦うためならば、なんでもアリ』ではいけませんね。

万が一にも、顕正会や日顕宗と手を組んだり、アンチの投稿を引用してしまっては、本末転倒と言えます。
仏敵と手を組んでしまっては、先生を誹謗中傷した矢野氏と和解した谷川副会長のようです。
何より池田先生に対し誠実ではありません。

悪と戦う目的は『会員(民衆)の幸福』を守るためです。
池田先生を守るのも、その先に『会員(民衆)の幸福』があるからです。

魔は巧みに信心を紛らわせます。
正義の怒りに憎悪が入れば一瞬で魔の思うつぼです。
自分もこの部分は大変難しいですが、題目を上げ慎重に言葉を編んでいます。

祈りは言葉に表れます。
宿板で投稿される方々の言葉に、民衆の幸福が見えている投稿者は正義です。
しかし、民衆の幸福が見えていないなら、それは残念な方向に向かっていると言えます。
憎悪の命を持つ方に粉動されたのかもしれません。

だからこそ憎悪に飲み込まれないために、池田先生の指導を読み仏法対話に走っています。
本日も、早朝から犬の散歩で、ガン患者を抱えるご家族と対話をしてきました。
友を想い、対話を重ねるほどに、慈悲の命が強くなります。
悪と戦う功徳が、このご家族に向かうよう祈り、対話を続けてまいります。

民衆の幸福を祈らず広宣流布をしないなら、池田先生の弟子とは言えないと思います。


 

オバケのQ太郎さまが怪しげなコンサルタント退治?

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月 8日(火)09時57分19秒
  やっぱりおかしい~モンはおかしくて?

だめなモノはダメだめ★だあ~!!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72713


【げんちゃく お ほんにん】はお経の教え!

黒い策謀★呪い☆毒薬一切は・・・?

不成就な上に自らの身に・・・

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

戸田城聖先生の教えレコード音源

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月 8日(火)09時34分19秒
  ネット上には戸田先生や池田先生の
貴重なご指導やスピーチがあります。
戸田城聖先生の教えレコード音源が
あるのには驚きました。
三代の先生を信心の見本とする
人にとって貴重な情報です。
創価学会を原点にもどす大きな力
となるでしょう。

https://www.youtube.com/channel/UC7sE3zKAUEucaHMyR_0MP9Q/videos
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、埼玉で開催された支部長会に御参加とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 5月 8日(火)09時34分0秒
  おはようございます。原田怪鳥様、婦人部総会が始まったそうで、池田先生御夫妻が祝福のメッセージとのコト、誠におめでとうございまぁ~す(笑)

でもねぇ~、「5・3」にはメッセージが無く、婦人部総会にはメッセージと、ナニか? ちょっと違和感でぇ~す(笑)


また、原田怪鳥様におかれマスては、「常勝埼玉師弟の日」を記念する支部長会に御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

「5・3」を記念する勤行会の報道は一切ナイのに、埼玉での支部長会は一面報道と、これもちょっと違和感でぇ~す(笑)


原田怪鳥様、ナニやら? 御書を引かれて熱弁されたみたいデスが、「切り文」のせいか、どうもピントがズレているように思えまぁ~す(大爆)

なぜって? 原田怪鳥様が引用された御書のすぐあとにナニが書かれているか御存知デスかぁ~(爆)

伊豆流罪と佐渡流罪が、人の讒言による無実の罪であったので赦免されたコトをひかれ、

たとえ人がなんと言おうと、人の讒言は用いてはならない(趣意、御書P1190)ってあるんデスよぉ~(大爆)

原田怪鳥様、ナニやら? 創価珍報では、公平性も中立性もなく、一方的にディスってマスが、これって「讒言」って言えませんかぁ~(笑)

片一方の都合のイイ情報ダケを一方的にタレ流し、反対の情報はナニ一つ掲載しない、議論しない、対話しないではいかがなものデスかぁ~(笑)


原田怪鳥様、「切り文」ばっかりしてるから、御聖訓の意味の捉えドコロがズレてるんじゃないんデスかぁ~(笑)

後段に「讒言」とあるからには、前段の「恐れてはならない」という言い回しも「讒言を用いてはならない」といったコトに通じませんかぁ~(笑)

したがって、「創価珍報」の一方的な情報を鵜呑みにせず、双方の意見を聞いたうえで判断するのが正しいと思いまぁ~す(大爆)


原田怪鳥様、4面にもデカデカと「世界宗教の仏法」などとブチ上げているワケデスからぁ~、

もっと許容性なり、客観性を持たれたほうがイイんじゃないデスかぁ~(笑)

「組織に反対する者は悪だっ!」とばかりに排除する思想は、カルトそのものだと思うのデスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(爆)


原田怪鳥様、なにせ「世界宗教の仏法」なのデスから、原田怪鳥様御自身が一方的にディスるダケではなく、

しっかりと「対話」していただくなり、「師がない」志賀ナイ男子部長様なりが、しっかりと「対論」していただくなり、

「世界宗教の仏法」にふさわしいモノにして頂けマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 5月 8日(火)09時11分48秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/83931

〝みなさんの気持ち〟というのは多数論証という論理的誤謬です。
 

みなさんの気持ち。

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月 8日(火)08時23分15秒
  会員がネットをみるのは、今の創価学会が、先生の頃と比べてあまりに違うから。何かおかしいなぁ、わかるかなぁ、と調べてみようと。
 

堕落は一瞬

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月 8日(火)08時07分0秒
編集済
  大白蓮華2015年7月号№788 20頁

建設の歩みを断じて止めるな!

<魏・呉・蜀の滅亡に見る根本原因は
後継の“堕落”>

「全部、堕落なのです。後継や側近が
堕落していったのです。
 建設には希望がある。建設は尊い。
建設は人間をつくっていく。当然、建設
には、並々ならぬ苦難がある。けれども、
そこには偉大なる曙光がある。
 反対に、堕落は魔の働きであり、非常に
安易であるけれども、あとは全部、不幸です。
 建設には長期の時間がかかる。堕落は一瞬
である。人生のあらゆることが同じであると、私は
つくづく思いました。
 皆さん方も、ここまで建設してきた人々です。
しかし、堕落は即、退転です。退転はいっぺん
に今までの建設を打ち破り、安易なるがゆえに、
多くの人を堕落させていく力を持っています。建設は、
なかなか多くの人を引っ張っていけないものです。
 私たちは、広宣流布という建設のために、一生成仏
という建設のために、永遠の幸福という建設のために、
一閻浮提の大仏法を令法久住する建設のために、
子孫末代の繁栄のために、題目を唱えて、唱えて、
唱え切って、世界で最高善の団体である創価学会を
守り切って前進したいと思います」
---------------------------------
最近起こった出来事、引っ越し前の大喧嘩ですが
これも池田先生の”堕落は一瞬”だと思っています。
最近のニュースの芸能人のスキャンダルも”堕落は一瞬”
その三障四魔の攻撃に勝つためには”題目を唱えて、
唱えて、唱え切るしかない”のだと思います。

きのうも近所の牛飼いのおじさんが遊びに来ましたが、
一瞬、”なんでくるのか、あやしいな”と思ってしまいました。
すぐに、あ、いけないと思って、お題目を唱え続けて
おじさんを見るようにしたら、夕方になって果物
ジャックフルーツをもってきてくれました。

お題目を唱え続ければきっとまわりの人が
誰でも将来仏様になる人にみえてくるのでしょう。



 

わが友に贈る 2018年5月8日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月 8日(火)07時13分41秒
  「人を敬う」行動は
最高の「人の振る舞い」。
自他共の仏性を信じ抜く
創価の対話運動こそ
よき社会を築く力だ!
 

蘭夢様

 投稿者:ちょっと立読み  投稿日:2018年 5月 8日(火)05時52分26秒
  蘭夢様の苦悩は、どれだけ考えても私の想像では及ばないほどのもと思います。

正しいと信じていた者からの裏切りほど、生命を傷つけるものはなく、
その苦境から這い上がった蘭夢様のお姿に感動しました。

追いやったヤツらは、先生から学んだ「勇気」を持てなかった臆病者の末路ですね。

職員たちは今尚、この道を辿っているという事を知って頂いきたいものです。

 

雇用契約剥奪

 投稿者:ちょっと立読み  投稿日:2018年 5月 8日(火)05時28分20秒
  SaySaySay様、Q様、ご返信ありがとうございます。

私も「契約書を交わしていない」の言葉で早合点してしまいました。
これは、3人が正式な手続きをおこなった記憶がないという意味なんですね。

やはり、Q様のおっしゃる通り、給与として支払われている時点で雇用関係となりますね。

>聖教新聞等の配達員については、かつては各販売店に雇用されたパート従業員としての地位にあり、労災保険の適用を受けるなど労働者としての権利が保障されていたのだが、なぜか10数年前にその地位が剥奪されてしまったという経緯がある。

なぜ、安い賃金でも「金の問題ではない」と、毎朝必死に配達される方々の保障を切り離してしまったのでしょうか。
やはり、本部からは会員すべてが「かねづる」としか見ておらず、煩わしいものはすべて排除している様に思えます。

この経緯に詳しい方はいらっしゃいましたら教えて下さい。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 5月 8日(火)05時04分9秒
  創価学会本部を訪問…呉中央団長、原田会長と懇談
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=19239
 

蘭夢様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月 8日(火)03時06分30秒
編集済
  信心根本に生活をしていくならば、三類の強敵は、何も日顕宗や、どこぞの失効部だけに顕れるものではないということです。

三類の強敵も、また生命の働きであるということです。

貴方自身のその場で起こる現象ということです。

仏法というものは、生活とかけ離れたものではありません。日々の生活そのものが仏法です。

~~~~~~~

全て読ませて頂き、心から感動しました。

言葉に熱が溢れて、そして生きている!
命を感じる言葉です。

心が動きます!
誠にありがとうございました。


いつも思うことがあります。

難無くして境涯は開かれない。
難が無ければ広宣流布は出来ない。

振り返れば、
悪い日さえも、幸福と奇跡の人生。

我々は、池田先生の信心を貫いている。
だからこそ負けない!


蘭夢様と同じ時を歩めている事に感謝です。
これからも宜しくお願い致します。



~~~~~~~

【広宣流布された世界、その景色を見る時、人は悟るのかも知れない。】

【体験談】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83852

【あとがき】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83918


 

苦言さん、タメ口ですよ~

 投稿者:恒例閲覧者  投稿日:2018年 5月 8日(火)02時41分30秒
  私も資料読んですが、投稿者の意図は明確にしてよ!と言うことなんでしょう。ご承知ならば苦言ばかり並べて法的規制が云々というよりも、ちゃんと講釈されてはいかがですか?

常に柔らかな恫喝投稿でいただけませんね。
あなたのこの件についての意見を述べていただけませんか?
 

任用試験範囲 一生成仏と広宣流布

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月 8日(火)02時09分55秒
編集済
  子路さん、西郷さんのフアンは相当な物ですね。

それは嬉しいのですが、私はこのように考えています。

西郷さんは情の人で、人たらしの達人だったのでしょう。

情の人は、情を掛けすぎて失敗します。

西南戦争の時の、敵は自分が作った陸軍です。
その装備を一番知っていたのも陸軍大将の西郷さんです、大久保なら決して、青年の暴発に乗ること
はなかったでしょう。

大久保利通は非情で、計算高い、SGの東大卒の幹部たちみたいな人ですから・・・。

鹿児島の示現流のチェストで、鍛えた若武者たちの抜刀隊でも、西洋の最新の武器で装備した官軍に
勝てないことは分っていたのではないでしょうか。

本気で政府の陸軍を倒すことは・・・難しいです。
勝つための準備・・・戦略、戦術も考えずに熊本に攻め上るという暴挙に出たのは、自殺行為です。

あの有名な歌、戸田先生が大好きだった「田原坂」・・ここは、熊本に居たときに遠足で行きまし
た。

雨は降る降る 陣羽(じんば)(注)は濡れる
越すに越されぬ 田原坂

右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年

男子部時代でも、歌いました、中学校では英語のもぐら先生が歌っていました。
わが故郷、我が家は、熊本攻めに行く道中で人吉に抜ける道にありました。

私にとって、せごドンは、過去の歴史上の人物ではありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
任用試験範囲

一生成仏と広宣流布

信心の根本的な目的は、私たち自身が仏の境涯を得ることです。
仏法を実践する目的は、個人の一生成仏を実現するとともに、自他共の幸福を確立していくこ
とにあります。

(1)一生成仏

御本尊を信受して純真に自行化他の実践に励むなら、どのような人でも必ず一生のうちに成仏
の境涯を得ることができるのです。
これを一生成仏」といいます。

自行化他の自行とは、自分自身が利益を受けるために修行すること。
「化他」とは、他人に利益を受けさせるために教え導くことです。
具体的には、勤行・唱題に励むとともに、仏法を語り、教え導く弘教の実践です。
(本誌82頁参照)。

日蓮大聖人は「法華経の行者は、如説修行せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。
譬(たと)えば、春夏、田を作るに、早晩あれども、一年の中には必ずこれを納む」
(416頁、通解・・・
法華経の行者は、仏の説いた通りに修行するなら、必ず一生のうちに一人も残らず成仏するこ
とができる。
譬えば、春、夏に田を作るのに、早く実る品種と遅く実る品種の違いがあっても、どちらも
一年のうちには必ず収穫できるようなものである)と述べられています。

成仏とは、現在の自分と全く異なった特別な人間になるとか、死後に次の一生で現実世界を離
れた浄土に生まれるなどということではありません。

御書には成仏の「成」について「成は開く義なり」(753頁)とあります。
成仏とは、自身の内に具わる仏の生命境涯(仏界)を開くことにほかなりません。

「凡夫」すなわち普通の人間である私たちが、その身のままで、自身に仏の生命境涯を開き顕
せるのです。それゆえ、「凡夫成仏」とも、「即身成仏」ともいいます。

成仏とは、他の世界に行くことではなく、あくまでもこの現実世界において、何ものにも崩さ
れない絶対的な幸福境涯を築くことをいうのです。

御書に「桜梅桃李の己巳の当体を改めずして、無作三身と開見す」(784頁通解・・・桜、梅、桃、
がそれぞれの特質を持つように、私たちもそれぞれの特質を改めることなく、そのままの姿で無作
三身の仏であると開き顕れるのである)と仰せです。

〈「無作三身の仏」とは何も飾らないそのままの姿で仏の特質をすべて具えている真実の仏のこと〉
成仏とは、自分自身が本来持っている特質を生かしきって、自身をもっとも充実させていく生
き方をすることです。

すなわち、成仏とは、生命の全体が浄化され、本来持っているはたらきを十分に発揮して、さ
まざまな困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます。

また、成仏とはゴール(終着点)に到達するということではありません。
妙法を受持して、悪を滅し、善を生ずる戦いを続けていく、その境涯が仏の境涯なのです。

間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏なのです。


凡夫成仏・即身成仏

「凡夫」とは、普通の人間のことです。
法華経では、凡夫の身に本来、仏の境涯が具わっていて開き顕すことができると、明かされて
います。普通の人間の身に、偉大な仏の境涯を開いていけるのです。

これを「凡夫即極」とも、「凡夫即仏」ともいいます。

成仏とは、人間に具わる本来の仏の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れ
た特別な存在になることではありません。
凡夫の身に仏という最高の人間性を開き顕すことが大聖人の成仏観です。

このような成仏を「即身成仏」といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現
実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることをいいます。

法華経以外の諸経では、「成仏」が説かれていても、少なくとも二つのことが条件とされてい
ました。

一つは、二乗(声聞・縁覚)・悪人・女人ではないことです。

二乗は、自分たちは偉大な仏には成れないと決め込んで阿羅漢(声聞の教えでの最高の覚りを得
る人)を目指すにとどまり、煩悩を完全になくした境地として心身を滅することを目指します。

このような二乗に対して、大乗の諸経典は、成仏できないと厳しく非難しました。
また衆生が悪人であるなら善人に生まれ変わることが必要であり、女性であるなら男性に生まれ変わ
ることが必要であると考えられていました。

悪人や女性が、その身のままで成仏することはできないとされていたのです。
成仏を説いてはいても、現実に成仏できる条件を満たす人は限定されていたのです。

二つには、何度も何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、凡夫の境涯を脱して仏
の境涯に到達するとされたことです。


凡夫の身のままで一生のうちに成仏

これに対して、法華経では、成仏とは「仏という特別な存在に成る」ことではなく、自身のそ
の身に「仏界の生命境涯を開く」ことであると説いたのです。

大聖人は、あらゆる仏を仏たらしめている根源の法そのものを、南無妙法蓮華経であると明か
されました。
そして、根源の法と一体となった大聖人御自身の御生命を、南無妙法蓮華経の御本尊として
顕されたのです。

私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信受することで、だれもが自らの生命に仏界を開き顕す
ことが可能になりました。

日寛上人は次のように述べています。

「我らこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖
人なり」
(『日寛上人文段集』)
〈日寛上人は江戸時代の学僧で、日蓮大聖人から日興上人に受け継がれた仏法の法理を整理し
宣揚した〉

御本尊を信受し、広宣流布の実践と信心を貫けば、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏
の生命境涯を開き顕すことができるのです。

なお、凡夫の身のままで成仏できることを即身成仏、一生のうちに成仏できることを一生成仏
といいますが、どちらも同じ法理を表現した言葉です。


煩悩即菩提・生死即涅槃

即身成仏の法理を、別な角度から表したのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。
煩悩に覆われ、悪業を積み、苦悩にさいなまれている凡夫であっても、自身の内に仏界が具わ
っているという真実に目覚めれば、仏の覚り(菩提)の智慧を発揮し、苦悩から解放され、自在の境
地を得ることができるのです。

煩悩に覆われた苦悩の身が、そのまま菩提の智慧に輝く自在の身となるのです。
この法理を「煩悩即菩提」といいます。

日蓮大聖人は、自身の内なる仏界とは、南無妙法蓮華経であると示されています。
私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信じて題目を唱え、尊厳なる本当の自分に目覚めれば、
生き抜く智慧がわき、苦難に挑戦し、乗り越える確信と勇気が出て、他の人を思いやる慈悲も
現れてくるのです。

「生死即涅槃」とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていけば、生死によってもたらさ
れる苦しみの境涯にある生命に、仏の覚りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き顕してい
けることを示しています。

「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の法理は、妙法の信心に立脚する時、あらゆる苦悩を自身の成
長と幸福の因に転じていく積極的な生き方が可能になることを教えているのです。


相対的幸福と絶対的幸福

第2代会長・戸田城聖先生は、幸福には「相対的幸福」と「絶対的幸福」があると述べています。

相対的幸福とは、物質的に充足したり、欲望が満ち足りた状態をいいます。
しかし、欲望には際限がないし、たとえ、一時は満ち足りたようでも永続性はありません。
外の条件が整った場合に成立する幸福なので、条件が崩れた場合には、その幸福も消えてしま
います。

これに対して、絶対的幸福とは、どこにいても、また、何があっても、生きていること自体が
幸福である、楽しいという境涯をいいます。
それは外の条件に左右されることのない幸福なので、絶対的幸福というのです。
成仏とは、この絶対的幸福境涯の確立をいいます。

現実世界に住んでいる以上、人生にさまざまな苦難はつきものです。

しかし、山登りに例えていえば、頑健な体の持ち主が、少々重い荷物を背負っても悠々と山道
を登ることができるように、自身の生命に絶対的幸福境涯を確立した人は、さまざまな困難が起こっ
たとしても、その困難をバネとして、強い生命力を湧き出させ、逆境を悠々と乗り越え
ていくことができます。

そして頑健な人は、むしろ、山道が険しければ険しいほど、それを克服していく喜びを味わい
ます。

それと同じように、あらゆる困難を乗り越えていく生命力と智慧を身につけた人にとっては、困難が
渦巻く現実世界そのものが、充実感に満ちゐ価値創造の場となるのです。

また、環境に依存する相対的幸福が「死」によって途絶えるのに対し、絶対的幸福である仏の
境涯は、「自身、法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」
(724頁、通解・・・わが身が、妙法の大地を生死生死とめぐりゆくのである)
と仰せのように、死をも超えて存続していくのです。
 

広宣流布された世界、その景色を見る時、人は悟るのかも知れない。(あとがき)

 投稿者:蘭夢  投稿日:2018年 5月 8日(火)01時25分16秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/83852

何人かの方から投稿に関する。感想等ありましたので・・・

心配してくださった方、ありがとうございます。
内容は10年ほど過去の話ですので、大丈夫ですよ。元気です。

また、誤解を招きそうな内容ですみません。

個人的な体験であり、先生とは関係ありません。また、もちろん、あくまで会社の組織の話です。

ただ、54年と似ていることも事実です。

似ている体験であるが為、僕は、54年について、いまだに語られていない先生の真実があると確信しているのです。

けれども、人間革命に語られることは望みが薄い。

4・24に想う の投稿にある通り

http://6027.teacup.com/situation/bbs/83273

己が言葉で語れということだろうか

師匠は語らず、弟子よ、己が言葉で語れということなのだろうか


ゆえに、僕は僕の言葉で語る。それが今回の投稿です。

この投稿内容には、ひとつ着目して欲しいことがあります。

信心根本に生活をしていくならば、三類の強敵は、何も日顕宗や、どこぞの失効部だけに顕れるものではないということです。

三類の強敵も、また生命の働きであるということです。

貴方自身のその場で起こる現象ということです。

仏法というものは、生活とかけ離れたものではありません。日々の生活そのものが仏法です。

今回の投稿のような体験は、一例です。

僕の場合は、かなり辛い過程がありましたが

今後、このように、悟りようなものを体験することは珍しくなく、当たり前になります。

それが、今、世界中で起こっている現象なのです。

皆、それぞれ物語はちがうでしょうけれど、僕が見た、同じ景色を見ることになるでしょう。

それは、気づくか、気づかないか、それだけのことなのです。
 

執行部批判していても批判者が正しい発言をしているとは限らない

 投稿者:苦言  投稿日:2018年 5月 8日(火)01時10分0秒
  >>教団の組織犯罪の数々は、図書館やWikipediaで簡単に調べることができるため、議論は不要でしょう。

>>さて、オウム真理教はガスを使用して国家転覆を計画していたことは皆さんご存じと思います。
>>オウムと同様に破壊的カルトといわれる創価学会は、宗教国家設立を宣言して『公明党(創価学会党)』を立ち上げ、官公庁や教育現場を支配する必要があると公言して、実際に日本制圧の為の政策を打ち出しました。



余所のブログ記事を、出典元を明示せずに自分の発言や自分の発信記事のごとく掲載する行為は、一般的には著作権侵害の「盗作」となるのですが。

出典元のURL
https://ameblo.jp/worldwordpress/entry-12192463976.html


「ミイラ取りがミイラに…」は、よくある話だけど、原田執行部をカルト呼ばわりしているハンネの方も、原田執行部と「同じ穴」に堕ちていることに気づくべきだ。
 

秘密結社 KKKより 悪党の 原田天魔邪教創価学会カルト

 投稿者: 原田天魔邪教執行部 危険なカルトなんですね~  投稿日:2018年 5月 8日(火)00時34分26秒
編集済
  教団の組織犯罪の数々は、図書館やWikipediaで簡単に調べることができるため、議論は不要でしょう。

さて、オウム真理教はガスを使用して国家転覆を計画していたことは皆さんご存じと思います。
オウムと同様に破壊的カルトといわれる創価学会は、宗教国家設立を宣言して『公明党(創価学会党)』を立ち上げ、官公庁や教育現場を支配する必要があると公言して、実際に日本制圧の為の政策を打ち出しました。
また、考えの合わない団体や個人に対して、上記のとおり思いつく限りの悪行を行い、そのたびに世の中を騒がせてきました。

「世界平和」をうたう、自称・宗教団体「創価学会」は暴力、盗聴犯罪、政治犯で、前科数十犯であるという事実を、世の中へ、どう説明するのでしょうか。
戦争法案でもたびたび話題となりましたが、創価学会の政治分門である「公明党」は、戦争法を推進しているため、発言と行動が間逆であるとして会員らの猛反対に遭ったことは記憶に新しいでしょう。

そこには、宗教のもっとも基本的な教えである、許し、慈悲、愛はもちろん、一般社会で基本とされる対話や調和といったものも存在しません。
何より、30年程前に信仰していた仏教団体から破門・除名された際に、逆恨みから本家である仏教団体を邪悪・邪教であると非難して、お寺を襲撃したという有様ですから。その後、双方ともに合計180件にも上る裁判を起こしています。
教団に存在する、金銭欲、政治支配、自分たちの考えに合わないものを排除するために計画された、肉体的、精神的または公権力を悪用した暴力行為のみが際立ちます。

教団の負の側面はあらゆる面に現れています。 創価学会と同様に多くの会員を持つ、立正佼成会、天理教、幸福の科学、日本神道などとは異なり、教団施設を一般に公開しておらず、慈善事業も少なく、教義も2転3転しています。
総本山(信濃町)には、警備員が常駐し、信者がカメラと無線機を持って周辺を警戒警備していることからも、極めて閉鎖的で秘密結社の性質が強いといえそうです。
インターネットを見ても、教団の不祥事や不都合なことを隠そうと信者が躍起になり、教団を否定する人を罵倒するような記事ばかりです。
以上のことから、宗教と呼ぶのはあまりにも無理があるでしょう。宗教団体として体を成していないのですから。

しかし、初代会長は仏教団体『日蓮正宗』の信徒で、仏教の教えを正しく教える学術的な目的で設立された団体でした。
設立当初とは似ても似つかない団体になった、今現在でも、本当に世界の平和を願い、健全に信仰している信者の方もおられます。

カネと権力に固執して、争いの絶えない団体ですが、健全に信仰している信者の為にも、設立した当初のような健全な宗教団体として生まれ変わることを望みます。池田会長思想の在家団体になるかな

数年後には、創価学会は裏の顔が世に知れることとなり過去の宗教となると同時に、新たな宗教系団体の脅威が取りざたされ、政治団体や各機関との危険な癒着がクローズアップされることとなるでしょう。
 

ツイッターから。師が無いシガナイくん、未来永劫に会長や執行部がおかしいってあり得んの?組織は全能なんですか?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 5月 8日(火)00時17分47秒
  また、シガナイ君の話からいくと、未来永劫どんな時でも、執行部がおかしい会長がおかしいと言うと全て組織撹乱であり破和合僧になっちゃう。これ「会長が上、会員は下」そのもの。先生は「こうなったら邪教」と。だから邪教に貶める奴らは追い出せ!師の指導。  

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