ピリカ全国実の闘いと反天皇制闘争
東浦 朝子(ピリカ全国実・関西)
昨年末、天皇アキヒトの入院をきっかけに、野田民主党政権は将来的な皇族減少への懸念からとして、女性宮家創設の検討を始めることを決めた。皇族減少というよりも皇太子ナルヒトの次の代の皇位継承者が1人しかいない中での、血統主義の天皇制を守るためのもので、大日本帝国時代の「万世一系」の思想が引き継がれている。この「万世一系」の天皇制こそ、あらゆる差別と侵略の根源となってきたかを、そして、この天皇制を許している限り、平和だとか象徴だとかでごまかされているだけで、根本的に何一つ変わることなく、また、変えていないことを、私はピリカ全国実の闘いとアイヌ民族との交流で教えられた。
16年前は、北大での6体の頭骨放置を許さなかったアイヌ民族の怒りを、私はボヤッとしか受け止めることができなかったように思う。しかし、ピリカ全国実の闘いの中で、日本がいちばん始めに侵略したのがアイヌモシリで、北海道の「開拓」はアイヌ民族の生活圏を奪った上のジェノサイドと皇民化政策であったことなど、学校教育でまったく教えられてこなかった歴史の真実を具体的に知り、学校教育のウソを学んだ。アイヌ民族交流会で平田幸さんは、自らの差別体験からアイヌ民族がさらし者にされかねない現在の教科書記述に、「私は反対です」と話していた。川村シンリツ エオリパック アイヌさんは、天皇と日本政府に対して謝罪を要求している。はっきりと当然だと思う。
ピリカ関西の学習会では、戦前・戦後を通してアイヌ民族の墓を暴き頭骨を略奪してきたアイヌ学者たちの人種研究や「日本人の起源」の研究は、いかに差別的にねつ造され、「万世一系」の天皇制支配を支え、アイヌモシリやアジア侵略にどれほど加担してきたかを学んだ。帝国大学の学問や研究は支配・権力者のためのものであったかを実感させられた。侵略する地の人間は日本人より劣っていること、日本は天皇で始まり天皇の国でなければならないという結論が先にある学問研究だったのである。アイヌ民族が進んだ文化を持っていて、日本の先住民族であってはならなかったのだ。
私たちヤマトの日本人が、この間違った歴史を痛切にとらえ返し、アイヌ民族との連帯の中で真実を取り戻し、反差別、反侵略、反天皇制を共に闘うことが、問われている。
「北大開示文書」を読んで �
海馬沢博さん(アイヌ民族)の北大追及を継承しよう(その1)
白川ただし(北大人骨問題の真相を究明する会事務局長)
アイヌ民族の小川隆吉さんは2008年、医学部をはじめ大学が略奪し、研究材料にしてきたアイヌ民族の遺骨や副葬品などの実態を解明するために、情報公開法を使って関連文書、資料の全面開示を北大に求めた。しかし北大当局はその求めに真摯に応じず、責任が問われるような肝心な諸文書は隠匿し続け、わずか35点の文書だけを開示した。小川さんを支援してきた人たちは「北大開示文書研究会」をたちあげ、引き続き北大に資料の公開や取り寄せた諸文書についての質問、話し合いなどを北大総長(佐伯 浩)に求めてきた。しかし回答もせず、北大は沈黙することをもってアイヌ民族の請求を拒否している。この態度は私たち「北大人骨問題の真相を究明する会」からの度重なる話し合い要求を門前払いしている北大総長、文学部長と同じ姿勢である。
「北大開示文書研究会」はブログを開設し、苦労して手に入れた北大文書(35点)の内20数点を公開し、またこれまでの活動を報告している。
【http://hmjk.world.coocan.jp/index.html】
この公開された北大文書からも、アイヌ民族の遺骨の収集は国家権力の庇護のもとでおこなわれていたこと、研究内容の差別性などが読み取れる。公開された北大文書を分析批判することによって、北大の「学問」なるものの批判と人骨事件の真相の究明に接近していこうと思う。
アイヌ民族で獣医でもあった海馬沢博さん(故人)から北大総長(学長)や医学部部長への民族にとって名誉と人権に関わる切実な要請文、抗議文とともにそれに対する大学からの官僚的な「回答」が開示されている(それぞれの氏名や住所などは墨で消されている、また大学とのやり取りの文書はこれですべてであるかどうは分からない)。
海馬沢さんが北大学長宛に要請文を送った最初は1980年11月27日である。その文書で「児玉教授は学術研究と称し北大の教授として、アイヌ民族の血液採集を全道的に実施した事実があります、その際にアイヌ民族の研究に血液と共にアイヌ民族の所有する物具の中から貴重なものを無償或いは一時借用と称して全道的に多くの物を集積したことも事実としてその解決が未だそのままになっております。…研究のために収集したものは個人の物になるのかどうか、北大学長としての考え方をお聞きしたい。」、「児玉教授は法の手続きを経ないで勝手にアイヌ民族の墓を掘り起こし、人骨(1500体)をもち去った事実は許されぬ問題であります。…研究が終わったならもとの墓地に返すのが筋であると思いますが学長の考え方をお聞きしたい。その墓地の遺
族から1人1々名称(名前)がついている筈ですから、1体毎に遺族に対して返していただきたい」、そして最後に「児玉教授(が)…海外に譲渡したものがある筈です。その内訳と墓をあばいたときその附属埋葬品を持ち去っているので同時に公開されたい」と結んでいる。
続けて同年12月12日には「未だに回答がないのはどういうわけか知りませんが、余りにも誠意のない仕打ちではありませんか」と憤激して強く抗議している。
今村成和・北大学長(当時)は年末の12月25日になってはじめて「回答」をした。「故児玉元教授の専門的研究領域に係る問題でありまして小職の職責上、必ずしも全ての点について掌握できる性質のものではない。…調査中」などと冒頭に述べたうえ
「調査の結果が出るまで今暫く時日を要す」と回答を引き伸ばし、「現在●●が所蔵している民族資料は、故(児玉元教授)が私費によって購入した物であると聞き及んでおりますので、大学の管理下にある物品ではない」と副葬品の返還を拒否している。
大学は最初から謝罪をする姿勢ではなく(思ってもいない)、「調査中」と回答することによってオープンになり、責任の所在が明確になることを防止しつつ、別途明らかにするが、真実を隠蔽する工作を進めていったのである。重要なことはここに紹介した海馬沢さんの提起は、30数年たった今も生きており、北大は誠意ある回答と態度を一切示さずに今日まで逃げ続けていることなのだ。
(つづく)
糾弾ニュース27号 2012/3/1
- 2012.03.24 Saturday
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