<哲学>について語るスレ
- 301 : ななしのよっしん :2017/02/14(火) 01:59:45 ID: odx1YPIuiX
- ここは哲学者の記事が少ないよなあ。自分で書きたいぐらいだが一人ひとり著作と思想を網羅していくとなるとかなり骨が折れそう
- 302 : ななしのよっしん :2017/02/20(月) 07:54:36 ID: Tz0js4HmgT
- 他の分野の学者よりは相対的に充実してるんじゃない?>哲学者の記事
- 303 : ななしのよっしん :2017/03/23(木) 01:01:10 ID: Ej5PbwKbru
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問題を解決するのが工学
問題を説明するのが理学
問題をそのままにするのが哲学
と個人的にはいいたい。 - 304 : ななしのよっしん :2017/04/02(日) 07:34:17 ID: nvHLYLEhFV
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問題をあぶり出すのが哲学:人はどうして鳥のように空を飛べないのか?
問題の解法を探るのが理学:鳥は空気を翼で押して揚力で飛んでいる
問題を解決するのが工学:人を飛ばせる揚力を生む装置作った
問題の種類にも色々あるけど解決担当の工学以外(哲学、理学)は定位置だな。 - 305 : ななしのよっしん :2017/04/09(日) 21:06:12 ID: SzbdzwRKs4
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>>296 >>298
理工学のフィールドが伸びて哲学を吸収中であることと
哲学のフィールドそのものが伸びることは違う - 306 : ななしのよっしん :2017/05/22(月) 16:06:50 ID: 0yFWEZAgY8
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哲学って「学問」じゃないよな
なぜ?って最初につければ疑問を持てるんだから大した労力じゃないし、問題をあぶりだすのにわざわざ「哲学」とやらを学ばなきゃいけないわけでもないんだから(人はどうして飛べないのか?の疑問を持つのに哲学は必要ないが、解法には理学、解決には工学が必要)。
で、現実に「哲学やってます」って人がすることと言えば偉い人の引用といった「哲学史」の勉強。
上で言ってた「言葉がどのように文脈によって定義されるのか」の理論だって、客観性や理論を組み立てて「言葉」について試行してるならそれは「哲学」より「言語学」って言ったほうがいいんじゃねーの?(形而上学は結構言葉遊びで終わってる感があるけど)
まぁ「疑問を持つ」思考が学問の始まりだというのにそれほど異論はないとは思うけど、実際の現場じゃ言葉遊びで終わって客観性も再現性もないことを言う人が「哲学はすべての学問の起源ニダ」とか言っても何言ってんだコイツって評価になるのは仕方ない - 307 : ななしのよっしん :2017/05/31(水) 06:30:53 ID: snr/ZNnQdz
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学問ではあるだろ
「科学じゃない」ならわかるが - 308 : ななしのよっしん :2017/05/31(水) 18:58:29 ID: Tz0js4HmgT
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>>306
彼らがやってるのってphilosophyじゃなくphilosophismなんだよね。
- 309 : ななしのよっしん :2017/05/31(水) 22:04:02 ID: UMuCDUcAh4
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>>304
問題を提起するのが哲学だという話は、文系と理系の役割分担の話でもよく聞くが、問題提起ってそもそも哲学(や文系)だけがやってることか? 理系もやってると思うが
17~8世紀のニュートン的な、宗教と理系が一体的だった時代とは違う。最近の研究では、まずresearch gap(研究余地)を示して、gapを埋める新しい研究を示す方式(IMRAD方式)が主流にある。つまり、理系もまず「問題をあぶり出す」ことはやってるわけで
もっと細かく書くと、今の研究方式はIntroduction(導入・問題提起)→Methods(方法・順序)→Reults(結果・成果)→And Discussion(議論・考察)となっている。でも「問題をあぶり出すのが哲学」なら、哲学は研究の序盤だけやって終わってるじゃん。MRADまで論じてない。
>>306
一つだけ各論反対。>>307がだいたいあってると思う。
「学芸」という言葉があって、これは「学問と芸術。また、学問。」で、つまり学問(や人文科学)と芸術に必ずしも違いはない。だから、哲学は厳密な「科学」じゃない、と言う方が正確ではないかと - 310 : ななしのよっしん :2017/06/01(木) 12:28:30 ID: hglmCEExmD
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哲学は科学じゃないと言うか
学問から科学(自然科学と経験科学)と数学をマイナスしたものを哲学と呼んでいる、みたいな感じ
数学が科学では無いのと同じように哲学も科学では無い - 311 : ななしのよっしん :2017/06/04(日) 23:49:58 ID: +e6orM7QkT
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>>298
ITの領域が拡大し続け活躍が広まる現状で、哲学やその他の学問がITによって副次的に利用されているのは、「哲学が活躍」しているわけじゃないのでは? ってことだよ
>>296で「インターネットの誕生によりビッグデータ化・抽象的な思考の重要性が高まるほど、哲学が活躍できるフィールドがどんどん広がっている 」と言ってるけど、これも違和感ある
たとえば人工知能の開発(とりわけディープラーニング)で人工知能の学習材料となってきたのは、確かにビッグデータだけど、Google、Youtube、Amazon、Facebookとかに蓄積されたビッグデータだったでしょhttp://prt.nu/1x /d
その根幹に利用されている理論も、「情報工学(的な思考)」だし。「抽象的な思考」じゃなく。
>AIの未来は「データ」にある
>ニューラルネットワークを動作させるアルゴリズムそのものは、さほど新しいものではなく、1980年代から存在している。では何が新しいかというと、インターネットによって処理能力が飛躍的に発展し、膨大なデータの保有が可能になったということだ。猫を認識させるためのシステムをAIエンジンに学習させるには、大量のマシンと猫画像が必要なのだ。
>大量のデータを蓄積しているのは、依然としてグーグルやフェイスブックといった巨大企業である。数十億人が彼らのサーヴィスを利用し、テキスト、画像、動画、音声といった膨大な情報のやりとりを行なっている。2社に共通するのは、非常に熱心にAIソフトウェアの開発を進めているということだ。
だが、彼らの真の競争力はその膨大で高品質なデータ保有という面で発揮される。それを使用して、ソフトウェアをより「人間らしく思考する」デヴァイスへと発展させるということだ。
http://prt.nu/1y /d - 312 : ななしのよっしん :2017/06/05(月) 00:02:22 ID: +e6orM7QkT
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というかビッグデータはつまりテクスト・画像・音声・動画とかの非構造化データのことで、かつてそういうデータは機械にとって扱いにくかった。ところが、新型の「人工知能D」は、膨大な無数の非構造化データをまるごと機械的・数量的に処理しつつ、人間よりも遥かに高速で正確に分析できるように自動進化している
その進化速度も情報工学者が一層加速させている
というのが人工知能Dやディープラーニングの肝なわけでしょ
哲学のほとんどは抽象的で、情報工学的ではない。テクストの中の一部、画像・音声・動画とかのごく一部しか扱わない。天文学的な量の非構造化データを、瞬間的かつ超人的な精度で分析することもしてない(出来てない)。
この状況って、「哲学が活躍できるフィールドがどんどん」狭まっているんじゃないの? - 313 : ななしのよっしん :2017/06/05(月) 02:02:37 ID: DRglkmjjug
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実証や経験からデータを蓄積し真理に到達するという思考形態を産み出したのは哲学だろう
それと同じように思考形態自体や方法論自体を問い直すことが哲学以外に、あるいは哲学に類するものを完全に排除して行うことは不可能だろう
この問題はどう解決するか、それは解決するべきだろうか、問題は果たして問題か、それを問いなおすにはどういう方法が適切か、その方法は適切かと問うその作業が哲学以外に可能だろうか、哲学と呼ばずになにと呼ぶか
AIでいえば分析の分析と呼べる由縁はどこにあるのか、何をさせるのか、たとえば囲碁をする理由はあるかとかね - 314 : ななしのよっしん :2017/06/09(金) 14:07:41 ID: UMuCDUcAh4
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それはIMRADのどこまでを扱ってることになるのか
>>304の考え方だと最初の"I"までしか扱ってないが - 315 : ななしのよっしん :2017/06/11(日) 18:18:36 ID: DRglkmjjug
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IMRADって要は思考のフレームワークだろ
ならそれを作るのが哲学の仕事でもあるし
なんならIMRADの形式を使って哲学的な省察をすることも可能
Iの問題についてIMRAD全てを使って思考しているのだから哲学の分野においてのMRADも扱っていることになる
もちろんそれを解体するのも哲学の仕事
自然科学単体は果たして問題が問題であるかを扱えないし、人間が、あるいは、人間にとってどう価値を与えるかを議論することもできない「だろうから」、科学哲学って形式をとる
ただまぁ自然科学的な結論が人間活動をすべて規定するなんて古い哲学もない事はないけど - 316 : ななしのよっしん :2017/06/11(日) 20:35:27 ID: Tz0js4HmgT
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人と泥の境目って何だろうって考えてきたんだけど、やっぱクリナメンに従うかどうかにあるんじゃない?結局クリナメンに従うしか出来ないっていうのは泥なんじゃないかっていうね。
だから各人が泥であるかどうかを決めるのは結局各自の言動にしかなくて、不実は人を泥にする、これが歴史の答えであり「メカニクス」として働いているものなんじゃないかと。
そういう意味では「人間の条件」って「不実に対する回避運動」という一点に懸かってるんじゃないかとね。振り返ってもそれだけが問われているように思えてならない。 - 317 : ななしのよっしん :2017/06/12(月) 10:18:18 ID: +e6orM7QkT
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>>313
哲学が完全排除されることはないにせよ、IT社会で哲学が実際に排除されているのは確かだと思うんだけど
哲学を産み出したのは神話・宗教だろう
同様に、神話・宗教を完全に排除することは出来ない(が、完全にではなくとも排除することは出来るし、排除されている)
起源を考えるのは起源自体と、副次的に起源からの派生を考えるのに重要だけど、派生自体を考えるにはあまり関係なくない? 例えばAmericaを産み出したのはAmerigoだけど、後者を見て分かるのは前者の起源であって、前者の現状ではないよね
それと、思考形態や方法論自体を問い直すのは、今は精神医学や脳科学、言語学や行動工学じゃない。「分析の分析と呼べる由縁」のような、非物質的な対象も、そういった学問の研究対象だよね。
「囲碁をする理由」は、もっと単純でしょう。「チェス、将棋などトッププロを撃破するAIが登場しても、囲碁だけは打ち手が複雑なため人間を超えられないだろう、というのが長い間の定説だった」かららしい。
http://prt.nu/dg /a
囲碁をする理由をもっと突き詰めるなら、情報工学に加えて社会心理学やゲーム理論の範疇になるのでは - 318 : ななしのよっしん :2017/06/12(月) 10:25:47 ID: +e6orM7QkT
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>>315
IMRADという思考形式の作成は、主に理系・自然科学の仕事なのでは
http://prt.nu/dh /a
>理科系の英語の論文では、IMRAD、すなわちIntroduction(導入:目的と先行研究)、Material & Method(資料と方法)、Result(結果と分析) and Discussion(考察)という4部構成が勧められることが多い
http://prt.nu/di /a
>学術論文とはどのようなメディアであるかという問題意識から,その構成要素や構造を把握しようとする試みが行われている。
医学分野では,SollaciとPereiraが,1935年から1985年までにBritish Medical Journal,JAMA, Lancet,New England Journal of Medicineに掲載された1,297件の原著論文を対象とした調査を行った。
その結果,1985年には医学分野ではIMRAD形式を採る論文が100%になっており,1955年から75年の20年間で,それまでの4倍にまでIMRAD形式が普及したことを明らかにした。
物理学分野では,Bazermanは,1893年から1980年までにPhysical Reviewに掲載された学術論文の,様々な特徴について調査している。その中で,Physical Review掲載論文では,1950年以降,論文が見出しによって構造化されていき,
時代が新しくなるにつれ,見出しとして論文固有の名前を用いるのではなく,「Experiment」のようなより抽象化された見出しを持つようになっていったことを指摘している。
そりゃ学問の起源まで辿れば、IMRADは「哲学の仕事」と言えなくもないだろうけど
哲学の起源をも追求すれば、結局は「神話・宗教の仕事」ということになる
だから起源追求で分かるのは「何か」の起源であって、「何か」自体を問い直すことにはならないのでは - 319 : ななしのよっしん :2017/06/20(火) 00:37:20 ID: Ej5PbwKbru
- 長い。三行で。
- 320 : ななしのよっしん :2017/06/20(火) 04:02:32 ID: DRglkmjjug
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カリフォルニアンイデオロギーは
Alt rightの
産みの親 - 321 : ななしのよっしん :2017/06/20(火) 11:07:39 ID: RLEdK5JcDh
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哲学ってHUMANITY、HUMANITASであるから、人間がいなくならない限りは、存在し続けるのでは。
>>317のいうIT社会というのが曖昧だが、その中で生きてるのは人間でしょ。
>>312
哲学が活躍ってのが曖昧。多分その後の言い方からして、科学技術の進展のことを言いたいんだろうけど、哲学は世界を問う事をする作法みたいなもので、科学技術も問う対象の一つ。だからethicがつきまとう。
ただ時代の中で、科学技術/自然科学を推進したり、宗教的になったりなど、揺れはあると思う。もし科学技術の幅が増えてるというなら、それについて考えることも増えるだろう。実際増えてるとは思うが。 - 322 : ななしのよっしん :2017/06/26(月) 00:17:08 ID: +e6orM7QkT
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>>319
起源を問い直して分かるのは起源、現状は分からない
思考や方法論を問い直すことは哲学の専売特許じゃなく、各分野ごとに各学問がやってる
メジャーな研究手法であるIMRAD(≒思考のフレームワーク)は哲学の産物じゃなく、理数系学問の産物
>>321
確かに哲学(philosophy)を含め、人文学(humanities)が完全消滅することは無いと思う。でも、「哲学が活躍できるフィールドがどんどん広がっている 」(>>296)わけではないでしょう、と。むしろ狭まっているのでは?(>>312>>317) って言いたかった。
IT社会は情報化社会の意味で使ってた(「コンピューターによる迅速な情報処理と,多様な通信メディアによる広範な情報伝達によって,大量の情報が不断に生産,蓄積,伝播されている社会」)。
>その中で生きてるのは人間でしょ。
人間が生きてるのはIT社会でしょ。とも言える。人間に着目してもITは消えないし。
加えて言えば、IT社会は人間性(humanity)や人間社会より広い、とも言える。例えばITによって表示されるこの画面に、人間そのものは生きていない。でも、IT社会の一部ではある。
それに「人間」と言っても、時代や環境で異なる。原始時代でも、その中で生きてるのは人間。でも社会生物学的に見て、それは今とは全然違う「人間」じゃないの。
「哲学が活躍」は>>296のレスから。この人は”インターネットの誕生によりビッグデータ化・抽象的な思考の重要性が高まるほど、哲学が活躍できるフィールドがどんどん広がっている”と言った。それはインターネットやビッグデータ等のITから見て、むしろ逆だろと俺は思ってレスした(>>311とか)
宗教も含めて時代の価値観がこれからどうなるかを考えるのは、難しそう。一般的というか事典的には、1.近代化(工業化・合理化)が拡大する 2.近代化が続く中で反近代性(呪術化・神秘化)が拡大する と大別されているらしいが
https://kotobank .jp/word /%E5%AE% 97%E6%95 %99-7683 8#%E5%AE %97%E6%9 5%99%E3% 81%AE%E6 %9C%AA%E 6%9D%A5% E5%83%8F - 323 : ななしのよっしん :2017/06/27(火) 13:52:13 ID: RLEdK5JcDh
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>>322
問題の建て方によるんだろうけど、科学技術一般の進展を近代化というならば、哲学者はそれを長らく支持してきた。なぜならばそれが脱魔術化、民主化にひいては自由主義に資すると思ってたから。
ただ人間社会が主で科学技術が従のうち、少なくとも主観的には科学技術を使いこなせていると思えているうちは、科学技術の進展と人間社会は調和的だと思えてたけど、科学技術がブラックボックス化・専門化していくようになると、そういう調和を信じられなくなってきた。
けれども現状を見ると科学技術を排除する事は不可能だし、中止するのもあり得なくなっている。だからそれを問題に思う人が出てきているんじゃないかな。IT社会に人間が存在しないというのはまさにその通りで、だから問題視する人もいる。あくまでも主観的問題だとは思うけどね。
とはいえ、こういう科学技術を問題視する傾向自体は無くならないとは思う。結局それに影響されるのは人間だから。普遍的テーマだしね、中には科学技術による人間の絶滅とか人間性の欠如とか若干非科学的な論もあるけど。 - 324 : ななしのよっしん :2017/06/27(火) 16:39:24 ID: UMuCDUcAh4
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>>316
ポストモダンや脱構築の批評以降に、どうやって「不実」を成立させる? 「人」「泥」「境目」「考え」「従う」「各自」「言動」「条件」「回避」「問」等にも言えることだが
たとえ「人」や「真理」が掲げられても、受け手同士が対立し、「真理の名におけるテロル」さえ起こす。かといって「泥」や「不実」が掲げられても、受け手は何も構築できない。何かを構築しても脱構築される。根本的な「人とは何か」「人は何をすべきか」といった「問」も脱構築される。
言葉は真理でも不実でもなく、表現でしかない。人文系の言葉に比べて理数系のそれは物体を活用しやすいし、非物体(サイバー空間や精神)をもますます活用できるようになってきている。しかし理数系も理数的真理度の一層高い版へとバージョンアップされ続ける。言わば脱構築され続けるので、結局は表現だろう。
言語学者には異論あるかもしれんが - 325 : ななしのよっしん :2017/06/28(水) 17:17:57 ID: RLEdK5JcDh
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>>324
そういう静的なものから動的なもの、客観的なものから間主観的なものに注目しようってしてきたのが、ここ一世紀の哲学史じゃないの。
勿論「合意」とか「心」に則るっていうのが何を指すか、 クワインの自然化された認識論でも指し示す事は出来ないかもしれないけど。 - 326 : ななしのよっしん :2017/11/03(金) 17:48:14 ID: WUfobzwOTY
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科学技術一般の進展は、哲学に刺激を与えても役割を減らしはしない
むしろ哲学の役割を減らすのは生物学や認知科学の発展だと思う
(かわりに新たな役割を哲学自身が見つけるかもだが)
あと、人工知能も確かに認知科学の一部門ともいえるけど、
認知科学がやってる仕事はもっと範囲が広いし深い
認知科学を知りたければ『教養としての認知科学』をすすめる(高いので図書館で借りるべきかも)
「表象」の実在性についてとか言語的隠蔽とか、哲学的にも意義深い話がたくさんある - 327 : ななしのよっしん :2017/12/24(日) 17:39:26 ID: Tz0js4HmgT
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>>159
調べてて判ったがソクラテスの思想はペリクレスへの当て擦りとパロディに終始してたんだわ。両者の発言とされるものから大体伺えた
エイロネイアや産婆術とかいうのもペリクレス戦略の哲学思想への転写だった可能性が高い - 328 : ななしのよっしん :2017/12/24(日) 19:14:43 ID: Tz0js4HmgT
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>こうした難点がありながらも、近代化の果てに行き詰まった感のある西洋文明にとって何かヒントはないか、と関心を持って研究を進める欧米の学者は存在する。
「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」というホワイトヘッドの言葉があるが、何が「行き詰まり」かと言えばこの分野自体が「当て擦り」「からかい」の産物である事の自己省察を著しく欠いていたという事に尽きるだろう。
それは正にフィロソフィアなる言葉をこの分野に充てた当の本人等がしていない事でもあるのだから
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