【川崎】憲剛に妻から「優勝おめでとう」深夜の大号泣にW杯落選でムチ…独占メッセージ

2017年12月3日11時0分  スポーツ報知
  • 悲願の初優勝に、小林(手前)と抱き合い涙する川崎・中村(右はハイネル=カメラ・堺 恒志)

 ◆明治安田生命J1リーグ 最終節 川崎5―0大宮(2日・等々力陸上競技場)

 川崎が大宮を5―0で下した。磐田と0―0で引き分けた鹿島と勝ち点72で並び、得失点差で上回り初優勝を飾った。リーグ準優勝3回、ナビスコ杯(現ルヴァン杯)準優勝4回、天皇杯準優勝1回と創設21年でタイトル獲得は1度もなく、「シルバーコレクター」と呼ばれたがついに悲願をかなえた。川崎一筋15年のMF中村憲剛(37)を中大サッカー部のマネジャー時代から支え続けてきた同い年の加奈子夫人は、子供3人と会場で観戦。スポーツ報知に独占メッセージを寄せた。(取材・構成 田中 雄己)

 初対面は、大学4年生の春。学内広告で、中大サッカー部が創部以来初めてマネジャーを募集しているのを見つけた私は、友人と一緒に入部を決めた。入部あいさつの時、監督に「マネジャーです。4年生」と紹介された時の「なんで? 年甲斐もなく」という憲剛の表情は今でもよく覚えてる(笑い)。

 遠征には大学のジャージーを着用するのが決まり。マネジャーはそれぞれ選手に借りていたけど、私が唯一連絡先を知っていたのが、主将の憲剛。ぶかぶかの紺色のジャージーをよく借りてたね。そこから部活前のテーピングの練習に付き添ってもらうようになったりして、いつの間にか付き合うことになりました。

 1年後、憲剛はプロになったけど、これまで本当に色んな事があった。2年目は昇格を見届けたくて、留学先の豪州と日本を何度も往復したり、(10年)南アW杯メンバーに選ばれた時は一緒に手をたたいて喜んだ。一番涙したのは13年に(伊藤)宏樹さんが引退した時かな。あの時は2人して夜中の2時頃まで号泣したね。翌日2人とも目が腫れるくらい(笑い)。2歳年上でプライベートも仲良しの宏樹さんがいた時は次男っぽく振る舞えたけど、宏樹さんがいなくなって、憲剛に何か言える人はいなくなっちゃった。そこからは言いづらいことでも言うようにしてきた。

 (14年5月)ブラジルW杯メンバーから落選した直後のACL・FCソウル戦の時、2―1で勝ったけど、憲剛のプレーは精彩を欠いてるように見えた。いつもならかかってくるまでかけない電話をロッカールームに戻る位のタイミングで電話した。「みんなにかわいそうって同情されてるからって、この程度のプレーでいいというのは絶対にないよ。ここが一番頑張らなきゃいけない時じゃないの?」今思えばよく言えたなと。傷口に塩を塗るタイプだね(笑い)。

 会った時から良くも悪くも変わらない憲剛だけど、一昨年変わらざるを得ない出来事がありました。(15年10月)私が妊娠14週に破水して、緊急入院。10日間の病院生活の間、憲剛は毎日子供と病室に来てくれた。だけど、病室で横浜M戦を見て思った。ボロボロだった。会いに来てくれる気持ちは嬉しい反面、子供二人を連れて練習後に病院に毎日来る負担は想像以上に大きい。これは無理だと。理解してもらうのは難しいかもしれないけど担当医に相談したら無理ですと言われた。「お願いです。帰らせてください。私にとってお腹の赤ちゃんと同じように、上の子2人、そして旦那が大事なんです」。そう伝えて誓約書にサインして半ば強引に退院した。セカンドオピニオンでも絶対安静を言い渡されて、自宅で約5か月間。動けない私に「家にいてくれるだけでいい」と言ってもらえて嬉しかった。「天井を見るだけ」の生活が続いた時に支えだったのは、憲剛の手料理。慣れないながら手順通り頑張ってくれたね。最後はお弁当も作れるようになって、難しくてできないと言ってただし巻き卵も、長女に『くるくるの作って』とせがまれて最終的には綺麗に作れるようになっていたね。

 その後みんなの頑張りもあって(16年3月に)リイナが産まれた。その年に、憲剛は最年長リーグMVPを獲得した。今考えると、家事もして、そんな中でちゃんとサッカーもやりきった憲剛を尊敬しています。MVP受賞の瞬間の息子の表情は忘れられません。子供達のヒーローでいてくれてありがとう。

 15年前。サッカーがまるで分からない状態で、マネジャーになった私でも、憲剛がうまいのは分かった。あんな所にパスが出せるんだなって、いつの間にかサッカーというスポーツに魅了されていました。この先も中村憲剛のプレーをできるだけ長く見ていたいというのが、今のささやかな夢です。リュウとケイナも大好きなパパが頑張る姿を見たいから多少の我慢は大丈夫。リイナがパパはサッカー選手と覚えてくれるまで頑張らないとね。優勝おめでとう。

 ◆中村 憲剛(なかむら・けんご)1980年10月31日、東京都小平市生まれ。37歳。小学校1年で、府中市の府ロク少年団でサッカーを始める。都立久留米高(現東久留米総合高)から中大文学部英文科に進学。03年、川崎入団。2年目に関塚隆監督がトップ下→ボランチに配置転換。06年10月4日、ガーナ戦で日本代表デビュー。16年にリーグ最年長MVP(36歳50日)。国際Aマッチ通算46試合5得点。J1通算404試合64得点。175センチ、67キロ。血液型O。家族は妻と1男2女。

  • 楽天SocialNewsに投稿!
国内サッカー
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ