時をさかのぼれば、今回の選挙で台風の目となった小池氏も、前原氏も、そして枝野氏も、政治家としてスタートを切ったのは同じ政党だった。その政党の名は「日本新党」という。
日本新党は1992年5月、前年まで熊本県知事を務めていた細川護熙氏がまず一人で立ち上げた。このあと党員を募って、同年7月の参院選では細川・小池両氏ら4人が比例区で当選する。翌93年4月の東京都議会選挙では20議席を獲得したのに続き、7月の総選挙では、参院から鞍替えした細川氏と小池氏を含む57人が立候補し、うち35人が当選する大躍進となった。選挙後、8月には、新生党・新党さきがけ・日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合などと連立し、細川を首相とする非自民政権が誕生する。
このとき日本新党から出馬して当選した35人には、細川・小池両氏をはじめ、枝野幸男、前原誠司、野田佳彦(元首相)、海江田万里(元民主党代表)、長浜博行(元環境相、現参院議員)、伊藤達也(元金融担当相)、河村たかし(現名古屋市長)、松沢成文(前神奈川県知事)、中田宏(前横浜市長)、山崎広太郎(元福岡市長)、山田宏(前杉並区長、現参院議員)などの各氏がおり、いずれも衆院初当選だった。ちなみに、安倍首相、野田聖子総務相、岸田文雄前外相(以上、自民党所属)、高市早苗前総務相(当時無所属)もこの総選挙で初当選している。
日本新党は、自民党と社会党を軸とするいわゆる「55年体制」の終焉に大きく貢献したが、1994年4月に細川が首相を辞任して以降は、政界で求心力を失い、同年末には、新たに発足した新進党に合流する形で解党した。誕生からわずか2年半あまりのことであった。
しかし、大臣経験者や地方自治体の首長が数多く輩出されたことを思えば、日本新党はその後の政治に大きな影響をおよぼしたことは間違いない。人材ばかりではなく、日本新党は、さまざまな点でエポックをつくった。この記事では、それについてあらためて振り返ってみたい。なお、以下、敬称は略させていただく。
新党誕生の1年前に依頼されていた「結党宣言」
細川護熙が日本新党を結成する発端は、1992年5月、『文藝春秋』6月号で「『自由社会連合』結党宣言」を発表したことだった。…
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