カルチャー
「私はいつだって素敵に見えなければいけないの」|日本一詳しいメドベージェワ物語
Text by Ryo Kosaka
小坂諒 ジャーナリスト。国際情勢、外交、政治、スポーツに詳しい。五輪、パラリンピック、サッカーW杯、フィギュアスケートの国際大会も取材経験あり
Photo: Maddie Meyer / Getty Images
夢の舞台に立つために、世界選手権2連覇中のメドベージェワは、モスクワのリンクで、そしてローザンヌのIOC理事会でも闘っていた。さまざまな重圧を背負ってきた銀盤の女王に、五輪の女神は微笑むのか──。感動の物語第2弾!
練習でもアイラインを欠かさない理由
フィギュアスケート王国のロシアが生み出した女王、エフゲニア・メドベージェワ(18)には、数年前から毎朝おこなう「儀式」がある。
眠りから覚め、身支度をして、まず向かう先は鏡の前。音楽をかけ、コーヒーを飲みながら、20分かけて、お化粧をする。口紅を塗り、アイラインを引き、髪を結う。そうして、練習や試合に臨む自分の本気モードにスイッチを入れる。
ファッションや音楽、アニメが大好きな18歳の普通の少女から、プロフェッショナルのフィギュアスケーターに変わる瞬間。この競技を全身全霊で打ち込む自分の仕事だと感じているメドベージェワは「戦闘的カラーの新しい顔」に塗り替えて、リンクに向かう。
メドベージェワが化粧をするようになったのも、師事するエテリ・トゥトベリーゼ(43)の影響だ。メドベージェワはどんな練習の時でも、容姿を整えている。お気に入りのマニキュアが見えるように指のない手袋をはめている。
ちゃんとした理由がある。なぜ? と聞かれ、こんなことを言った。
「私は常に素敵に見えなければなりません。化粧をするのは、自分の容貌にコンプレックスがあるからではありません。そうしなければならない。子供の時に、コーチからこのことを教わりました」
フィギュアスケートは美を競い合うスポーツ。化粧をすることは戦場に立つ兵士が武装するようなもので、人の前で演技を見せるための礼儀でもあった。
メイクをするのはフィギュア選手としての「礼儀」
Photo: Joosep Martinson – ISU/ISU / Getty Images
「私が舞台に立つとき、何百万もの目が私に注がれているのを知っています。でも決して動転したりはしません。競技会の前や、演技をしている最中は、自分の中に入り込んでしまっていて、誰かが話しかけても気づかないほどです」
モスクワのエリートアスリート養成学校「サンボ70」のコーチ、トゥトベリーゼはフィギュアスケートには女性としての美しさが大事だ、と生徒たちに教えてきた。10代後半ともなれば、自発的に化粧をするスケーターも増えるだろうが、それは試合や特別な日だけで、普段の練習でしっかりメイクをするアスリートはまだ少ないだろう。
しかし、トゥトベリーゼ一門のフィギュアスケーターは10代前半でさえ、ちゃんとメイクアップしている。今回、メドベージェワと同様に平昌五輪へ出場している15歳の新星、アリーナ・ザギトワも報道陣の前であどけない素顔を見せることはめったにない。
選手たちの化粧について、トゥトベリーゼは、これはコーチとしておこなう「躾け」であり、アスリートが厳しい練習に耐えることの誓いなのだ、と語ったことがある。
「女性が、自分の容貌や美に気を配っている時は、背筋も伸び、歩き方でさえ違ってくる。フィギュアスケートの選手も一緒。少女たちがリンクで、自分を美しいと感じれば、トレーニングにも精が出るのです」
「ロシアのアスリートは潔白です」
2017年12月、右足の甲を骨折し、3連覇がかかっていたグランプリ(GP)ファイナルへの出場を断念したメドベージェワは、モスクワで懸命のリハビリを続けていた。
しかし、彼女には自分の夢であるオリンピックへの出場を成し遂げるために、自らに課された使命を果たそうと考えていた。
2014年ソチ五輪後に発覚したロシアの組織的なドーピング問題は世界中のアスリートから非難を受け、IOC(国際オリンピック委員会)がロシアへ制裁措置を下そうと協議を進めていた。
故意に薬物汚染に手を染めた選手、コーチの資格停止はもちろんのこと、国ぐるみの不正を認めようとしないプーチン政権への罰として、来たる平昌五輪からの全選手を締め出す選択肢も議題に上がっていた。
12月5日は、スイス・ローザンヌでIOC理事会が開催され、ロシアの五輪出場の可否について最終決断を下す日だった。メドベージェワは自らの意志で、ロシアのすべてのアスリートを代表し、IOC委員の前で、素直な気持ちを訴える演説をおこなうことを決断したのだ。
右足にギプスをはめたまま、怪我をおして、ローザンヌへ空路、向かった。
理事会の日の朝、やはりメイクをして、髪を結い、黒いニットに白いジャケットを着て、IOC委員の前へ立った。その姿は、18歳の少女ではなく、凜とした1人の大人の女性だった。
「親愛なるIOC委員会のみなさま。ロシアのアスリートを代表して、演説をお許しいただき、感謝を申し上げます」
目の前に座るIOCのバッハ会長に、メドベージェワの言葉が届いた。
「私はつい最近になるまで、ロシアのスポーツ界についてのネガティブなニュースにはいっさい触れないようにしてきました。ロシアのアスリートは潔白であり、そのことについて心配することはない、もし、本当に誰かがアンチドーピングのルールを犯したとしても、私たちには関係がない、と考えてきました」
「ソチ五輪がおこなわれた2014年、私はまだ14歳でした。ロシア代表チームにも入っていませんでした。私にとって、平昌五輪はオリンピックという素晴らしい雰囲気を経験する最初の機会です。なぜ、そのチャンスが失われなければならないのか理解できません」