冷戦で、日本は米国の航空技術に中毒したんです

オリンポス・四戸哲氏インタビュー(その1)

2018年3月2日(金)

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四戸少年“故郷のヒーロー”木村秀政に会う

オリンポスの四戸哲社長

松浦:四戸さんは、大学を出てすぐにオリンポスを創業したわけですよね。

四戸:そうです。1985年創立ですから、もうすぐ創立33年になります。

Y:どちらかの航空関係の企業に就職するということは、考えなかったのでしょうか。

四戸:まったくなかったです(笑)。今日の話題と関連してくる部分かも知れませんが、自分の就職の時点で、すでに「日本の航空機メーカーは相当衰退している」と思ったのが、その理由です。当時はみな業績はよかったんですけどもね。

 私は1961年生まれなんですが、成人するまでに朝鮮戦争があり、米国のベトナム戦争介入が始まり、高度経済成長(1955~73)があり、さらに就職の頃はジャパン・アズ・ナンバーワン真っ盛りで、日本の航空産業も景気が良かったんです。

 ちょっと話が前後しますけれども、私は青森県の三戸郡名川町で生まれて、八戸で育ったんです。名前は四戸なんですけど(笑)。

Y:なるほど。

四戸:で、隣に五戸というところがありまして――三戸、四戸:、五戸に八戸と揃っちゃいますが――その五戸の代官を務めていた木村家という名家がありました。その木村家から木村秀政という、YS-11の計画を主導した設計者が出ました。ですから私の田舎では、木村秀政さんは地元のヒーローだったんです。

Y:YS-11! 四戸さんより3つ下の私も「初めての日本製の旅客機だ」と、子供のころ憧れました。

四戸:3つ下というと東京オリンピックの年生まれですか。私は東京オリンピックをぎりぎり覚えている世代です。オリンピア号と命名されたYS-11が聖火を運ぶのがニュースになったり、三沢や花巻の空港にYS-11が飛んできますし、「航空日本にの夜明けが再び来たぞ」みたいな雰囲気になったんです。そんな環境でしたから、子供の自分にとって木村秀政という人はまさに神様でした。

 そして、高校2年になったときですか、木村秀政講演会が地元であったんです。そのときに初めて木村先生にお会いしました。

 もう私、小学校のときからYS-11が刷り込まれているわけですよ。YS-11は、日本航空機製造という国策遂行のための特殊法人で作っていました。その日本航空機製造が発行した図面を伝手をたどって入手して、全部頭にたたき込んで、模型化するために自分で図面を引き直して、とかやってました。完全にYSの中毒です。

Y:凄い、どうやって入手できたんでしょう。マニアですね(笑)。

四戸:そうですね。それでエンジニアになろうと決意していたんです。

松浦:当時はアポロ計画全盛期でしたが、宇宙には興味はなかったのですか。

四戸:興味はありましたね。チャック・イェーガーとか、あるいはフォン・ブラウンとか、あのあたりというのは理系少年には神様みたいな感じです。でも、じゃあ自分が何になるのかと考えると、宇宙はちょっと実感として遠かったんです。自分の眼で飛んでいるところを見ることもありませんしね。宇宙技術に対してはものすごく憧れたんですが、やっぱり距離があるといいますか。まして身近に木村秀政というビッグネームがいましたので。

 そのままずっと飛行機一筋で、高校2年生のときに木村先生に会って、自分の引いた図面を見せて、「どうしても飛行機を勉強したい」と訴えたら、じゃあ、うちに来ればいいよと言われました。

 木村先生はもともと東京大学にいたものですから、最初は東大を志望していたんですけれど、当時の先生は日本大学で教えていました。ですから、日大の航空学科を第1志望にして、東大の航空学科を第2志望にしました。

Y:普通は逆です。

四戸:それで日大の木村先生のもとに行って。その後はもう本当にかじりつくように勉強しました。日大には、ちょっと前に「風立ちぬ」というアニメ映画で有名になりましたが、零戦を設計した堀越二郎さんや、一式陸上攻撃機を設計した本庄季郎さんも先生でおられました。堀越さんはわりと早く亡くなられましたので、お見かけしたことがある程度だったんですけれど、本庄先生は直接横須賀のご自宅に伺って教えを受けました。本庄先生と木村先生が私の大恩人なんです。

 今回のインタビューは業界の著名人の名前と、専門用語が乱舞するものとなった。日経ビジネスオンライン読者の理解を助けるために、可能な限り注釈を入れることにする。

YS-11:第二次世界大戦後、日本が初めて開発した60座席級旅客機。1962年初飛行。1964年の東京オリンピックでは試作2号機が聖火を輸送して話題になった。1973年までに182機を生産し、一部は輸出もしたが、ビジネス的には失敗。その後日本は、次の旅客機を開発することなく21世紀を迎えた。MRJは、第二次世界大戦後、日本が開発する2機種目の旅客機なのである。

YS-11(画像:相場二郎)

コメント9件コメント/レビュー

次回以降が楽しみですが、MRJ開発、JAXAのロケット開発などのビッグプロジェクトに対する日本的な問題点がありそうな気がします。MRJはMHIと言う日本では最大級の企業集団。JAXAは国家的な最大級のプロジェクト集団で、MHI、KHI、IHI他名だたる企業が参画している。ビッグプロジェクトマネジメントは、製造スケジュールのみならず、根本的工学的アプローチ部分から、製造技術とノウハウそれに法的規制や品質管理と全ての項目を、ほぼ同時に進展、完成させる必要がありますが、こう言うプロジェクト管理が、日本人は苦手なような気がします。当然、人とものを集約して組織的に、且つスケジュールをコントロールするのでしょうが、全体を大きなシステムとした時に、上手く制御出来ていないように思うし、時間がかかり過ぎていると思います。中国の企業集団や韓国の財閥大手のほうが意思決定から製品化とマーケティングは素晴らしいスピード感があります。今更ですが学ぶ必要があるし、そこらの課題は、お役所的なシステムでは解決出来ないと思います。だからこそ、八戸さんたちのように、小さくても大きな歯車を回す意思と行動力のある人財がこれから必要だし、それを大胆に受け容れ、投資する人々も必要ではないでしょうか?日本を人から変えていかないと、成功体験だけに頼る時代はもう終わっていますよね。(2018/03/02 12:47)

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「冷戦で、日本は米国の航空技術に中毒したんです」の著者

松浦 晋也

松浦 晋也(まつうら・しんや)

ノンフィクション作家

科学技術ジャーナリスト。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

次回以降が楽しみですが、MRJ開発、JAXAのロケット開発などのビッグプロジェクトに対する日本的な問題点がありそうな気がします。MRJはMHIと言う日本では最大級の企業集団。JAXAは国家的な最大級のプロジェクト集団で、MHI、KHI、IHI他名だたる企業が参画している。ビッグプロジェクトマネジメントは、製造スケジュールのみならず、根本的工学的アプローチ部分から、製造技術とノウハウそれに法的規制や品質管理と全ての項目を、ほぼ同時に進展、完成させる必要がありますが、こう言うプロジェクト管理が、日本人は苦手なような気がします。当然、人とものを集約して組織的に、且つスケジュールをコントロールするのでしょうが、全体を大きなシステムとした時に、上手く制御出来ていないように思うし、時間がかかり過ぎていると思います。中国の企業集団や韓国の財閥大手のほうが意思決定から製品化とマーケティングは素晴らしいスピード感があります。今更ですが学ぶ必要があるし、そこらの課題は、お役所的なシステムでは解決出来ないと思います。だからこそ、八戸さんたちのように、小さくても大きな歯車を回す意思と行動力のある人財がこれから必要だし、それを大胆に受け容れ、投資する人々も必要ではないでしょうか?日本を人から変えていかないと、成功体験だけに頼る時代はもう終わっていますよね。(2018/03/02 12:47)

>独自に自分の意志で航空機を開発しようというマインドが起きなくなってしまったんです。
現場はすごくそのとおりと思います。
 ・結局、細部は下請けに丸投げ。
 ・自分たちは情報は出さないが、情報は欲しいとやたら要求する。
 ・問題が発生した際なにか魔法のような解決手段があると信じてそれを要求する。
ホンダの開発者と正反対のスタンスで仕事をしてます。(2018/03/02 12:16)

松浦さんとYさんコンビで面白くない筈がない。
初回から興味深く読ませて頂きました。
ずっと前からMRJというか日本の航空産業の躓きが始まっていた、
という視点は新鮮でした。次回も楽しみです。(2018/03/02 10:46)

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