- 出演者
- 渡辺宜嗣
岩本益臣大尉は福岡県岩屋村の出身でマレーなどにも出撃した航空機操縦のエキスパートとだった。鉾田陸軍飛行学校の教官だった頃、和子さんと昭和18年12月20日に結婚。特攻用に改造された「九九式双発軽爆撃機」が持ち込まれ特殊任務に参加することになった。
岩本益臣大尉は跳飛爆撃の一人者で体当たり攻撃に反対だった。しかしフィリピンで作戦任務を遂行するよう命じられ隊長に選ばれた。昭和19年10月の朝、大尉は辞世の句を読み出発。妻の和子さんは家の前で飛行機を見送っている。大尉らは博多で内地最後の夜を過ごすことになり、眠り人形を買って和子さんに送った。フィリピンでの海戦で連合艦隊は多くの艦船を失い壊滅状態になった。
昭和19年10月、岩本編隊はフィリピンのりパ飛行場に到着し「万朶隊」と命名された。岩本隊長は爆弾を独断で投下できるようにし、隊員たちに「なんどでもやりなおしていい。命を大切に使うように」と話したという。これを聞いた佐々木友次伍長は身体が熱くなるのを感じた。
佐々木友次伍長(21)は北海道・当別の出身。子供のころから飛行機に憧れ17歳で仙台の航空機養成所で操縦の腕を磨いた。岩本大尉を心から尊敬していたという。昭和19年11月、岩本大尉以下5人が特攻機でマニラへ向かう途中、戦闘機に襲撃され胴体着陸し炎上。5人全員が非業の死を遂げた。万朶隊に初の出撃命令が下った。現在入院中の佐々木さんのもとへ向かった。
現在入院している佐々木友次元伍長に話を聞いた。可愛がってくれた岩本大尉の仇を撃たなければと強く思っていたという。万朶隊4機が出撃。佐々木伍長は眼下に敵艦を発見し急降下して爆弾を投下し帰還の途についた。伍長は戦死と報じられた。岩本大尉の戦死をラジオで知って悲しんでいた妻の和子さんのもとへ福岡の眠り人形が届いていた。
帰還した佐々木友次さんは参謀本部で思いがけない再開をしたという。昭和21年、佐々木さんは故郷の当別に帰り母親とともに声を上げて泣いたという。70年が経過し「戦地は悲惨で自分が無になってしまう」と振り返っている。
エンディング映像。
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