清原 PL学園特集
PL学園 復刻ニュース
1984年08月11日
清原3発、甲子園通算7号驚弾
<全国高校野球選手権:PL学園14-1享栄>◇1984年8月10日◇1回戦
PL学園・清原和博一塁手(16=2年)が1試合3発、甲子園通算7本塁打のダブル新記録を達成、史上最高の球児に躍り出た。2打席目、右越えに甲子園5号で香川(浪商ー南海)に並ぶと、4打席目にに左中間へあっさり甲子園記録の6号。9回には大会新の1試合3本目を左中間に打ち込んで怪物ぶりをみせつけた。2年生エース桑田も1失点完投し、PL学園は36年ぶり、史上6校目の夏連覇へ豪快発進した。
まさに怪物だ。甲子園は狭すぎだ。4万5000人の大観衆は、9回表、清原の第6打席を、息をつめて見守った。
930グラムの金色の金属バットは、それまで2度火を噴いていた。3回には享栄先発村田のストレートを右翼ラッキーゾーンへライナーでぶち込み、6回には2番手稲葉のカーブを左中間スタンドへ打ち込み、甲子園通算第6号の新記録を達成した。
清原は打った。2球目、稲葉のカーブ。打球は左中間最深部へ伸びて、また、入った。マスク越しに、ぼう然と打球をながめるしかなかった森捕手は口をとんがらせた。「打席に入ってきた時”あんまり打つなよ”と声かけたら相手にされんかった。打たれる予感しかなかった」と、はじめからホームランを打たれるのを覚悟していたようだった。
淡々とした表情でがい旋した清原を桑田が待っていた。右手と右手でしっかりと握手して「やったネ」「やったぜ」。清原も桑田もニコニコ笑っていた。実は、清原はこの打席でホームランを打たなくてはならなかった。スタンドの期待にこたえることより、桑田のおどし? にこたえることが先だった。
「あれはエラーやで、清原のエラーや。あのナ、ホームラン打ったら許したるわ」。8回裏、享栄・川津の三塁打は一塁キャンバスの横を抜けたが、桑田はそれを「エラーや」と言った。この回、桑田は1失点。「そんなら、打ったる」と気合を入れたのだ。
この清原の豪打ショーに、ネット裏のスカウトたちは興奮のるつぼ。西武毒島スカウトは「あの放物線アーチは、田淵二世だ。球を遠くに運ぶ天性の技術を持ってる」と舌を巻く。
PL学園の先輩、大洋の中塚スカウトは「逆風を突いて右へ持っていくから大したもの。しかもストレート、カーブ何でもこいだから、ほんと10年に1人でるかの天才だよ」と1年後のドラフ争奪戦へ早くも頭をめぐらせていた。このまま成長すれば、史上最高の1億円は突破することは間違いない。
昨夏は甲子園で1ホーマーを記録しながら、力任せの打撃に「?マーク」をつけていたスカウトもいた。だが今年は違う。1メートルの大台を超えたヒップ。握力も昨年より5キロふえて左右とも65キロ。このたくましくなったパワーが3発を生み出した。
80人余りの報道陣に囲まれた清原は、打球とは対照的な小さな声で言った。「会心の当たりは1本目、ライトへのホームランなんです」。
この日の豪打の幕開きは右前への渋いタイムリーだったが、グラウンドに入る前に言った言葉は憎らしい。「第1打席は右前へヒットを打つ。いきなりホームランというのもなんですから……」。マンモス・スタンドが小さくなった一日。それでも清原は「僕がホームランを打っても負けたらダメ。目標は優勝なんです」。【宇佐美】
(1984年8月11日付日刊スポーツ)
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